草間奈由という生物オタク

「私の愛する娘たちに仇なすタラシと変態は養分にします」

「何言ってんのなっちゃん!?」


 淡々と禍々しい台詞をのたまう友人に、春は悲鳴にも近い声を上げた。

 奈由は滅多にその整った顔のポーカーフェイスを崩さないが、付き合いの長い友人であれば、微かにしわの寄った眉間から彼女がほんのり苛立っていることが分かる。

 しかし潤は、奈由の表情も自分が宙吊りになっていることもお構いなしに、両手を広げ彼女の右腕に抱き付いた。


「聞いてくれよマイスイートなっちゃん! この変態が虐めるんだよう。つきましては慰めてくれませんかね」

「離してくれませんかタラシめ暑苦しい」

「冷たい! いいじゃん別にぃー減るもんじゃないしぃー!」

「つっきーに抱きつかれた分、増量した汗の所為で体内の水分含有量が減る。あとセクハラです」

「女同士ですけど!?」


 すげなく潤の腕を振り払ってから、気が済んだのか奈由は静かに二人を床に下ろした。


「さておき、つっきー。よくも私の娘に乱暴を働こうとしてくれましたね」

「ごめんなさいついうっかりだったんです許してなっちゃん」

「浅はかめ」


 またもやすがり付く潤を奈由は冷たくあしらった。


 娘、というのは植物に対して奈由が使う呼称だ。

 奈由は植物のこと、とりわけ自分が育てたり、『草』属性である彼女が理術で生やした植物のことを愛でるあまり、度々そう呼ぶ。

 そんな奈由の愛する植物を潤が不用意に引っ張ろうとしたため、少しばかり彼女のお怒りに触れたらしい。


 奈由を刺激せぬよう蔓を横目で眺めるだけにとどめながら、春は奈由に尋ねる。


「ところでなっちゃん。これは一体?」

「私の愛すべき娘たちを体育館の扉とコラボさせたら、人間に忘れ去られた山村の廃屋にも似て凄く写真に映えるかなと思って」

「おいこら生物オタク!」

「というのは冗談で、後から這い出てきた虫が別の場所に行って二度手間にならないよう、あらかじめ体育館への通路を塞いでおいたの」

「なるほどねぇ。流石なっちゃん!」

「というのは建前で、メインの目的は次のコンテストに出品する用のアレ」

「…………」


 すっと奈由は首から提げた一眼レフのカメラを掲げる。余談だが、彼女は生物部兼、写真部でもあった。

 つっこむのを諦めて、春は話題を逸らす。


「えーと。なっちゃん、首尾はどう?」

「このバリケードより手前は全部チェック済み。もう体育館以外の場所は大丈夫だよ。

 けど残念ながらプラナリアもキイロタマホコリカビもめぼしい生物は発見できなかった。惜しい。体育館に賭けるしかない」

「ごめんそれは聞いてないけど体育館での検討をお祈りしますね!

