現代知人算定(2)

 ぽかんとして一人立ち尽くす杏季へ、潤が呼びかける。


「うおぉい! あっきー、なんでお前だけ外にいんの!?」

「わ、分かんないよ私だけ外れてたんだもん!」


 うろたえて杏季は高い声を上げた。三人のところに行こうにも、周りは完全に風の壁で囲まれてしまっているので近寄れない。


 ベリーは両手を合わせてから、それをゆっくりと離し手と手の間隔を広げていった。その動きと共に、徐々に渦の直径が広がる。やがて風の渦は、完全に路地を塞ぐ大きさになった。

 突風が杏季に迫り、巻き込まれないよう彼女は慌てて跳び退る。益々三人と杏季との間隔は広がった。


「ごめんなさいね。さっき『あなたたち』と言ったけど、あれは嘘なの。

 私が攻撃しなきゃいけないのは、杏季ちゃん一人なのよ」


 だから他の方々はそこで大人しくしててね、と三人を見もせずにベリーは言う。彼女の狙いが杏季だけと知り、尚更焦って潤は頭を抱えた。


「にゃろぉう、肝心な時にいらっしゃらないあのブラック!」

「待ってつっきー、何のためのコレなんですかっ!」


 春がポケットから補助装置を取り出す。思い出したように潤は自分のバッグを漁り、補助装置を手に取った。奈由もまた自分の補助装置を取り出して、すかさず装着する。


「あらそれもしかして、……あらヤダ」


 意外そうに口をとがらせ、ベリーは頬に手を当てた。


「ちゃっかり盗られてたのね、これはちょっと想定外だわぁ。まぁいいわ、少なくとも昨日今日補助装置を手にした人が三人がかりで挑んできたって、ひけをとる私じゃあないわよ」


 言って彼女は指を鳴らす。パチンと小気味いい音が響いたのと同時に、風の速度は更に速くなった。

 顔をしかめてから、潤は補助装置をつけた手をぎゅっと握り杏季に叫ぶ。


「えぇいとりあえずあっきー、あっきーも補助装置使って応戦しろ! その間にうちらもこれ突破するからそれまで頑張れ!」

「えっと、あの、それが」


 おずおず、といった様子で杏季が言う。


「私、持ってないの」

「……は?」

「私、補助装置持ってないの。こっちゃんが、私はこれを使っちゃ駄目だって言って、没収してしまったというか。

 要するに、対抗するすべを持たない無防備な状態。えへ」

「はぁぁぁあ何やってんのあのブラック!?」


 潤は盛大な批難を込めて叫ぶが、杏季は首を横に振った。探るような目線をベリーに向けたまま、彼女は琴美を弁護する。


「こっちゃん曰く、多分この人たちが私を解放したのはまだ私がビー達の求めるレベルに達していないからだろうって。

 多分ビーたちは私をあえて泳がせて、攻撃を仕掛けたり窮地きゅうちに追い込んで、火事場の馬鹿力の要領で私の力を引き出そうとしてくる。だから私が補助装置を使ったら元も子もないんだって。

 ……こっちゃんの推測がどうも正解みたいだね」


 平静を装い、しかしやや口元を引きつらせながら杏季は言い切った。

 表情を変えずに杏季の話を聞いていたベリーは、あっさりそれを肯定する。


「へぇ、勘がいいのね。あらかたその通りよ。

 でも関係ないわ、私が言われたのは『白原杏季を見つけ次第、攻撃する』こと。ただし補助装置を持っていようといまいと問答無用にね」


 言ってベリーは杏季へ右手を向けた。暴風が杏季に襲い掛かり、吹き飛ばされそうになる。何とか体勢を整えると、頼りない足取りながら杏季は毅然とした眼差しでベリーに向き合った。



 潤は舌打ちし、両手を前に差し出して水流を呼び出そうとした。

 が、一瞬ぴくりと腕を引きつらせると、潤はその手を引っ込めてしまう。やがて右手は再度、前に伸ばしたが、左手は腕に込めた力を緩めすっと下ろした。


「おいこら月谷ストップ! ストップ!!」

「え、は、……何?」


 呆けた表情で潤が見れば、春が彼女の右腕を掴み必死の形相で止めにかかっている。


「何じゃない! ここで水なんか使ったらどうなると思ってんのさ!」

「ええっとー。夕方で涼しくなってくるのに濡れると風邪を引く?」

「違う! どう考えても洗濯機になるでしょうがよこの状況じゃ!!」


 頭をかいて潤は辺りを見回した。風の渦に取り囲まれている今、下手に水を出せばそれは渦潮になり、一層厄介なことになってしまうだろう。


「ああそっか。やっべー」

「やっべーじゃねぇよ!! 考えてくださいね!!」


 上擦うわずった声をあげ、春は息を吐きだした。

 だが潤を止めたはいいものの、打開策は浮かばない。

 先日、潤がビーと戦った際に打ち壊したのは氷の壁だ。しかし今現在、彼女たちが突破しなければならないのは実体のない風の壁である。壊そうとして壊せるものではない。

 潤の水では洗濯機状態になってしまうだろうし、春の雷でも打開できるとは思えなかった。

 可能性があるとすれば、奈由の『草』である。丈夫な蔓を呼び出し引っ張り上げれば、渦から抜け出すことはできるだろう。しかし奈由はまだ、補助装置を使用した高度な理術を使用したことがない。人を引っ張り上げる強度の蔓を使用できるかも疑問であったし、まず草の動きより風のほうが早い。作業中にベリーが見逃してくれるとも思えなかった。

