虚偽の海に沈む佳日(4)

 ビーは机の隅に腰かけた状態で京也を出迎えた。怪しげな笑みを湛えるこちらの表情の方が、どちらかといえば京也にとって馴染み深いものだ。


「突然どうしたんだよ、ビー」

「いえ。貴方にはお礼を言わなければと思いましてね」

「お礼?」

「貴方のお陰で、だいぶ計画が前に進んだからですよ。

 昨日ついに彼女をいぶり出すのに成功しました」


 ビーの言葉に彼は昨日のことを思い返す。ビーが言う彼女とは、おそらく。


「彼女ってのは、『護衛者』とかいうもののことか?」

「ええ。もし白原杏季が条件に適合する人材なら、護衛者たる存在は必ず側にいる。護衛者の存在が明らかになったことで、白原杏季の可能性は更に高まった」

「じゃあ、昨日のはわざわざその護衛者をいぶり出すための作戦だったのか。

 だけどそこまでして護衛者を確認する必要はあったのかよ。さっさと白か黒かを確認すれば済む話だろ。僕の到着なんか待たずにさ」


 ビーとアルドが杏季を追い始めてから、琴美たちが到着するまではしばらくの時間があった。それに花火大会の時とは違い、杏季は一人だったのだ。京也の到着を待たず、十分に杏季を追いつめることが出来た筈なのである。


「確かに貴方の言うとおり。最初の時点で道を全部塞いで追い込んでしまえば一瞬で片は付き、護衛者にも他の人間にも付け込ませる余地はなかった。

 ですが一度、僕たちは『白原杏季は適合者ではない』と騙されかけている。また別の手段を講じられている可能性がありますからね。だったら護衛者がいるのかどうかを確認した上で次の手を打った方が、より確実というものでしょう。

 仮に護衛者が来なかったとして。その場合はその場合で、古に対抗できる鋼属性の貴方の到着を確実に待つ必要があったんです。それに」


 ビーは唇に歪んだ笑みを浮かべた。


「楽しいじゃありませんか、その方が。逃げ回る獲物を追いかけ回すのは、何もエサをとるためだけではありませんよ」

「……相変わらずだな」


 口元だけ笑ってみせて、京也は内心で悪態をついた。

 ビーは机から降りると、ふっとその瞳に哀愁を漂わせて壁にかかっているカレンダーを眺めた。黄色の丸が示すその日付までは、あと一週間。


「あと少しです。ようやくここまで来ました。上手くいけば、あと数日で片が付くでしょう」

「なぁビー。何でそんなに焦るんだ。確かに僕らも受験生だ、夏休みが終われば時間をとるのは難しくなる。けど、そこまで急ぐことなのか?」

「夏の終わりが意味するのは、何も長期休暇の終わりだけじゃないんです」


 視線に力を込め、ビーはまっすぐに京也へ向き直る。


「この機会を逸すると、僕ら全員の望みが更に遠くなる。それだけは言っておきます」


 ビーの真意を理解することが出来ないまま、京也はただ怪訝に眉を寄せた。



 二人が黙り込んで数秒後、静かな部屋に振動音が鳴った。ビーは机の上に置いてあった自分の携帯電話を引き寄せる。画面を開き、届いたメールを確認すると、彼はふっと口の端を吊り上げた。


「ああ。それともう一つ、貴方にお礼を言わなければならないんでした」


 ビーは携帯電話の画面を京也に向ける。



「貴重な取引材料カードを、ありがとうございました」



 携帯電話の画面に映っていたのはこのビルの風景である。

 だが、それだけではない。



「ディーこと『月谷潤』を地下室に閉じ込めました。彼女はもう袋の鼠です」



 写真に写っていたのは地下室の扉。半透明なガラスの扉の向こう側に、微かに人影が見える。向こう側に閉じ込められた潤の姿だった。

 目を細め、京也はぎりりと拳を握りしめる。


「さて。本題はこれからですよヴィオ」


 ビーは片手で携帯電話を閉じ、淡々とした口調で告げた。


「今から貴方には、ベリーと二人で白原杏季の捕獲に行ってもらいます。詳細は彼女に聞いてください。既に会議室にて待機しています。

 ――交換条件ですよ、ヴィオ。何、簡単な話です。

 貴方が白原杏季を連れて来られたのなら、月谷潤は無事に解放して差し上げましょう」

「約束だ」


 珍しく強い語気で京也はビーを睨め付ける。


「必ず月谷は無事に解放しろ。手荒な真似はするなよ」

「無論のこと。貴方が、守ればの話ですが」


 両手を広げ、ビーは余裕たっぷりの表情で京也を送り出す。


「さあ、行ってらっしゃい。貴方の帰りをお待ちしていますよ」


 最後まで言葉を聞かぬうちに、京也はそのままビーを顧みることなく、風のように部屋を去った。





+++++



 舞橋女子高校の教室で自習をしていた杏季、春、奈由の三人は、近所のコンビニへ昼食を買いに来ていた。レジで会計を済ませ、春は入り口付近で奈由の会計が終わるのを待っている。

