夜は短し走れよ乙女(3)
その時。
覚悟した鈍痛は襲っては来ず、代わりにザンッという小気味いい音と、何かがどさりと地面に転がる音がした。腕で
思わず奈由はその場にへたり込んだ。何が起こったのか分からず、混乱したまま彼女は恐る恐る目を開ける。
そこには、切り落とされた蔓の残骸があった。
そして、夜の闇に溶け込みそうな黒地の浴衣。
目の前には、奈由を庇うように一人の人間が立っていた。見上げた奈由は、
――茶髪なら分かる。金髪もまあいいとしよう。
「何故に長髪?」
思わず小声で本音が漏れた。
その人物は、背中まで伸びた長い髪を一つにくくっていた。一瞬、女性かと思うが、恰好や高い背丈からみると、どうやら男性である。
そして両手には、銀色に光る薄く細長い物体を握っていた。
どう見ても、刀である。
彼は刀を握り直し、地を蹴って前へ飛び出した。もう一本の蔓をいとも簡単に切り払うと、彼は電信柱に巻きついている蔓をも切り裂き、地面から完全に断ち切る。切り落とされた植物はさっきの蔓と折り重なり、静かになった。
しばらくそれを凝視し、動く素振りがないのをしかと見届けてから、彼は左手に持っていた
「……やり過ぎなんだよ」
呟き、彼は無表情のまま乱れた髪を手で無造作に払った。
その場に座り込んだまま、奈由は一連の出来事をぽかんと眺めていた。視線に気付いた彼が、踵を返して奈由に歩み寄る。片膝を立てて座り込むと、彼は奈由の左手を取って微笑を浮かべた。
「ケガはないかい、な――名前の知らないお嬢さん」
「え、あ? ハイ」
「それは良かった。綺麗な肌に傷でも付いたら大変だからね」
「……はぁ」
先ほどまでの彼の所作と今の台詞とのギャップに、つい奈由は間の抜けた返答をする。にこやかな笑みと共に彼が少し顔を傾げると、左右に分けた長い前髪がさらりと揺れた。
状況が飲み込めていない奈由は、しばらく無遠慮に彼を見つめていたが、やがてはっと我に返り礼を述べる。
「あ、えっと。助けて頂いてありがとうございました」
「いや。元はといえばあいつらの所為だ。礼には及ばないよ」
彼は顔を曇らせた。
言いながら視界の隅に何かを見咎めた彼は、奈由の浴衣の左袖をめくる。彼女の左腕にはミミズ腫れのように赤い一筋の痕が浮き上がっていた。先ほど蔓がかすめた時の傷だ。
先ほどまでは蔓との立ち回りに夢中で忘れかけていたが、落ち着いた今は火傷に似た軽い痛みが腕に走り、奈由は少し顔を
「ひどいな」
「あ、でもこれはかすっただけで。ちょっとヒリヒリしますけど、大したことないので」
「それでも、傷は傷だ」
言って、彼は奈由の腕を労わるようにそっと自分の左手で奈由の肌を撫でる。
すると。
「…………!?」
「今のことは、内密に」
彼は唇に人差し指を当て、悪戯めいた笑みを浮かべ囁いた。
次の瞬間。
突如、側面から水流が飛んできて彼を襲った。いきなりのことで避けられなかった彼は、まともに頭から水を浴びる。
「なっちゃんから離れろこの変態!!」
そこには、口元を引きつらせた潤が、肩を怒らせて立っていた。
水鉄砲程度の威力とはいえ、直撃すればじっとり濡れる。頭からぽたぽたと水滴を落としながら、彼は唇をひくりと引きつらせた。
「……そうだった。すっかり忘れてた」
「離れろっつってんだろ貴様ぁ!」
潤はわなわなと身体を震わせながら、怒りにまかせて二発目の水流を放つ。今度は彼は右手でガードし、頭から被るのだけは阻止した。
潤の攻撃をいなした彼は無表情で立ち上がる。
