虚偽の海に沈む佳日(3)

 休憩室に入ると、クーラーの効いた快適な空間でワイトが我が物顔にソファーで寝転がっていた。

 寮内での潤も人の事は言えないが、流石に外ではここまで露骨ではない。呆れ顔で空いていたソファーに座ると、ワイトと違いきちんと座ってコーラを飲んでいるグレンに話しかける。


「二人とも、いつもここに入り浸ってるのか?」

「まさか、受験生だぞ」


 渋い顔でグレンは否定した。


「最近はなんだかんだあったけど、普通は召集されんのも週一回程度だよ。今日だって塾から帰る途中、暑くて立ち寄っただけだ。自由に休めるクーラーの効いた空間があるんだ、利用しない手はないだろ。

 お前こそ、貴重な夏休みにこんなとこ来てていいのか? 東京の私立だって聞いたけど厳しいんじゃねーのかよ」

「俺は附属だから持ち上がりで進学で、受験はないんだ。一応、選抜テストはあるけどな」

うらやましい奴め……」


 軽く潤を睨みつけて、グレンはペットボトルの中身を飲み干した。

 自分も喉が渇いていた事に気付き、潤は自動販売機に向かう。ストレートの紅茶を選び、ひんやりと冷えたペットボトルを回収して席に戻ろうと振り返ると、すぐ背後にワイトが立っていた。潤は思わずびくりと身をすくめる。


「いきなりどうしたよ!」

「そんな驚くなよ、元からいただろ。

 なぁ。お前がここ来たのってさ、要は暇つぶしなの?」


 二人の会話を聞きつけてグレンもこちらに目線を向けた。潤がどう答えたものか迷っていると、更にワイトが続ける。


「言っとくけど、別に俺達は月谷潤を狙ってるわけじゃない。目的は月谷の側にいる古属性の奴で、あくまで月谷はおまけだ。月谷を叩きのめしたいってのはちょっと違ってると思うんだけど。

 あ、もしかして白原杏季のこと知ってる?」

「知ってるよ、うちに来たことがある」


 そこは即答してから、ペットボトルのふたを開け潤は紅茶を一口飲んだ。考え込んでいるのが悟られないように、自然な素振りで潤は答える。


「その辺りも把握はしてるよ。でも、その上で潤が邪魔になってるのも確かだろ」

「こっちの立場からすれば、確かに邪魔なんだろうがな」


 グレンは苦々しい様相で呟いて、座ったままで空になったペットボトルをゴミ箱へ放った。ゴミ箱へ無事にペットボトルが消えたのを見届けてから、グレンは視線を潤に移す。


「こっちに来た時点で、あんたは月谷の周りの人間を否応なく巻き込むことになるんだ。月谷だけを相手してればいい訳じゃないんだぞ。単に姉弟喧嘩したいだけなら家ですればいいだろ」


 その台詞をどう捉えればいいか、心の中で潤は吟味した。

 ディーがちゃんと組織の事を理解しているかを疑っているのか、遊び半分だと困ると迷惑がられているのか、単に何故ここに来たか疑問を抱いているだけなのか、それとも。

 聞きだしたい部分が前面ににじみ出ないよう抑えながら潤は慎重に言う。


「別にビーは杏季ちゃんに協力して欲しいことがあるだけなんだろ? それを突っぱねてお前らに水かけて追い返したのは、それこそ潤だって聞いたけどなー。

 だったら俺が潤の馬鹿を抑えてれば、その間に事は穏便に済むんじゃないのかな」

「それは、真実でもあるけど嘘でもある」

「嘘?」


 わざとらしく聞こえない程度に潤は繰り返した。グレンは頭を抱え、しばらく悩んでから、思い切ったように告げる。


「あのな。なんて言い含められたか知らねーが、ビーがやってるのはそんななまっちょろい事じゃない。協力なんて言いながら、実際には誘拐まがいのやり方で白原杏季を強制的に連れて来ようとしてるんだ。話し合いの余地がねぇのはあっち側じゃねぇ、紛れもなくビーの野郎だぞ。

