現代知人算定(3)

 日の沈んだ舞橋市の住宅街を、春と葵は若干の距離を空けながら並んで歩いている。

 杏季を寮まで送り届けてから、奈由は寮と反対方向にある駅まで戻り、潤は用事を思い出したと元の道を取って返していった。

 残された二人は、流れでそのまま一緒に帰路についているのだった。


 車通りの多い大通りを反れ狭い路地に入れば、辺りは途端にしんと静けさが降りる。家々から夕食の準備と思しき生活音が聞こえるのみで、道の端からは早々に秋の虫のさざめきが聞こえていた。

 その静寂にあてられてか、先ほどまではぽつぽつと会話が成り立っていた二人にまで沈黙が訪れる。


 数秒が経過し、気まずさと心許こころもとなさとで葵の背には冷や汗が滲んだ。沈黙に耐えかねて何かを喋ろうと葵は焦ったが、それよりも先に春の方が声を挙げる。


「ねぇ、気になってたんだけどさ。何で敬語なの?」

「え、はっ、いや、……敬語、ですか」


 不意をつかれて戸惑う葵に、春はここぞとばかりに人差し指を立てる。


「そう、それ! 前に会った時は普通に話してたでしょ。なのにどうしてなのかなぁと思いまして。えっと、……そんなに私怖い?」

「そんなことはないです、ええもうそりゃあ断じて!」


 首を横に振り、葵は必死に否定する。


「ええと、その。……佐竹は若干、怖いですけど」

「あれは、仕方ない」


 つい吹きだしそうになり、春は堅くなっていた表情を緩めた。つられて葵もほっとしたように息を吐き出す。


「最初に会った時って、お互い特殊な状況だったじゃないですか。あの時は白原さえ協力してくれれば終わりだと思ってましたし。

 でも今は違う。だからその、分かってはいるんですが、つい……。一応俺も男子校なんで、どうにも距離のとり方が分からないというか鈍っているというか。

 ちょっと上手くは言えないんですけど、なんとなく分かりませんか、その感覚」

「ま、分かるけどさ。けど敬語にするには大分、今更な気もして。私の方は普通なのに悪いような気もしましてですね」

「そうですよね、すみません……。そのうちに段々普通に直ると思います。……多分」


 葵は小声で呟いた。よろしくね、と大した気負いもなく笑いながら春は言うが、想像する以上に葵が必死であることを彼女は知らない。

 星が瞬き始めた夜空を何の気なしに見上げてから、春は「そういえば」と思い出したように尋ねる。


「花火大会の夜、私を勧誘したよね。なんでまた、私を引き入れようとしたわけ?」

「それは、……ええとその」


 視線を泳がせ、彼もまた空を眺めながらぽつりと言う。


「ビーへの反発が半分と。それから、……実際に、人を目の当たりにしたから。

 直面して、遅ればせながら分かったんです、俺たちが無理矢理巻き込んでいるのは紛れもない『生身の人間』だって。

 前々から反発はしてたけど、頭で理解してるのと実際とではやっぱり度合いが違う。まっとうな精神をしていながら、あの状況で良心が傷まない奴がいたらそのツラを拝んでみたい。

 だから、せめて周りの人たちにも来てもらえればと思った。それなら白原が意に反することをされそうになったとしても、仲間の権限で意見することだって出来るかもしれない。ビーの横暴を多少でも抑えられるかと思ったんです」


 葵の横顔を見つめながら、春は目を見開く。


「……なんであの時にそれを言わなかったの」

「あまりに、虫がよすぎる気がして」


 曇った表情の彼の横顔を眺めながら何かを言おうとして、しかし気が変わったように春は視線を反らし、また空を見上げる。


「まあでも、あれか。私らが万一ビー側に行ってたとして、どのみち抜けることになったろうし、現状はもう仲間なんだから同じことか」


 さらりと言って、春は思い切り伸びをした。その言葉に驚き、春をまじまじと見つめた後で、葵ははにかむように自分もまた視線を反らす。

 体勢を戻してから、あ、と春は付け加える。


「そうだ、今から思えばそういうことだったんだね。『春』に『葵』」

「え?」

「ほら、初めに会ったとき言ったでしょ。私が本名を名乗って、男と間違われるから面倒だって言った時に『その気持ちがよく分かる』って。そういう意味だったんだなぁと思ってさ。葵は男女に使われる名前だし」


 ああ、と頷いてから葵は苦笑いを浮かべる。


「よく覚えてますね……」

「そりゃあ、印象的な出会いではありましたからね」


 にやっと笑みを浮かべてから、春は照れくさそうに言う。


「私さ、春って漢字使っときながら生まれは冬なんだよ。

 うちはなかなか子供が生まれなかったらしいのね。それでようやく私が生まれるって時に父親が、『予定日が新春だし我が家の春だ』ってんで名前に春を入れたいって言い出したらしいんだけど、それより半月近く早く生まれちゃってさ。

 私はそんなじゃないんだけど、母親は歴史や古典とかが好きで。で、まだ予定日は先だからって安産祈願も兼ねて憂さ晴らしに鎌倉に遊びに行ったらしく、その出先で生まれたらしいんですよ、私。

 鎌倉の方って京都の方と比較して、古典とかじゃ『あずま』って呼ぶじゃない。それで、『無事にこの子が生まれたのもきっと鎌倉の神様が守ってくれたからだろうし、それにあやかった名を付けたい』、それで響きが綺麗な『あずま』って名前にしたいと母親が言い出しまして。