その間に潤はつかつかと歩み寄り、勢いよく彼の胸ぐらを掴んだ。
「貴ッ様……! 何してくれてんだこの外道!」
「助けて貰った人間に随分なご挨拶だなこの乾燥ワカメが」
「はぁあ!? 誰が乾燥ワカメだこの長髪ナルシストが!!」
出会い
身長170センチの潤は女子にしては背が高い方だが、彼はそれより拳二つ分、高い。必然と彼が潤を見下ろす形になるが、それが余計に潤の
「てっめぇ……なっちゃんに何セクハラかましてんだこの変質者!」
「断じてセクハラではない。いいから手を離せ礼儀知らずの直情女」
「ふっざけんなそれで済むと思ってんのか地に伏して詫びろ変態野郎!!」
「残念ながら僕が謝る理由がビタイチたりとも存在しないんだがな乾燥ワカメよ」
「ワカメワカメしつけぇよ長髪ナルシストがよぉぉぉぉ!!!」
二人は互いに殺気立った目で睨み合った。潤は胸倉を掴んでいた手を振りほどき、歯を噛み締めながらビッと彼を指差す。
「この野郎……! 天パをバカにした上サラサラストレート、おまけになっちゃんへ手をだしやがった! 今この瞬間、貴様は私の変態ブラックリストへ永遠に名が刻まれた!」
「まだ僕の名前も知らない癖に何をほざいてるんだか」
鼻で笑いながら彼は浴衣の胸元を整えた。
潤は一瞬口ごもるが、すぐ気を取り直し彼へ無遠慮に指を突き出す。
「……名を名乗れこの長髪ナルシスト!」
「生憎と無礼な乾燥ワカメに名乗る名は持ち合わせちゃあいないが、あいつの手前特別に教えてやろう。コードネーム『ヴィオ』だ、覚えとけ」
「ヴィオ、だぁ……? てめぇ、やっぱりグレンとかいうあのヤロー共の一派だな! にゃろう、だったらぶっ潰すのに好都合ッ……!」
またもや掴みかかろうとした潤だが、彼はそれより素早く刀を抜き、潤へ向け刀を突き出した。彼女の顔より十数センチ横に離れたところで、切っ先はぴたりと止まる。
さすがの潤も硬直し、冷や汗を流した。
「んなっ……何しやがんだお前!」
「黙らせてやった。ありがたく思えよ」
やや威勢の削がれた潤を見て彼はあっさり刀を引っ込める。刀を肩に担ぎながら彼は呆れ顔で言った。
「ったく。少しは落ち着いて話をする気になれないのか。
冷静に物事を考えてみろよ。僕がこの場で何をした」
ようやく口を
「脱線して申し訳ない。僕はヴィオ。君たちと同じ、清く正しい高校三年生だ」
「……何で、私たちが高三だって知ってるの?」
「そこはひとまずさて置こう。それより急いで聞きたいことがある。
状況からして間違いないと思うが、この先にグレンたちがいるんだね?」
少し悩んでから、奈由は頷いた。
「うん。グレンと、それとワイトって人が、私たちの友達を追いかけてる」
「分かった。そしたらまずは後を追おう。君たちもあいつらを追いかけているんだろう?」
奈由は無言で再び頷く。
突然登場したヴィオのことをどう判じたらよいのかまだ決めかねていたが、奈由を助けてくれたのは確かだったし、先を急ぐのは彼女たちも一緒だった。
「あぁ、そうだ。そこの天パ。僕も名乗ったんだからお前も名を名乗れ」
思い出したように振り返ると、ついでのようにヴィオは尋ねた。
ビッと親指を下に向けながら喧嘩腰に潤は吐き捨てる。
「潤だ。月谷潤! 貴様を闇に葬る名だ、覚えとけ!」
「成る程、僕に足蹴にされる名か、気が向いたら覚えておこう」
「聞いておいてなんだよてめーはよう!」
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