愚者のシンドローム(3)

「フレンチクルーラーは私が貰ったァ! その手を離せオラァ!」

「私だってクルーラーさん食べたいのー!」

「お前はもうダブルチョコ確保してるだろーが十歳児、おとなしく寄越よこしなさい!」

「つっきーだってチョコファッション持ってるじゃん!」


 潤と杏季はドーナツの箱を握り締め、互いに牽制けんせいしあっていた。二人は最後の一個になったドーナツを巡って火花を散らしている。早々に自分の食べたいチョコ系統のドーナツを確保した奈由はその様子を愉快そうに眺めていた。

 呆れた春が口を出す。


「はいはいあんたらいい加減にしなさい、いつまでやってるつもりですか」

「だってはったん! クルーラーさんが! 悪の魔の手に!」

「いつの間に私が悪の手先になったのか逐一報告してもらおうか十歳児?」

「ふえええええん!」


 潤の発言に怯みながらも杏季はやはり手を離さない。互いに譲る気配は無かった。

 葵はふと思い出したように杏季へ尋ねる。


「あのさ白原。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 急に話しかけられた所為で硬直し、杏季はぱっと手を離した。その隙に箱は潤の手に渡り、フレンチクルーラーは奪われてしまう。


「あー……申し訳ない」


 ばつの悪そうな表情で葵は杏季から視線を外した。そういえばそうだった、と葵は頬をかく。杏季は男子が苦手という件に関して、先ほど葵は事情を聞いていた。

 手を叩いて春は二人をいさめる。


「はいはい、あっきーもつっきーも大人しく座る!

 で、そちらはあっきーに聞きたいことがあるんだよね。どうぞ質問してくださいな、私が間に入るから」

「通訳要るんですかコレ」


 葵は横目でちらりと杏季を眺めてから、質問する。


「まず一つ目。本当にまだ鍵は外してないんだよな?」


 春が視線を向けると、杏季は事前に確保していたドーナツをもぐもぐと頬張りながら頷いた。さながら小動物のようで、緊張感というものが感じられない。喋るのはともかく、近距離でなければ自分と同じ空間に男子がいることには慣れてきたらしい。


「うん。うちらは昨日、補助装置を手に入れたばっかだし、それで練習をつまないと鍵は外せないんでしょ」

「それもそうだな。じゃあもう一つ。

 花火大会の夜、自分で術を解こうとした、ないしは俺たちに対して攻撃をした覚えは?」


 きょとんとした様子で杏季は顔を上げた。葵と目が合い、慌てて杏季は目を背ける。その後で、杏季はぶんぶんと首を横に振った。


「そうか。……最後に。これはただの確認なんだが、『自己防衛本能』って知ってるか」


 またしても杏季は頭を振った。

 そこまで確認して、葵は顔をしかめながら呟く。


「微妙なとこだけど、状況的に可能性は大いにありうる……か」

「どういうこと?」

「白原が適合者かどうか。それは、この自己防衛本能が働くか否かで決まるんだ」


 彼の言葉に全員が注目した。浮かない顔つきで葵は説明する。


「自己防衛本能ってのは、敵意ある理術の攻撃から、本人の意思とはほぼ無関係に身を守る能力だ。

 自己防衛本能が働いた場合、自然系統の術は。鍵が開いてるかどうかや、本人の意識関係なしにな。

 聖精晶石を持っている人物も似たような防衛機能が働くけど微妙に違う。聖精晶石は全属性に適用されるけど、俺の毒みたいな間接攻撃は弾かない。

 そして古の適合者の場合、無効化するのは自然系統の術のみなんだ」

「確か。花火の日に雨森くんの刀が折れたのが、防衛機能なんだよね」


 春の言葉に葵は頷く。

 花火大会の夜、京也が春に向けた刀は、本人に触れすらしないうちに折れてしまった。以前に京也から説明を受けたように、それは聖精晶石の防衛機能が働いたものだ。


「あれは聖精晶石の力だ。自己防衛本能なら鋼の攻撃は普通に効くはずだし、そもそも刀を向けられたのは白原じゃない。

 ただ。どっちの力が働いたのか、はっきりしないものがある。

 花火大会の最中、俺は白原に対して攻撃を仕掛けていたんだ」


 葵の言葉に、彼女たちはあの日の夜のことを思い返した。

 花火を見物していた時、彼女たちは何かに絡め取られたように動くことができなくなった。あれは葵の術によるものだったのだ。


「だけど途中で完全に俺の術は弾かれた。あれについては、古と聖精晶石、どっちなのかが分からない。毒は間接攻撃だけど、足元から蔓を絡ませて直接攻撃を同時にしてたからどっちにカウントされるか何とも言えねぇんだ」

