夜は短し走れよ乙女(4)

 春と杏季は、息を切らしながら暗い夜道を走っていた。慣れない浴衣であるため早くは進めない。人通りのない道に草履のカタカタという音が響き、その音が焦りを募らせる。


 潤たちと別れた小道から二回ほど角を曲がったところ、寮まではまだ数分かかるという場所で、二人の体はまたしてもがくんと沈んだ。

 先ほどと同じ感覚である。


「ちょっと止まっててくれよなー。もうちょいであいつも来るからさ」


 背後から聞こえるのは、どこか暢気のんきなワイトの声。追いつかれてしまったようだ。

 春はくらむ頭を抱え、渋面で後ろを振り返る。今はワイトだけだが、響いてくる足音から察して、グレンが来るのは時間の問題と思えた。


「それは、……どう、でしょうかねっ……!」


 春は唇を噛み、自身の平衡感覚と戦いながら雷撃を放つ。ワイトの術のせいで上手く照準が合わず、半ば当てずっぽうの攻撃であったが、奇声をあげてワイトはのけぞった。直撃こそしなかったようだが、彼の体勢を崩すのには成功したらしい。

 すかさず春は杏季を無理矢理立ち上がらせる。


「今の隙に、行ってあっきー! 私がくい止めるから!」

「でも、それじゃ」

「いいから早く! あいつらの狙いはあっきーなんだから!」


 春の言葉に杏季は必死の形相で頷き、ふらつきながらも一人、先へ進み出した。

 それとほとんど同時にグレンが合流する。状況を把握した彼はそのまま杏季を追おうとするが、前へ踏み出そうとした矢先に春の電撃が彼を襲った。咄嗟とっさにグレンは足下から植物の防壁を生やし、応戦する。