 ところで、あっきーは?」

「あっきーの担当エリアも終わったってさっき連絡が。けど、こっちに来る途中でもう一箇所だけ駆除対象を見つけたから、先に行っててくれって」

「ありゃ。手伝いに行かなくても大丈夫かな?」

「平気だって。アメリカシロヒトリを鳥に一匹一匹食べさせてるらしいよ」

「地道!」


 絵面を想像して、春は脱力した。


「じゃあ。私たちは先に行きましょうか」


 二人を促すと、ぱちん、と奈由は右手の指を鳴らす。

 それを合図に、あれだけ複雑に扉へ絡みついていた蔓はするすると地面に還っていった。




 奈由が封印していた扉をくぐり、とりたてて異常のなかった廊下を過ぎて、彼女たちは第一体育館の前まで辿り着いた。

 入り口の扉はぴったりと閉ざされている。そっと潤が扉を細く開けるが、隙間から怪しいものは見えない。

 意を決して、彼女は勢いよく扉を全開にした。背後から春が用心しつつ顔を出し、左右を見回す。


「……とりあえず何もいなさそうだけど」

「ちぇー何だよ拍子抜けだなぁ」


 潤は体育館内に入り、照明のスイッチを押した。他の二人も後に続くが、がらんとした体育館には虫どころかボール一個落ちておらず、ただ平坦な床が広がるのみだ。

 緊張感の切れた春は、固くなった体をほぐそうと腕を伸ばす。そして思い切り背伸びしたところで、不意に動きを止めた。

 春の視線につられて二人も天井を見上げる。


 やがて誰にともなく数歩後ずさり、そのまま廊下に戻って扉を閉めた。


「おい。何故閉めた貴様」

「やかましい。お前も逃げただろタラシ」

「タラシは関係ねーだろ変態!」


 小声でののしり合ってから深呼吸し、再度、潤は扉に手をかける。

 今度は先ほどよりも慎重に、恐る恐る中を確認した。


 三人が見つめる先。

 入り口のすぐ真上にあたる天井には、一匹の蜘蛛が鉄筋と鉄筋との間に巣を張り巡らせていた。

 全身が黒く、脚には毛がびっしりと生えている。

 蜘蛛の生態に明るい人物はいなかったが、それがただの蜘蛛でないことは誰の目にも明らかだった。


 何しろ蜘蛛の大きさは、悠に二メートル近くもあったのだから。


「マジかよ」


 遠い目で潤はぼやいた。


「……どうするか、アレ」

「流石に退治するにもおっそろしいサイズだよ」

「研究対象としては興味深いけど毒があるかも分からないしね」

「説得すれば大人しくしててくれるかもよ?」

「いやいや説得とかそういう次元の話じゃな、

 ……っていつの間に来たあっきぃ!」

「今! ただいま!」


 気が付けば、さりげなく会話には四人目の声が混じっていた。他の三人よりも明らかに高いソプラノボイスは、遅れていた『あっきー』こと白原しろはら杏季あきのものだ。杏季は春の背後から、ひょこりと茶色がかったツインテールの頭を覗かせ、じっと天井の蜘蛛を見つめる。


「それにしてもおっきいねー。生命の新婦ですな」

「あっきぃ……もしかして生命の神秘って言いたいのかい」

「あっうん神秘神秘」


 右手を左の手のひらにぽんと打ち付けてから、杏季は潤を見上げる。

 

「どうする? とりあえず下に降りてきてもらって、蜘蛛さんとお話する?」

「だから対話を図ろうとするなよ! ……とりあえず蜘蛛は保留して、他の場所を確認しようか」


 潤の提案に三人は頷いた。

 なるべく音を立てぬよう、そろそろと壁伝いに移動する。元より体育館内に部屋はほとんどない。鍵のかかって入れない場所を除けば、残されていたのは体育館正面に位置する舞台と、その上手かみて下手しもてのスペースだった。今は舞台が幕で閉ざされていて、中の様子は確認できない。

 四人は上手側と下手側に分かれて調べ始める。


「んー、とりあえず下手には何もいねーみたいだけど……はったん、上手はどうよ?」

「こっちもいないよ。あっきー、音効室は?」

「いないよー。やっぱあの蜘蛛さんだけなんじゃないかなぁ」


 異常なしの報告に肩透かしを食らい、仕方なしにまた蜘蛛のいるエリアへ戻ろうとした時だ。

 舞台から、がたりと大きな物音がした。

 音に反応し顔を上げた潤は、まだ一人から報告の声を聞いていないことを思い出す。

 奈由だ。


 舞台へ続く階段を一気に駆け上がると、ステージの隅で奈由がへたり込んでいた。潤は慌てて彼女に駆け寄る。


「なっちゃん、どうした!? 何かヤバい奴でも」

「……な」


 ふるふると小刻みに震えた奈由は小声で何事か呟き、舞台の中央を指差した。

 指の先を視線で追った潤は、そのまま絶句する。


 舞台の上には、大きさにして二十センチほどの巨大なプラナリアが一体、照明に照らされながら横たわっていた。

 遅れて到着した春と杏季も、その異様な光景に目を奪われる。


「なにあれ……」

「プラナリア」

「知ってる、生物の図表で見た。違うそういうことじゃないんだ、あっきー」

 

 呆気にとられる三人を余所に、奈由は惚れ惚れとした表情を浮かべ、耐えかねたように声を漏らす。


「プラナリア……ッ! 可愛いっ……!」

「可愛いか!? 果たしてアレが可愛いか!?」

「可愛いに決まってるじゃん!」

「断定した!」


 キッと潤を睨んで言い返してから、奈由は拳を握りしめ、朗々と宣言する。


「諸君、目的は達成した! 綺麗な水と水槽を準備して祝杯だ!!」

「落ち着けなっちゃん! 元の目的そっちじゃない!」

「うるさい、私は至って冷静だし私のぷーちゃんへの愛を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえばいい」