 お前が白原杏季の知り合いなら尚更だ、止めとけよ。姉弟喧嘩の延長とかそんなレベルの物事じゃねーんだ。お前はここにいるべきじゃない」


 黙って潤は紅茶を一口飲む。喉を通って冷たい紅茶が体内に吸い込まれるのを感じた。

 至って冷静な素振りを努めながら、潤はグレンへ静かに尋ねる。


「お前はどうしてここに来たんだ? その口ぶりだとさ、ビーのやり方に賛同してないみたいだけど」

「俺はあいつが嫌いだ」


 あまりにはっきりと言い切ったので、驚いて潤はまじまじとグレンを見つめた。ワイトもまた、初対面の相手にいきなり告げるとは思っていなかったのか、意外そうにグレンを見つめている。


「俺がここに来たのは、ビーじゃなく前のリーダーの話に惹かれたからだ。聞いてると思うが、元々の頭はあいつじゃない。全部、ビーに変わってからおかしくなっちまった。

 はなから褒められたような事をしてたわけじゃない。けどビーのやり方は度が過ぎる」

「じゃあさ。どうしてお前らこそ、ここにいるんだ?」


 潤の言葉に、思わずグレンとワイトは顔を見合わせた。


「ビーが気に食わない。前のリーダーには賛同したけど今は納得がいかない。

 俺は来たばかりで状況も何もよく分からないけど、もし俺がお前らの立場だったら、とっくにそんなとこ抜けてると思うけど」


 じっと潤は二人を眺める。グレンは何事か言いたそうにして、しかし結局、言葉を口に出来ずにいるようだった。ワイトはそんなグレンの様子を横目でちらりと見遣る。


「それはだね」


 答えないグレンの代わりに、いささか間の抜けた口調でワイトは言う。


「やんごとなき事情が、俺達にもあるんだよ」



 ――そりゃあ、やんごとなき事情がなけりゃ、きっとお前らはここにいないんだろうよ。



 その言葉は飲み込んで、潤は紅茶と一緒に喉の奥へ流し込んだ。




 しばらく黙って紅茶を飲んでいると、かちゃりと音をたてて休憩室のドアが開いた。京也が戻ってきたのかと思い、潤が振り返れば、そこにいたのは別の人物だ。

 チェックのスラックスにタイを締めたワイシャツは京也と同じ制服だったが、彼より身長は低い。やや気弱そうな瞳に大人しそうな面持ちで、ビーほどではないがいかにも素行のいい優等生といった雰囲気が感じられる。


「あ、ナオ」


 言いかけたところでグレンに軽く頭を小突かれワイトは黙り込んだ。おそらく、また本名でも口走りそうにでもなったのだろう。

 その名に心当たりはなかったが、しかし彼の姿には潤にも見覚えがあった。昨日ビーたちと戦った時にビーの傍らにいた炎属性の人物である。確か名前は、


「アルド?」


 思わず声を漏らすと、向こうもこちらに顔を向けて反応する。


「そういうそっちは、ディー、だね」


 肯定するとアルドは破顔し、穏やかな口調で潤の近くへ歩み寄った。


「よく分かったね、アルドだって」

「元リーダーとやら以外で、顔をあわせていないのはアルドだけだったからなー」


 メンバーは不在のリーダーを差し引いて六人。紹介者の京也ことヴィオを知っているのは前提として、『恵』はビーにグレンにワイトにベリーと、既にほとんどと顔合わせが済んでいた。