「ワイト。お前、行っとけ」

「えー、また走るのかよ」

「つべこべ言うなよ。だったらお前がこっちを食い止めろ」

「やだよ、雷の相手すんのビビるもん。じゃ、先行ってるからな」


 春とグレンが理術をぶつけ合う横をすりぬけ、ワイトは杏季を追った。攻撃を防ぐのに手一杯でワイトを止められず、春は小さく舌打ちする。


 グレンは右手を前に出して構えた。

 と、春の周囲から数本の細い蔓が伸び、雷撃を操る彼女の腕を拘束する。


「悪いな。いつまでもこうしてる訳にゃいかねぇんだ」

「それはこっちの台詞ですけどねっ!」


 が、春は即座に自身の腕に電撃をまとわせてグレンの植物を焦がし弱めてから、乱暴に引きちぎって振り払う。


「……んで、効くんだよ……!?」


 グレンがぼやくのが聞こえた。

 怪訝けげんな表情を浮かべ、彼は両手を地面に付く。

 途端、今度は足元から幾多もの植物がざわざわと音を立てながら生え始めた。

 瞬く間に植物は彼女の腰の高さまで育ち、思わず春は腕で顔を庇う。


 気が付いた時には、高さが二メートル以上あろうかという植物が辺り一面に生え、道を覆っていた。困惑して春は辺りを見回す。


「……何、これ」


 鬱蒼うっそうと生い茂った植物の群生の中に、一人春は取り残された。隙間なくみっしりと生えた草原の中では、身動きはままならず、一メートル先すら見渡すことはできない。

 おそらく彼女の足止めが目的だろう草むらの中で、春はすっと目を細める。


「そうはいかない、っての!」


 小声で呟き、彼女は手の中で雷のエネルギーを発生させた。やがて人の頭ほどの大きさに成長した電撃の塊を、勢いよく前へ向けて放つ。

 放たれた電撃は草を薙ぎ払い、真っ直ぐ道を切り開いた。そのまま一気に外まで駆ける。


 だが。



「……マジかよ」



 グレンは飛び出てきた春を凝視し、信じがたいといった表情で呟いた。

 そして春は、よろめいて地に膝をつく。


 体が思うように動かない。先程の目眩めまいを伴うワイトの術とは別種の感覚だった。どちらかといえば花火大会の時に味わった痺れに似ている。


 春はぎこちなく首を動かしグレンを睨んだ。グレンはグレンで、焦りを隠しきれない様子で下唇を噛む。


「念には念を。過剰すぎる気もしたが、正解だったみてぇだな。ここまで瞬時に突破されるとは思わなかった」

「……花火大会の時と、同じね」

「それより即席だから効きが弱ェけどな。

 植物の麻痺毒を利用した理術の応用だ。安心しろ、別に大した毒じゃねぇ。数分もすりゃすぐ動けるようになる」

「何だって、こんな真似……できんのよ」

「それはこっちの台詞だ」


 問いをそのまま返され、春は戸惑った。グレンは春から数歩離れた場所で、彼女を値踏みするようにじっと見下ろす。


「理術の中じゃ、雷は攻撃力や速さは随一だ。

 一方での問題点は。本来なら、術の精度や命中率が極端に落ちることだ。

 大抵は当てずっぽうに近くの空間へ微弱な電撃を出せるくらいで、攻撃に対して対抗できるレベルの理術すら出せない。

 普通なら、今みたいに高密度の電撃を飛ばすことなんざ出来ねぇんだよ。まして、被っていたお面の紐にピンポイントで攻撃を当てるなんて芸当出来るハズがねぇ。

 ……なんで、それが出来るんだ?」


 昼間の出来事が思い出され、春は口籠る。内容が内容である。そうそう人に、まして友人を狙う敵に話すわけにはいかない。


「誰かさんたちがいきなり仕掛けてきたから、火事場の馬鹿力ってやつじゃないの? そっちだって、だいぶ派手な理術を使ってるくせに」

「俺たちはいいんだ。関わる筈のない人間が使っていることが、不可解なんだよ。

 ……そうだな。その可能性は考えたかねぇが、雷は『黄』だ」


 後半はほとんど独り言のようにグレンは呟いた。困惑する春を余所に、グレンは彼女の前で座り込む。


「名前は?」


 正直に言うのは気が引けたが、杏季の名は既に知られている。隠したところでいずれはばれるだろうと踏んで、渋々春は口を開く。


「畠中春。『春』って書いて『あずま』」

「『春』で『あずま』?」

「そう。よく間違われる上、たまに男の名前だと思われるから面倒なんだけどね」

「ああ、確かにな。その気持ちはよく分かる。

 ……じゃあ、畠中春さん」


 苦笑してから居住まいを正すと、グレンは些か緊張した口調で春に語りかけた。今までと違う物言いに少し面食らいながら、春はグレンを見つめ返す。


「俺たちの仲間にならないか?」

「……仲間?」


 今度こそ春は面食らって、彼の言葉を反芻はんすうした。しばらく黙り込んだ後で、春は呆れ交じりの声色で聞き返す。


「あなた、本気で言ってるの?」

「そう言われるのも当然だとは思うが、俺は確かに本気だ」

「訳が分からない。あんたたちはあっきーを狙ってるんでしょう。それなのに私を仲間に引き込むって、一体何がしたいわけ?」

「別に俺はお前らの敵じゃない。ただ、白原に協力して欲しいことがあるだけなんだ。

