虚偽の海に沈む佳日(2)

 二人が一階の奥から引き返してくると、きい、と音をたてて玄関の扉が開いた。

 見れば、そこにいたのは見覚えのある二人組、グレンとワイトである。制服姿の彼らは暑そうに顔の前で手をぱたぱたと振っている。


 最初は潤たちに気付いていないようだったが、二人が入り口のホールまで歩いてくると、彼らは目を見開き動きを止めた。ワイトはじっとこちらの方を見たまま固まっている。

 潤は何か喋ろうとしたが、あまりにワイトが凝視してくるので気後れし、潤もまた彼を見返すしかなかった。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……何か顔についてる?」


 ついに耐えかねて潤が呟くと、ワイトは派手なリアクションと共におののく。


「つ、月谷だー!!」

「月谷ですけどー!?」


 素っ頓狂な叫びにつられて潤もまた叫び声をあげた。

 ここでの潤は弟の設定だったが、別に月谷であることに違いはない。


「落ち着けワイト。こいつは男だ」


 初めはワイトの後ろで驚きの表情を浮かべていたグレンだったが、途中で気付いた彼は冷静な声色でワイトに告げる。しかしワイトは相変わらず動揺したままだ。


「つ、月谷って男だったのか!?」

「待てよ。男が舞女にいるわけないだろ」

「じゃあ何で男なのに女子校にいるんだよ!」

「だからそうじゃなくてだな」

「女装!?」

「落ち着けっつってんだろお前!!」


 グレンが右手でワイトの頭を押さえ込む。ぐえっと奇声を発して、ようやくワイトは黙り込んだ。

 苦笑しながら京也が説明する。


「こいつは月谷の弟だよ。双子のな」

「弟? そうか、オトコか!」

「そうだろうがよどう見ても」


 ようやくワイトは飲み込めたようで、今度は物珍しそうに潤をじっと眺め、人懐こく尋ねる。


「そっか、増えるメンバーって月谷の弟だったのか。なんて名前?」

「えーっと」


 一瞬、逡巡しゅんじゅんしてから、まあ良いかと素直に潤は答える。


「恵だよ、月谷つきやけい。でも、そもそもここって本名は名乗らないはずじゃなかったのかよ」

「ああ、そういえばそうだっだなー。まあいいじゃん適当で」


 ワイトの台詞にグレンが「おまえなぁ」と呆れ混じりに呟いた。しかし最早諦めているのか、その先は続けない。


「恵さ、お前なんで姉ちゃんが向こうにいるのにこっちに来たの?」


 何も考えていないような口ぶりで、ワイトはいきなり核心をついてきた。動じはせず、潤は至って軽い口調で答える。


「そりゃ、にっくき潤のやろーをぎゃふんと言わせるためだよ。真正面から潤をおちょくれて暴れられるんだ、こんな面白そうな話にのらないテはないだろー」

「お前のとこ、仲悪いの?」

「仲悪いも何も。双子ってのはなまじ距離が近いから、仲が良すぎて仲が悪い」

「よく分かんねーよ、それ」

「そりゃ、そうだろうな」


 左手を腰に当て、潤は胸を張った。左手には例の抑制具がしっかりとはめられているが、違和感はない。


「つまり、単に俺は潤に対抗する大義名分が欲しいだけなんだ。だから深入りはしない。短い間だけど、よろしくな」


 そう言って『月谷恵』はにこやかに微笑むのだった。




 グレンとワイトが二階に上がった後で、京也は無言のままじっと潤を見つめる。


「……何だよ」

「いや、よくもまあ、ああも流暢りゅうちょうに切り返せるよなと思って」

「あいつが普段言ってることをそのまま返しただけだからな」


 頭の後ろで腕を組みながら潤が舌を出す。


あいつはそういう奴なんだよ。実際この町にいたら、マジでその理由でここにいそうだからタチが悪い」


 どうやら恵は、潤に関してなかなか好戦的なようだった。

 へえ、と頷いてみせた後で、ふと気付いたように京也が尋ねる。