 どうしたものか考えあぐね、奈由は口元に手を当てた。


「『風』って何の理術が効くんだろう? 『古』なら弱点は『鋼』か『音』だって言ってたけど」

「あららその辺のこととかも知らないのね。まあ一般人はそんなところかしら」


 悶々と考えていると、奈由の言葉に意外なところから返事があった。

 杏季に向かって風を吹き付けながらベリーが続ける。


「自然系統は人為系統と違ってはっきりした相性なんてないわよ。ゲームじゃあるまいし、属性の違いだけでじゃんけんみたいに白黒はっきり付かないわ。

 そりゃあ炎だと水には弱いだろうし逆に草は簡単に焼き払えるだろうけど、自然系統同士の戦闘では属性の違いは絶対的なものじゃない。有利不利は戦略や環境で場合毎にいくらでも変動する。

 それでもあれね、強いて言うなら。戦略や地の利等々をいかに駆使くしできるかって能力を総合した上で、最終的には経験や力の差で決まるの」

「つまりあれですか。『力の差は圧倒的だからどのみち勝つのは無理』ってことですか」

「物分りがよくて助かるわあ」


 冗談じゃない、と奈由は唇を噛み締めた。しかし彼女の言い分が嘘にせよ本当にせよ、この風をどうにかしないと杏季に加勢するのは難しいのは確かだ。

 奈由は焦りを覚えつつ、しきりに打開するすべを思案し始めた。


「ねえ。……どうしても、戦わないといけないのかな」


 三人には聞こえるかどうかの小さな音量で杏季がベリーに言った。彼女はぴくりと反応すると一旦攻撃の手を止め、低い声で呟く。


「……この前言ったでしょう。次に会ったときは躊躇しないでって。

 私はあなたを攻撃しなくちゃいけない。だからあなたも全力で反撃してよ。お願いだから」

「出来ないよ。する理由がないもの」


 杏季はゆっくりと首を横に振る。


「本当に容赦のない攻撃を仕掛けているのなら、息だってままならない筈だもの。私はこんな悠長に会話なんてしていられないよ。

 みんなを渦に閉じ込めたのだって、余計な人を巻き込みたくないからでしょ。

 ここまで遠慮している術に、全力なんか出せないよ」

「……ごめん、聞かなかったことにするわ。もう何も言わないで」


 ベリーは目を伏せた。四方八方からがむしゃらに杏季へ向け強い風を吹きつける。

 杏季のスカートが激しくはためくが、しかし彼女は微動だにしない。背筋をすっと延ばし、杏季はじっとベリーを見据えていた。

 ベリーは、それを悲しそうな眼差しで見つめ返す。



 次の瞬間。

 ピシリと冷たいむちのような音が辺りに響いた。杏季はもちろん、ベリーも驚いた表情で顔をあげる。


「な、……何?」


 ベリーが声を挙げるとほぼ同時に、潤たちを取り囲む風の流れがふっと弱まった。

 その直後、突然三人の姿がぱっと消えてしまう。

 杏季は何事かと一瞬叫びそうになったが、しかし少し離れた場所に三人がやはり突然姿を現したため、口を開けたまま動きを止める。


 風の外に出され、三人は何事もなかったかのように解放された。ベリーは困惑の色を浮かべたまま、もはや意味を成さなくなった風の渦を消す。

 三人は訳が分からない、といった表情で互いに顔を見合わせていた。


 続いて今度はベリーのすぐ近くからその乾いた音が聞こえ、反射的にベリーは後ろへ飛びのいた。地面の小石がその音のした場所から跳ねる。

 はっとしたように口を開けると、ベリーは苦々しい表情で辺りを見回した。

 彼女たち以外には誰も通りかかる気配のない夕闇の裏路地。ここから死角になる場所を見つけ、ベリーはそこを睨みつける。


「グレン、あんたね!」

「……ちっ」


 舌打ちし、グレンこと葵は、まさにその影から姿を現した。

 同時に、ベリーの腕と足とが何かに絡め取られたように不自然に硬直する。怪訝に思って杏季は凝視するが、しかし彼女の身体には何も変化は見られない。

 焦燥の色を浮かべつつも、落ち着いた声色でベリーは葵の姿を見つめた。


「まさかグレンまで杏季ちゃん側についてるとはね。にしても私たちにそれを隠せるとでも思ったわけ? あんたは馬鹿正直だものすぐにビーに気取られたに決まってる、スパイなんてグレンには到底無理よ」

