畠中春という変態

「ちょっくら鎖骨を確認させてもらってもいい?」

「真顔で何言うかと思えば黙れよこの変態メガネ!」


 身の危険を感じた潤は胸元を押さえ、ザッと派手に後ずさった。

 春は両手を前に出し、指をうねうねと動かしながら、じりっと潤に迫る。


「いいじゃん別に減るもんじゃないし」

「減る! なんか減る! きっと目減りする気がする! やめろこの変態!!」

「変態ですが何か?」

「開き直るな!」

「つまりあれだよねつっきー。今この場で私のことを変態と呼称したからには、つっきー自ら犠牲となって変態の餌食えじきになることを了承したと見做みなしていいよね鎖骨見せろ」

「駄目に決まってんだろ!?」

「何を言ってるんだい私にとって鎖骨見せろは挨拶や語尾みたいなものじゃないかつっきー鎖骨見せろ」

「嫌な語尾だなオイ!」


 迫りくる春の額を押さえ、潤は必死に抵抗した。

 笑ってから春は手をおろし、不意に語調を和らげる。


「いや、でも今回は真面目にさ。ちょっと看過かんかできないものが、つっきーの胸元からチラッと見えたんだけど」


 春の言葉に眉を寄せ、潤は抵抗の手を緩めた。その隙に春は潤の胸元に手を伸ばすと、ひょいと小さなものをつまみ上げる。春の指に収まった物体を見て、あら、と潤は声を上げた。

 目を輝かせている潤の手の平に春はそれを載せる。


「カタツムリ。ぬめっとしてたからナメクジかヒルかと思ったけど、違って良かったね」

「おわっ、いつの間に」

「湿気が多いから寄ってきたんじゃない? さっすがタラシ」

「さりげに言い方ひどくね?」


 口を尖らせてから、潤は「久しぶりに見た、可愛いなー!」と無邪気にカタツムリのツノをつついた。

 春もまたじっとカタツムリを眺める。


「……月谷の胸元を這ったカタツムリか……」

「ようしマイマイ森へお帰りー!」


 潤は急いで身を翻し、渡り廊下の側に生えている植栽へカタツムリを逃した。少しだけ残念そうに春もそれを見送る。

 額を拭う素振りをしてから潤は春に向き直る。


「何だよ。最初からそう言ってくれればいいのに」

「言ったじゃん。鎖骨確認させてくれって」

「日頃の! 行い!」

「人のことは言えないけどそっくりそのまま返すわタラシめ。

 あ。そうだ、あともう一個だけいい?」


 指でひょいと潤のブラウスを手前に引き、春はもう一度中を覗き込む。


「上から覗いてるのに、へそまで見える。もっと胸を大きくした方がいい」

「うるせーFカップ! なろうと思ってなれるモンならとっくになっとるわ!!」

「可哀想だから分けてあげたいけどちょっと難しいなぁごめんねつっきー」

「放っとけ! 『あっきー』よりマシじゃい!」

「あっきーは幼女だからいいんだよ。つっきーみたいなボーイッシュなタイプは、むしろ巨乳がコンプレックスで普段はサラシで巻いて大きさを隠してるくらいが好みだから、お姉さんとしてはもう少しつっきぃの胸にたわわに育って欲しいんだけど」

「貴様の趣味は聞いていない」

「揉んでくれる相手がいないならいつでも揉むよ?」

「ンなこと誰にも頼まねーし仮に魔が差したとしてもお前にだけは頼まねーよ!」


 基本的にはツッコミ気質のしっかり者で通っている春であるが、それだけで済ませるには一つ致命的なことがあった。

 即ち『変態』。


 普段は真面目な生活を送る一方、息を吸って吐くように、共学ではそう出来ない言動を春は自由気ままにたしなんでいた。

 とはいえ彼女も一応の節度はわきまえているので、場合も人もきちんと選んでいる。選んだ上で、もっぱら彼女の餌食になるのは潤である。


「ところで。つっきー、ちゃんと持ち場は駆除終ったの」

「万事オッケー!」

「よっし。じゃあ先にうちらで体育館に行きますかね。さっさと片付けないと、準備が間に合わないし」

「そーだな。理術ぶっ放せるのは楽しいけど、やることやんないと女帝が怖いしな」

「本当それね……」


 顔を見合わせて、潤と春は肩でため息をついた。






 彼女たちがどうして虫退治をする羽目になったかといえば、それは一時間ほど前にさかのぼる。


「虫が湧いたのよー」

「……はい?」


 お盆の真っ只中。通常であれば校門が固く締まり、生徒は校内に立ち入れない筈のこの時期に、英語教諭の春日かすが告久美つぐみから彼女たちは突然呼び出された。


 生徒たちから『女帝』と称されている彼女は、その名の通り舞橋女子高校において最強と目されている教師である。その笑顔からかもし出される威圧感は半端がなく、誰に対しても有無言わさぬオーラがあった。英語の試験の返却時には、自信のない生徒たちはことごとく打ち震える。