「そういや『潤』の方が『恵』よりも口が悪いのな、お前」

「何か文句でも?」

「『潤』バージョンだったらどういう口調になる?」

「何か文句あんのかよこのやろう!」

「あー。そっちの方が違和感がないな。あんたには」

「どういう意味だ長髪ナルシスト」

「はいはい上に行きますよ猫被ってくださいディーさーん?」


 先を行く京也の後姿に向けて軽く舌打ちすると、潤もまた二階へ続く階段を登った。






 休憩室に向かおうと廊下を歩く途中で、不意に京也が足を止めた。横を歩いていた潤も、何事かといぶかしんで立ち止まる。


 次の瞬間。

 ごうっと音を立てて、潤の耳元を突風が吹きぬけた。


 潤はひっと息を飲んで肩をすくめた。窓が開いている訳ではなく、無論クーラーの風でもない。突然の出来事に目を白黒させていると、今度は奥の壁から折り返してきたように逆方向から同じような風が吹いて、潤と京也とをあおった。

 ようやく風が止むと、今度は軽快な足音が迫り、ばっと人影が飛び掛る。


「ヴィーオたーーーん☆」


 杏季程ではないが、高いきゃぴきゃぴした声色の少女が、勢いよく京也に抱きついた。慣れているのか、京也はたいして身じろぎもせずにそれを受け入れる。やや表情を引きつらせ、うんざりしたような、どこか遠い眼差しで京也は斜め上の方角を仰いだ。

 京也は起伏のない口調でもって儀礼的に挨拶する。


「やぁベリ子。今日も元気でなによりだね」

「そう言うヴィオたんは元気がなーい! 夏バテ? 夏バテ? それはよくないぞ不健康! もっと栄養のあるもの食べなきゃ駄目じゃない! おばさまだって気にしてるのよもうあなたお昼にもご飯食べさせてもらいなさいよ外食ばっか増えるからそうなるんじゃない大体お昼だったらヴィオたんが頼めば私がいくらでも」

「はいはいはいはい分かった分かった僕が全部悪かった!!」


 勢いよくまくしたてる彼女の言葉を遮り、京也は無理矢理、彼女を引き剥がした。不服そうな面持ちであったが、大人しく彼女も離れる。

 そこでようやく傍らに佇む潤の存在に気付いたらしく、彼女はまたぱっと顔を輝かせ、今度は潤に向き直った。


「あ、あなたが今日から来るっていう人ね? えっと」

「ディーです。お嬢さんは?」


 彼女につられ、つい潤も早口になる。先ほど京也が『ベリ子』と呼んでいたことと、彼女が女性であることから検討はついていたが、一応、潤は尋ねた。

 彼女は快活に答える。


「私はベリー! ここの紅一点! 男ばっかでむさくるしいけど私がいるから安心してね、因みに私は制服見れば判ると思うけど聖憐せいれん学院なの、ってあなた東京の高校だっけそれじゃあ分からないわよね!

 あっなんで名前がベリーなのかっていうと可愛いから! ほら聞いてると思うけどってかさっき見たとおりだけど私って属性が風でしょ、でも風に色ってなんか想像できないし透明とか切ないし、どうせなら可愛いのがいいって頼んだらローもいいって言ってくれたしね、まぁ適当だものコードネームなんて! でもヴィオったら私のことベリ子って呼ぶのよ別に構わないんだけどベリ子だとちょっと間抜けな感じがすると思わないそうでしょう?

 ところであなたディーってことは何かしらディーがつくのっていうとディープブルーとか? ああそうねそういえば水属性だってヴィオたんから聞いたものビーと被っちゃうからそうしたのね素敵な名前だと思うわ!」


 圧倒されて潤は口を挟む隙がなかった。彼女が一方的に全部喋ってくれたので楽といえば楽だったのだが、潤が気になる点には残念ながら言及はしてくれないようだ。

 潤は思いきり地元の人間なので、ベリーが着ていた上品な臙脂えんじ色のセーラー服から彼女が私立のお嬢様高校である聖憐せいれん学院の生徒であることは分かっていた。しかし何故そんなお嬢様女子高校の子がむさくるしいところの組織にいるのかとか、肝心の事情は分からない。