 けど白原がまずその条件を満たすか確かめるためには……少々手荒な手段で攻撃しないといけねぇんだ。俺だって、好きで攻撃したわけじゃないんだよ」


 グレンは表情を曇らせながら、困ったように前髪をくしゃりとかきあげた。春はいよいよ困惑しながら強い口調で問いつめる。


「目的は、いったい何なの。何のためにあっきーの力を借りようとしてるの」

「……それは言えない」

「それで仲間になれ、信用しろってのは、いくら何でも調子が良すぎるんじゃないの?」

「言わないんじゃない。言えねぇんだ。知らされてないんだよ、俺らにも」


 一瞬瞳を泳がせた後で、グレンは吐き捨てるように言った。

 その回答に春は目を見開く。


「目的が何かも知らないまま、ただ闇雲にあっきーを狙いに来たって訳?」

「俺だけじゃないよ。あいつも、ワイトもだ。知ってるのは一部の奴らだけ。俺たちはリーダーに言われるまま動いてるだけだ」

「どうしてそんな、メリットがあるのかどうかも分からないことに力を貸してるのよ」

「メリットがないってわけじゃない。それに、……俺の理由なんてどうだっていいだろ。

 とにかく、俺たちは確かめる必要があるんだ。白原が『適合者』なのか否か。それに加えて俺たちにはもっと仲間が要る。今のままじゃメンバーが足りない」


 一旦、言葉を切ってからグレンは顔を上げ。

 彼は春に自分の右手を差し伸べた。


「一時的なものであれ何であれ、仮初かりそめの力でもあれだけの理術を使ったことには変わりない。おそらく、畠中さんには力がある。

 もう一度言う。俺たちの仲間になって欲しい。白原の事は抜きにしても、だ」


 グレンはその後にまた何か言葉を続けようとしたが、躊躇ちゅうちょした後で結局それを飲み込む。その言葉を押し込めるかのように彼は強く唇を結んだ。

 春はその事には気付かずに、ぼそりと告げる。


「以上の説明で、私が仲間になると思う?」

「……だよな」


 グレンは息を吐き出し、残念そうに立ち上がった。


「当然の解答だろうな。こっちに加わる理由は何もない、易々と仲間になるという方がどうかしてる」

「とりあえず、あんたが根底から悪い奴じゃないってことは分かった」


 春はきっぱりと言い放った。

 グレンは驚いて振り返る。


「何か、事情があるのは分かったよ。……話し合いの余地くらいはあるよね。そっちだって本意じゃないんでしょう」

「ああ。……こんな状況になっちまったが、それでどうにかなるなら俺だってそうしたい」


 グレンの術の効き目が弱まってきたのか、春もまた緩慢な動作で立ち上がった。まだ完全に自由が効くわけではないらしく、起き上がる際に彼女は少しよろける。

 その拍子に、長い髪をまとめていたかんざしが外れ地面に落ちた。かんざしだけで結わえられていた髪はさらりと肩に落ちる。

 春は拾おうとするが、いきなりは動けないらしい。手間取っている春を見て、思わずグレンはそれを拾って春に手渡した。


「ありがと」


 肩まで垂れ下がった髪をかき分けながら、気負いなく言って春は微笑む。


「いや、……ああ」


 グレンは急に口籠り、目を反らした。




 と、その時。


「そっこまでだ、植物うにょうにょ人間!」


 春には馴染み深い、そしてグレンにも聞き覚えのあるハスキーな叫び声が一帯に響き渡った。二人は同時に声のした方を振り返る。

 予想違わずやってきたのは、潤と奈由。


「しょ、植物うにょうにょ人間って」


 あまりの言いように口を引きつらせたグレンだが、彼女たちの後ろにもう一人の姿を認め、唖然とする。


「なんでお前がここにいるんだよ」

「グレンたちと同じ種類の別の目的だよ」


 ヴィオは刀を担いだまま、一歩前に進み出る。春は奈由と同様、彼の風体に驚きじっと凝視した。

 ちらりと春に視線を移すと、ヴィオは静かに告げる。


「頼むから、動かないでくれよ」


 言って、ヴィオは手にした刀の切っ先を素早く春に向けた。

 先ほど潤にしたのと同じように、十数センチ横で刀はぴたりと止まる。


「ちょ、テメェ何してんだよ!?」


 思わずヴィオの手を掴んだグレンを、彼は呆れて見遣る。


「何って、既に彼女たちに十二分に手を出してるお前がそっちこそ何言ってるんだ。

 それより判ったろう、グレン」

「……え?」


 春に向けた刀の先端は、ぽっきりと折れていた。

 誰かが理術を使った気配はない。もろくなった刀が反動で折れたわけでもなさそうだ。そもそも刀は、春に触れさえしていないのだ。

 春は呆然と切っ先を眺めていた。彼女や、潤と奈由もその目で確認している。刀は、春に近付く間際、まるで彼女を避けるかのように弾け飛んだのだった。



「反応したのは、二人が追ってる古の子じゃない。

 『適合者』、……いや。晶石の加護を持ってるのは、この子の方だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る