「ぷーちゃん!? プラナリアのぷーちゃん!?」

「はっ大変、ぷーちゃんがぐったりしてる! 可及的速やかに保護しなければ!」

「ぐったりっていうか、ぐにゃりというか、形状的に元からそいつそうじゃない!?」

「やっぱり検証すべきは再生能力だけど一般的な個体と比較するために川辺にいって数体捕獲してこないと、でもそうか切断実験には一週間の絶食が要るから今のぷーちゃんの栄養状態が明白でない以上実験ができるのは」

「もしもし!? もしもし聞こえてるなっちゃん!?」


 巨大プラナリアの発見に浮かれる奈由は、すっかり自分の世界に入ってしまったようだ。一人でぶつぶつと何事か呟き始め、潤の言葉も耳に入っていないらしい。




 植物然り、プラナリアなどの扁形へんけい動物やキイロタマホコリカビなどの粘菌類然り。奈由は理科の生物分野でもっぱら扱われるような生き物を、こよなく愛していた。

 以て『生物 オタク』、と自他共に認めている。

 言わずもがな、召喚された生物に興味を示して参戦したのは奈由である。


 ただし。生物が好き、とはいえ、例外もあった。




 業を煮やした潤は、とんとんと杏季の肩を指先でつつく。


「あっきー。このままじゃ、なっちゃんが止まらん。手荒な手段だが仕方ない、アレを召還してくれ」

「……大丈夫?」

「この際だ。危なくなったらすぐに戻すように」

「らじゃ!」


 言われて杏季は、両手を空に掲げた。

 杏季は、この騒動を巻き起こした人物と同じ『いにしえ』属性。即ち生き物の召喚を行う理術の使い手だった。


 ぽん、という音と煙と共に現れたのは、一匹の小さなポメラニアン。

 召還された犬が、くーん、と切なげに鳴く。

 その声に反応し、奈由の肩がぴくりと動いた。視線を上げた先、そこでポメラニアンと目が合い、彼女は固まる。


「……め」

「め?」


 潤が反芻はんすうするが返事はない。代わりに彼女は、右手を犬に向け。

 にわかに、カッと目を見開いた。



「滅せよ地球外生命体!!!!!」



 一喝するなり、奈由の背後から、床を突き破って何本ものいばらが生える。背筋に冷たいものが走り、潤と杏季はヒッと小さく悲鳴を上げた。


「あっきぃ戻せーーー!!!」

「らじゃーーーーー!!!」


 素早く杏季は犬を戻す。次の瞬間、奈由の放った茨は犬の消えた場所へ突き刺さった。間一髪だ。


「床ァ……!」


 犬は間一髪だったが、代わりに犠牲になった床の惨状に、存外に常識人の春が嘆きの声を上げた。

 

 たたらを踏んでから、奈由は据わった目で潤に詰め寄る。


「何ていうことをしてくれるんですか……」

「だ、だってこのままじゃなっちゃん、日本語通じなさそうだったし」

「そうですけど……よりによって、地球外生命体……」


 肩で大きく息をつき、奈由はその場にへたり込んだ。


 先ほど植物やプラナリアに向けていた愛情とは一転、奈由は犬が大の苦手だった。とりわけ一般的に人気が高いはずの小型犬の類を「あれは人間に取り入り地球征服をもくろんでいる目だ」と地球外生命体と呼んではばからない。

 奈由が好きなのはあくまで植物と粘菌類、そして無脊椎むせきつい動物。哺乳類はそこまで好きではないらしい。


 何にせよ荒療治で奈由を正気に戻すことには成功したようだった。


「……まあ。ともあれ一刻も早くぷーちゃんを保護するために、まずはあの蜘蛛を一秒でも早く退治することが先決だね」

「そうだね……これ以上の被害を拡大させないためにもね……」


 奈由が床を突き破ったという事実に絶望しながら、春は同意した。




 彼女たちは幕の隙間からそっと蜘蛛の様子を伺う。巨大蜘蛛は変わらず天井に鎮座していたが、先ほどより巣が広がっているようだ。


「……ねぇ」


 気遣わしそうな面持ちで、静かに杏季が言った。

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