 財布をしまおうと鞄を開けると、携帯電話の着信を知らせる光が点滅しているのに気付いた。新着メールが一件、京也からである。


 メールを開いて春は首を傾げた。彼から届いたメールは空メールだったのである。

 間違いか何かだろうか、と春が携帯をしまおうとすると、また彼からのメールが届いた。中身は真っ白、やはり空メール。

 それだけではなかった。少し間をおいて、京也からのメールは次々に届いた。二件、三件、四件。


 そこまで確認してから春は戦慄し、素早く携帯を閉じると乱暴に鞄へしまいこんだ。

 会計を済ませ戻ってきた奈由と杏季へ、春は早口で急かす。


「行こう。早く戻ろう」

「どうしたの?」


 杏季の質問には答えず、春は素早く店を出る。尋常ではない様子を察し、黙って二人は足早に続いた。競歩で進みながら手早く春は二人へ説明する。


「雨森くんからの空メールがさっきからずっと届いてる。多分、今ろくにメールも打てないような状況下で、私たちに知らせなきゃならない何かがあったんだよ」


 杏季は息を呑んだ。奈由が慎重な口ぶりで春に問いかける。


「それって、まさかつっきーが? それとも雨森氏が?」

「分からない。けど私たちに緊急に知らせてくるってことは、どっちかっていうと向こう側っていうより」



「こっち側に危険が迫ってる事を知らせるため。……かな?」



 突然、春の台詞を引き取った声に驚いて、三人は歩を止めた。

 というより、その人物が狭い路地に立ち塞がったため、進むことが出来なかったのだ。


 黒のタンクトップにシルバーのネックレス。その上から無造作に白いシャツを羽織り、にんまりと笑みを浮かべた二、三十代と思しき男がそこにいた。

 モノトーンでまとめられたシンプルな服装であるが、引き締まった体躯と造作が異様な存在感を示す。目深く被った麦わら帽子もそれを増長していた。


「やあ、元気かい?」

「……どちら様ですか」

「通りすがりのおにーさんですよ」


 警戒心をたっぷりにじませた春の問いに、男は気楽な声色で答えた。手に持ったガリガリ君を、悠長に一口齧る。


「なんだか不穏な話をしていたから気になってね、つい出てきちゃった。さっきまでトマトに水やってたんだけどなぁ」

「こんな時間に水やったら葉っぱ焼けますよ」

「え、マジで」


 奈由の言葉に彼は焦った色をにじませる。その焦りが、嘘がばれた事に関してなのか、葉っぱが焼けてしまうことそのものに関してなのかは、よく分からない。


「で。何か御用でも?」


 冷たい口調で奈由が言い放った。しかし男は「いやぁ」と相変わらずの暢気な様子で帽子をぐいと下げる。


、オレは君達に用事はないんだ。こんな事してると、あとで怒られちゃうしね。

 


 そう言って、彼は麦わら帽子の下から、まるで品定めするかのように彼女たちへ視線を向ける。

 間延びした口調とは裏腹に、突き刺すような鋭い眼差し。

 一瞬だけその光と目があって、春の心臓は跳ねる。



 ――どこかで、見たことがある。

 ――私は、この目を知っている――!



 が、高鳴る心臓とは裏腹に、それ以上は何かがつっかえたように思い出すことができない。もどかしさに、彼女は息苦しさを覚える。

 やがて男は、存外、素直に道を空けた。春にとっては長い一瞬であったが、実際は数秒の出来事だった。


「気をつけなよ、熱中症がはやってるから。

 それと、自分の近辺にもね。物騒な世の中だから、知らない人に声を掛けられても着いていっちゃあいけないよ」


 お前が言うな、と奈由は喉まで出かけたが、その台詞は何とか飲み込む。

 言いたいことだけ言うと男はあっさり背中を向け、その後は三人を見向きもしないでのんびりとコンビニの方へ歩いていった。


「……なんだったの」

「分からない全く意味が分からない……」


 呆けたように春と奈由が口走った後で、はっとさっきまでの事を思い出し、慌てて三人は走り出した。






 寮まであと目と鼻の先というところで、突然に進行方向から強風が吹く。その所為で前に進めなくなり、自然と足が止まってしまった。やはり、という思いと共に春は前方をきっと睨む。

 姿を現したのは聖憐せいれん学院の制服を着た女子高生。おそらく彼女がベリーだろう。

 そしてその傍らに遣る瀬無い表情で佇んでいたのが、


「……雨森くん」


 春と京也とは互いに複雑そうな表情で視線を交わした。


 こういう可能性を考えないではなかった。

 彼女らに危険を促すとすれば、おそらく杏季が狙われようとしている時。そしてその状況下で彼がメールを打てないのは、彼が監視されている、ないしは彼がそのメンバーに加わっている時だ。


 春と奈由は杏季を背にかばおうとしたが、それは叶わなかった。風は四方八方からがむしゃらに強く吹き続けており、動くことはおろか思うように喋ることすら出来なかったのだ。


「ちゃっおー! あなた達がそうよねそうだよね? って一応容貌も確認済みだから間違いないって分かってるんだけどっていうかヴィオたんも何も言わないって事はそうだもんね!」


 息もつかずに告げたベリーは軽やかに地面を蹴る。

 数歩で彼女たちの近くまで歩み寄ると、目も開けられずに腕で顔を庇っていた杏季の手を取り、風の渦の中から連れ出した。


「ごめんなさいね別にあなた個人に恨みはないのよけどちょっとだけ助力をお願いできるかしら本当に少しだけだから怖がらなくていいのよ今日の夕方にはもう解放してあげるつもりだから安心してね」


 ベリーは言いながら杏季の口元へハンカチをそっと押し当てた。杏季は力が抜けたようにへたり込む。ベリーは杏季を京也の背に背負わせ、自分は京也の片腕を掴んだ。


「さあ、帰りましょう」


 何か言いたそうに顔を顰め、しかし黙って京也は杏季を背負いなおした。姿を消す直前、もう一度京也は春と奈由の方を振り返る。


「……ごめん」


 そして二人は、突風と共に姿を消した。

 あまりに早く、あまりにあっさりとしたその展開に、しばらく春と奈由は動くことも出来なかった。

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