「それはそうとディー。この後、まだ時間は大丈夫かな」


 紅茶を飲み干そうとする潤の目の前に、アルドはキーホルダーに付けられた鍵の束を掲げる。


「ビーから地下室の鍵を預かってきたんだ。今日はまだ本格的に活動はしないけど、折角だから中でも見てみる?」

「行く!」


 目を爛々らんらんと輝かせて潤は即答した。願ってもない申し出である。

 ビルの一階と二階に大したものはなかった。彼らの目的や秘密に繋がるものがあるとすれば、おそらくビーのいる三階か地下室のどちらかだろう。

 そして少なくとも補助装置は、地下の一室に保管されている。

 補助装置の保管されている場所を覚えておけば、隙を見て侵入し奪うことが出来るかもしれない。京也には反対されたが、それさえあれば彼女たちとてビーに対抗できるのだ。

 潤の反応を満足げに確認してから、アルドは今度、グレンとワイトに目を向ける。


「二人は時間ある? ちょっとこの後、ディーを案内した後で集まれるかな。

 イレギュラーだけど全員集合してるし、新しいメンバーも加わったから、改めて今後の予定を確認したいってビーが言ってるんだけど」


 アルドの話を聞くなりグレンは思い切り顔をしかめる。


「俺は帰る」


 言って、彼は素早く荷物をまとめた。


「今日はたまたま帰りに寄っただけだ。用もないのにわざわざあいつの顔なんざ拝む義理はない」


 鞄を肩に掛け、グレンは「お前はどうするよ」とワイトに問いかけた。ワイトは気怠けだるそうに窓の外の青空を見上げ溜め息を吐く。


「暑そうだし、俺はまだ外に出たくないからもーちょい涼んでく。どーせ話聞くだけなんだろ」


 再びソファーに寝転んで彼は答えた。グレンは頷くと、片手を上げて潤たちに一声挨拶し、瞬く間に去って行った。


「……まあ、いいか」


 後姿のグレンを見送ってアルドは呟いた。

 気を取り直して視線を戻すと、彼はワイトに告げる。


「それじゃワイト、お前はもう三階に行っとけよ」

「えー! やだよ、めんどいし。そっちが戻って来てから行けばいいじゃん」

「だから言ってんだよ。そのままだとお前、根っこが生えて余計この部屋から動かなくなるだろ。三階もエアコンは効いてるし、ヴィオもベリーもいると思うから」

「ちぇー」


 不満を垂れながらワイトは起き上がる。不精不精、彼が立ち上がるのを見届けてから、アルドは潤を促して部屋の外に出た。




 一階に降り、二人は地下へ続く階段へと向かった。奥まっている為か、昼間とはいえ辺りは薄暗い。

 壁に手を付けながら、潤はアルドの後を追って恐る恐る階段を下りる。自然光の差しこむ一階は明るいが、階段を一歩降りるたびに足元からは暗闇が迫ってきた。少し尻込みしながら潤はぼやく。


「……暗いな」

「窓がないからな」

「電気はないのか?」

「あるにはあるけど、頻繁に使う場所じゃないからブレーカー落としてるよ」

「昼間でこの暗さだと、夕方とか夜はもっと暗いんじゃん?」

「真っ暗だね。流石にその時は点けるよ。たまーにブレーカー上げ忘れてると、悲惨なことになるけど」

「そりゃヒサンだ」


 言いながら、不意にアルドは立ち止まる。階段が終わり、地下室の扉の前へ着いたようだ。彼は手探りで鍵を探し当て、手慣れた仕草で鍵を開けた。扉を大きく開け放つと、アルドは潤に向けて中を指し示す。


「ここが地下室の入り口。入ってすぐのとこは練習場になってる。暗いから、足元には気を付けて」


 暗くて室内はよく見えないが、どこかに明かり取りの窓でもあるのか、部屋の奥から微かな光が差し込んでいる。おかげで薄暗くはあったが、階段よりは余程明るかった。

 部屋は広く、悠に三十畳はあると見える。潤は興味深げに辺りを見回しながら室内に足を踏み入れた。


「もっとも」


 がちゃり、と鈍い音が室内に響く。



「気を付けるのは足元だけじゃなく、背後もだけどな」



 潤の背後で、かちゃりと鍵が閉まった。

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