 あらかた喋って満足したのか、ベリーはようやく一呼吸置いた。次にまた喋り出すといつ止まるか分からない、と潤は慌てて口を開き、右手を差し伸べる。


「短い間になると思うけど、よろしくな」


 差し伸べられた手を取ると、ベリーは潤の顔を覗き込んだまま、にわかに静止してしまう。

 何か違和感でもあっただろうか、と潤はどきりとしたが、思い当たることはない。ジュールはしっかり働いていて男の姿のままだったし、発言でボロを出すもなにも、ほとんど潤は喋らせてもらっていないのだ。


「な、……何? 何か?」


 困ったように潤は呟いた。潤の言葉に弾かれたように飛び退いて、ベリーは祈るような形で両手の平を合わせる。


「……か」

「か?」

「カッコいい……っ!」


 心なしか間抜けに響いた潤の反芻はんすうに後押しされるかのように、ベリーは手を自分の両頬に当て、内側から搾り出すように切羽詰った声を上げた。

 つい、また間抜けな声を漏らしてしまいそうになるのを潤は飲み込んだ。


 今の潤は男だ。ただの握手ですらお嬢様高校の彼女には刺激が強かったのかもしれない。それにしては、さっき京也に思い切り飛びついていた筈なのだが。

 呆然とする潤を余所に、ベリーはくるりと振り返って京也の胸元をがしりと掴む。


「ちょ、なにこの人超かっこいいぃぃぃぃ!!」

「はいはい、良かったな……」


 ベリーの登場から心ここにあらずな表情を貫く京也だが、尚のことそれは増長したようだ。揺さぶられながらその無に近い表情を崩さない。


「これからどうかよろしくねディーくん! 私今まで外出るときは大抵ヴィオたんと組んでたんだけど今度からは是非三人で行きましょうそうしましょう! それからヴィオたんは別に彼氏じゃないし今恋人は誰もいないから大丈夫!」



 ――いや、何が。



 心の中で思わず突っ込んだが、しかし彼女の言わんとするところは理解した。

 ベリーはようやく京也を解放すると、ひらりと身を翻して階段の辺りまで駆けて行く。


「これからどうかよろしくねディーくん! 色々な意味で!

 あとそれからこれが本題なんだけどさっきビーが呼んでたからヴィオたん三階に行った方がいいわよちゃんと伝えたからね、それじゃあまたねディーくん! あと愛しのヴィオたん!」


 そう言い残し、最初から最後まで二人を翻弄したままにベリーはあっという間に姿を消したのだった。




 唖然として立ち尽くしていたが、京也が深く息を吐き出した音が聞こえ、潤もまた我に返る。


「体力吸われた」

「だろうな」


 短く答え、京也はベリーに乱されたネクタイを整えた。


「お前が言ってた知り合いって、あの子の事か」

「まぁね。腐れ縁の幼馴染だ。……ともあれ、さっきのでベリ子の事は大体分かったろ」

「おしゃべりでハイテンションできゃぴきゃぴだけど若干おばさんも混じっているということはよく分かった」

「よし、それだけ分かれば十分だ」


 深く頷き、その後で京也は顔をしかめた。何かを思い悩んでいる風でもある。ちらりと潤を一瞥し、京也は深く息を吐き出した。

 不思議そうに潤は尋ねる。


「どうした? ビーに呼ばれたんだろ。行かなくていいのか」

「いや、あぁ。……気が進まなくて」


 妙に重い声音で、京也は言った。

 何か考えこむように一瞬だけ目を伏せてから、彼は静かに告げる。


「月谷。手持ち無沙汰だったら先に帰ってろよ。単独行動だと危険だ」

「帰るわけないだろ。まだ他の連中ともほとんど話してない。どうせそんな時間は掛からないだろ。休憩室にいるから、終わったら来いよ」

「そうか。……そうだったな」


 彼女を一人にするのが不安な様子の京也を余所に、事もなげに潤は言ってのけた。本人にそう言われては、彼も納得するしかないようだ。仕方なしに京也は頷く。

 二人は別れて、京也はビーのいる三階へ、潤は他のメンバーが集う休憩室へと向かった。

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