「隠し通せるなんて思っちゃいねぇよ。もう少し猶予ゆうよは欲しいところだったがな。……俺は完全にあんたたちとは縁を切る」

「……あれだけ固執してたあんたらしくもない」


 不服そうに呟いてベリーは眉を寄せた。葵は答えず、前に進み出てベリーに立ちはだかる。


「さて。お前はこれからどうする? 確かにあんたは強いが、時刻は18時半でもれなく日没だ。重々俺の術を知ってるからこそ、あんたは退かざるを得ねぇだろ」


 ベリーはしばらく葵を見つめていたが、やがて諦めたようにゆっくりと息を吐き出した。


「そうね。今日は退かせてもらうわ。いくら誰一人鍵を外していないとはいえ、流石に五対一じゃ分が悪いもの」


 彼女がそう宣言するや否や、ベリーの体はふっと自由になった。その反動で彼女は少しよろめく。

 体勢を立て直すと、葵と杏季とを一瞥してからベリーは静かに去っていった。




 彼女の姿が完全に消えてしまうと、春は盛大に安堵のため息をついてから葵に両手を合わせた。


「ありがとう、正直どうしようか困ってたとこだった!」

「え、あ、いやその当然のことをしたまでというかなんというか」


 慌てて目を反らし、しどろもどろになりながら葵は両手を顔の前で振った。その様子を見て面白そうに微笑みつつ、奈由は葵に尋ねる。


「ねぇ、さっきのって何なの? 何してるのかはさっぱり分かんなかったけど、雰囲気的に術の性質はこの前みたく蔓っぽかった。もしかして植物を透明にでもしてたの? これって補助装置の力?」

「いや。補助装置があっても普通は出来ねぇよ。俺の場合はプラスアルファがあるからさ」

「プラスアルファ?」

「ああ。俺は、闇属性でもあるんだ」


 闇、と口の中で呟き、奈由は以前に琴美から聞いたことを思い返す。


「光と闇は相反するもので、光の逆が闇。ってことは闇の効果は光の反対で『マイナス』?」

「そうだな。けど闇が出来るのはそれだけじゃねぇ。

 他に闇が示唆するのは『隠す』。闇の付加属性が加わると、人の目からものを隠すことが出来るんだ。だから厳密には透明にしてるわけじゃなく、ただ人の目から見えなくなってるだけの状態らしいんだがな。『光』の力を使えばこれを破って見現せるらしいけど」


 杏季は納得した、とばかりに手を叩く。


「そっか。だから、みんなの姿が消えちゃったのか」

「は、消えた!? 何、うちらが?」


 潤が素っ頓狂な声を挙げた。杏季は頷き、ちらりと葵を眺めてから自信なさげに言う。


「えっと、あの、つまりその……えと、植物は透明になったんじゃなく見えなくなってるだけだから、植物で包まれたものは一緒に見えなくなる。

 それであの、さっきのは、みんなを蔓かなんかで包んで、渦巻きから引っ張り出してくれたんですよね?」

「そういうことだな。もっと正確に言えば、渦沿いに巨大な蔓をまとわりつかせて風を弱めた上で、上の方から三人を引っ張り出してきたんだけど」

「ああなるほど宙に浮いたのはそういうわけか、絶叫系がてんで駄目な潤さんは怖くて怖くて死ぬかと思いました」

「その辺は助ける都合上勘弁な」


 やや涙目の潤に、葵は申し訳なさそうにして右手を立てた。その後で、彼は思い出したように付け加える。


「これと似たような要領で『特定の場所の存在を隠す』こともできる。人の無意識に働きかけて、その場所の存在を人の心理から消し去るんだ。術が効いてる間は闇で隠されてる場所を通ろうとはしないし、路地沿いに住んでいる人間は家を出る気にならない。

 ま、『絶対外に出なければならない』『絶対そこに行かねばならない』って余程強い感情があれば効かねぇんだけどな。それにある程度の時間制限つきだ。せいぜい俺が隠し続けられるのは一時間くらいだな。

 それと、あくまで『闇』だから夜のほうが効果が大きい。だから昼間は効果が薄いけど、夜だと全開で力を発揮できる」


 なるほど、と奈由は頷いた。ベリーが退いたのは、だからなのだろう。葵にとってはこれからの時間帯が絶好のフィールドというわけだ。ベリーが言っていた『環境』という単語が奈由の脳裏をよぎる。


「もしかしてさ。花火大会の時にうちらを狙ったのが君なのも、そういうこと?」


 春に問われ、ぎくりとした表情で葵は視線を泳がせた。一瞬だけ口ごもった後で、観念して葵は白状する。


「……まさに、そういうことです。俺が寄越された半分の理由は『鍵を外す為の実践』で、残りの半分は『闇属性だから』。騒ぎを起こさず手っ取り早く任務を全うできる可能性が高かったからです。

 現に、俺が春さんたちに攻撃した時、辺りには何も見えなかったはずです」

「そうだね。その方法なら、周りの人間に悟られずに攻撃することができるもんねぇ」

「……す、すみません」

「いや、からかっただけだから気にしないで」


 人の悪い表情を浮かべながら春はにんまりと笑んだ。何も言うことが出来ず、葵はただ複雑な心境で苦笑いをすることしか出来なかった。

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