 で、意見が割れた挙句、二人の意見を両方採用して『春』で『あずま』」


 春が語り終えると、それまでこらえていたらしい葵は控えめに吹きだした。笑えるでしょ、と冗談めかして春は言うが、葵は笑いつつも懸命に真顔になろうとする。


「いえ、すみません。なんか、似たような話だなと思って」


 手を横に振って葵は慌てて弁解し、呼吸を落ち着かせながら口を開く。


「俺はあれです、『葵祭りの日に生まれたから』。

 うちの親は出産予定日にも関わらず京都に行ってたらしいですから、春さ……畠中さんの親の方がまだ良いですよ」


 今度は春のほうが吹きだす番だった。


「予定日なのに京都まで、わざわざ」

「どうしても葵祭りが見たいと母親が駄々をこねたらしいです。結局その時は病院に担ぎ込まれててんやわんや、祭りなんかもちろん見られるはずもなくて。

 余程悔しかったらしく、代わりに俺が生まれた後で何回も連れて行かれる羽目になったけど。小さい頃は誕生日ケーキより八橋を食べていることのほうが多かったです」

「流石にそれは、凄すぎる。しかも名前までなんて」

「俺は三番目だったから、適当で」


 顔を見合わせてから同時にまた吹きだし、二人揃って笑う。人の気配が色濃いからか、単に二人の声にかき消されているだけなのか、虫の声は聞こえなくなっていた。


 ひとしきり笑った後で、葵は目尻をこすりつつ荒い呼吸を整える。

 そして葵は、ふと真顔になった。


「……唐突でなんだけど。俺がビーのところにいた理由、畠中さんから他の人へ伝えておいて貰えますか」


 先ほどとは打って変わり、浮かない面持ちの葵に、春は気遣うように声をかけた。


「嫌なんだったら、無理に話さなくてもいいんだよ?」

「俺が話したいんです。こんな俺を仲間として受け入れてくれた皆には、俺が向こうに居た理由も話しておきたい。ただそれでも大勢の前で言うのはちょっと気が引けるので、……頼みます」


 無言で頷き、春は了承の意を表した。少しの間、目を伏せてから、葵はぽつりぽつりと話し始める。


「さっき、俺は三番目だって言ったけど。俺には二人兄がいたんです。

 片方は十一歳上でもう結婚もして幸せに暮らしてるんですが、その間にもう一人兄がいて。二番目の兄と俺とは八つ年が離れてました。

 俺が中二の時。二番目の兄は、俺の目の前で忽然こつぜんと消えました」


 一呼吸置いて、葵はその時を思い出したかのように顔を歪める。


「夕暮れ時に兄と二人で河原にいた時、突然現れた白い空間のようなものに、兄貴は飲み込まれた。

 それが何かは今でも分からない、けどそう形容するしかないもの。はっきり言えるのは、それが現実じゃありえねぇ現象だったってくらいで。

 まるで悪夢みたいな、そんな空間。

 でも周りの人には信じてもらえなかった。きっとショックで混乱しているんだろうと片付けられてしまった。俺は全身びしょ濡れだったし、俺が溺れたのを兄貴が助けて、代わりに川に流されたんだろうってことになって。けど俺は納得出来ませんでした。

 俺は確かにこの目で見たんです。兄貴が白い空間に飲み込まれていくのを」


 ぎり、と唇を噛み締めて葵は続ける。


「前は、それが神隠しって呼ばれるものなのかと思い込もうとしてたけど。

 リーダーが言うに、兄貴が消えた一件には理術と、その情報を秘匿し裏で暗躍する連中が関係している。俺の話が信じてもらえなかったのも、理術に関する機密が漏れないようにもみ消されたからだと言われて。

 よくよく思い返せば、確かにあの時俺たちは河原で理術を使っていたんです。俺が『闇』属性になったのもあの時からだった。

 俺がこれを話したくないのは、あまりに俺の話が突拍子も無いからです。普通の人は、ずっと誰も信じてくれなかった。

 でも、畠中さんたちなら信じてくれる気がした」


 そこで葵は口を閉ざした。

 しばらくの間、二人は黙って歩き続けた。ちらりと隣の葵を窺いつつ、春は何を言おうか考えあぐねる。

 色々と尋ねたいことはあった。現在の心境も気になるし、そんな重要な話を本当に春から皆に言っていいのかも悩ましいところであった。

 しかしとりあえず、何はともあれ自分の率直な気持ちを言うべきだろうと春は心を決める。


「信じるよ」


 数秒の思索の後に春は言い切った。


「あっさり信じちゃうのはあっきーの専売特許なんだけどね。

 まだ知り合って日は浅いけど、それでも染沢くんは平気で嘘をつけるような人間じゃないと思ってる。だからこそ、染沢くんが言うならそれだけで十分、信憑性に値すると思うけどな。

 大体、突拍子もないってんなら、私たちの巻き込まれてる状況そのものが意味不明だしね。

 仲間の言うことを信じずに一体誰の言うことを信じろっていうの?」

「……そういう人たちだから」

 

 葵はふっと口元を緩め、立ち止まる。つられて春も立ち止まった。

 春は大して目線の変わらない背丈の葵をじっと眺める。穏やかな葵の表情は、何かをやり遂げたような清々しさまで感じられた。


「俺は、畠中さんたちを信用したんです」


 葵の言葉に春は妙なくすぐったさを覚え、困ったように微笑む。


「春の方でいいよ。変な名付けられ方した同士のよしみ」

「……じゃあ俺も、葵の方で」


 再び、足元からは小さな虫のさざめきが聞こえ始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る