 そんな女帝は、潤と春を含む四人の生徒を呼び出した上でにこやかに告げた。


「今、体育館に虫が湧いててね」

「……はい?」

「だから貴方たちで虫を駆除してくれないかしら」

「はいいいいぃ!?」


 潤と春は合わせて頓狂とんきょうな声を挙げた。

 思わず挙手し、潤が勢い込んで尋ねる。


「先生、すみません。

 どういうことなんだかさっっっぱり分かりません!!!」

「そのまんまの意味よー」

「いやもう虫が湧いて出てるのはすんごい良く分かったんですけど、なんでいきなり虫が湧いたのかとか、っていうかなんでうちらが退治すんですか先生!!」

「だって貴方たち、すぐ近所にいるんだもの」

「いやハイ、そりゃあもうすごい近所にいますけどぉ!」


 彼女たちは、舞橋女子高校のすぐ近くにある寮で生活している。

 もっとも今はお盆休みの為、ほとんどの生徒が実家に帰省していた。ただし彼女たちは本日、夜に開催される舞橋市の花火大会に行く約束をしていたので、一時的に寮に戻っていたのだ。


「あなたたち以外、他の先生方も生徒もみんなお盆で出払ってるのよ。だからちょっくら虫退治してくれない?」

「そんな軽いノリで物凄い重労働を頼まないでください!」


 春の抗議を女帝は笑顔で制圧した。

 春はひるんだ。


 負けじと潤は訴える。


「うちら一応受験生ですしぃ! っていうかうちらみたいな素人じゃなく、虫退治の専門の業者呼べばいいじゃないっすか!」

「呼べない事情があるから貴方たちを呼んだに決まってるじゃない」


 不穏な発言に、嫌な予感がして潤と春は動きを止めた。戸惑う彼女たちに、春日教諭は不敵な笑みを浮かべて説明する。



 ――曰く。


 春日教諭の友人に、理術の研究を行っている者がいる。現在『理術の力を強める薬』を開発しているが、春日教諭は極秘でその薬のモニター協力を依頼されたそうだ。

 そこで春日教諭は教え子にモニターを頼んだのだが、そのうちの一人が大量に虫を召喚したところ、途中で薬の効き目が切れてしまい、原状回復ができなくなってしまった――


 ということらしい。



 顔を見合わせ、彼女たちは困惑の色を浮かべる。


「理術を強める……って、制御装置があるのにそんなことできるんですか?」


 元々、理術の力は弱く、利便性が低い。

 だが不用意な事故を防ぐため、術の威力を更に弱体化すべく、全国各所には『制御装置』と呼ばれる理術の力を抑える装置が設置されていた。制御装置がなければもう少し理術の威力は高いらしいが、一般人は誰もその真偽を知らない。

 春日教諭は苦笑気味で質問に答える。


「服用することで装置の影響下から一時的に逃れる作用があるみたいよ。

 だからモニターをしてくれた古属性の子も、体育館で大量に虫を召喚できたんだけど」


 『いにしえ』は、生き物を召喚することのできる属性だ。ただし、いわゆるファンタジーの世界で登場するような空想上の動物を召還できるわけではない。あくまで現実世界の生き物を呼び寄せることができるだけだ。

 たとえば、カタツムリとか。


 そして本来は、古属性の術で生き物を呼び出しても一度に一匹、近場にいる生き物を呼べるだけだ。

 しかし薬を服用した結果、


「割と楽しくなっちゃったみたいで、割と沢山呼んじゃって、割とフィーバー状態なのよ。

 そういう事情だから専門の業者を呼ぶのははばかられるでしょ。薬はまだ試作品で複数回の服用は禁止されてるから、やった本人には頼めないし。

 だから貴方たちに頼んでるってわけ。

 そんなわけだから、この薬のモニターがてら、強くなった理術で虫を駆除してくれない? ちゃあんとモニター料も二千円出すわよ」


 ということらしかった。




 そういう経緯で。

 ある者は強い理術にそそられ、ある者は召喚された生物に興味を示し、ある者はモニター料二千円に惹かれ、ある者は春日教諭の威圧に屈し。

 彼女たちは体育館を中心として校内に蔓延まんえんする虫の駆除を開始し、現在に至る。






 強い理術が使えることにそそられた潤と、春日教諭に屈した春は、渡り廊下を歩き体育館へと進む。

 が、辿り着く直前で足を止めた。


「あれ。なにこれ」


 行く手には体育館へ続く扉があるはずだった。

 だが今、目の前のドアは一面をつる植物が覆っており、さながら朽ちた廃屋はいおくのようになっている。ドアの隙間を埋めるようにみっしりと植物が埋め尽くし、人間はもちろん、虫もよほど小さな種でなければ通り抜けられないだろう。


「うーん。これは『なっちゃん』かな?」

「だろうねぇ」


 腕組みして潤は同意した。

 首をひねって意図は何かと思案したが、潤はすぐに諦める。


「ま、いっか。とりあえずこれを取っ払わないと先に進めないわけだし」


 言いながら潤は鬱蒼うっそうと絡まる蔓を引き剥がそうと手をかけた。

 その時である。


「うわっ!?」

「なっ……!」


 二人の足首に蔓が巻き付き、ほどく間もなく空中に吊り上げられた。

 春は両手でスカートを押さえながら、混乱した声を上げる。


「何!? 触手!? 触手プレイ!?」

「違います」


 冷ややかな声とともに姿を現したのは。


「なっちゃん!」


 スカートの下に履いたハーフパンツを露わにしたまま潤が叫ぶ。

 『なっちゃん』と呼ばれた少女、草間そうま奈由なゆは、肩までストレートの髪をさらりと揺らしながら潤を見上げた。

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