「……非常に微妙だね」


 考え込みながら奈由が唸った。

 あの場には両方の可能性が存在していたが、今の話では断定できない。


「だからこそビーは執拗しつように白原に固執してるんだと思うがな。

 確実にシロだって要素があれば、俺がまだあっち陣営のフリして『白原は適合者じゃない』って話が出来るけど、この状況じゃ無理だな。苦しすぎる」


 話し終え葵は口を閉ざした。

 ベリーの口ぶりからも、杏季が適合者かどうかは微妙なところという話であった。しかし可能性が排除しきれない以上、今後も彼らが絡んでくるだろうことは予想にかたくない。全員が神妙な表情で黙り込む。


 場の空気を払拭ふっしょくするかのように、さて、と声を挙げ琴美は立ち上がった。おもむろに杖を呼び出し、くるりと一回転させてからトンと床につける。どうやら真面目に理術絡みの話をする際には、杖がある方が安心するらしい。


「ともあれ。今後、敵がどう動くかは分かりませんが、考えうる手段は講じていくべきでしょうね。

 という訳で、まずは備えです。人目につかない場所で、補助装置を使い理術を使う練習を行ってください。

 ですがこれは、あくまで最低限の自衛手段です。ある程度のコツを掴むくらいで充分です。丸一日費やすのははばかられますし、日中は受験勉強に徹してくださいね」


 受験勉強、という単語を聞いて奈由と杏季は遠い眼差しを浮かべる。その脳裏には、大して進んでいない問題集や志望校決定に関する懸念が浮かんでいるに違いなかった。

 潤が手を上げ、琴美と男子二人へ順々に視線を移す。


「質問なんだけどさ。補助装置がありゃあ誰でも今までより強い理術が使えるって話だけど、『補助装置を使ってる人』と『鍵を既に外している人』とはやっぱ差があるもんなの?」

「そうですね。補助装置を使い始めたばかりの人は、上手いこと力の制御や術の操作が出来ず、なかなか有効に力が引き出せないんです。ですから二者の間にはそれなりに差が存在するといっていいでしょう」

「じゃあさ。普通はどんくらいで鍵を外せるもんなのさ?」

「それは個人差としか言いようがないな」


 京也と葵とで目を見合わせた後で、京也の方がぼそりと答える。


「補助装置さえあれば平均的には数か月で鍵を外せる。けど長ければ一年近くかかることもあるし、短ければ数週間で外せることもあるから」


 曖昧あいまいにごし、そこで黙った京也の代わりに、葵がさらりと続ける。


「たとえば、俺は半年近くやってるけど、まだ補助装置を使ってる。けど雨森は、やってきて二週間で鍵を外した」

「マジですか!」


 意外にも食いついたのは琴美だ。杖を取り落としそうな勢いで京也に向き直ると、驚きを隠しきれずにまくし立てる。


「貴方、ソレ、尋常じゃないですよ! 通常じゃありえないです!!」


 一般人に留め置くには勿体もったいないです、と呟き、琴美は頬に手を当てた。たまたまだよ、と相変わらず言葉を濁しながら、気まずそうに京也は視線を泳がせる。

 潤は眉間にしわを寄せて腕を組んだ。


「結構かかるな。流石に一朝一夕にゃいかねーか」

「京也さんが例外ですからね。それに、必ずしもそれをする必要はありません。あくまで目的は自衛ですから。

 ……出来ることなら私は、一般人たる貴女方にそこへ至って欲しくありませんし」


 潤は心の中で琴美の言葉に反発しつつも、見かけ上は従順に頷いてみせた。


「それともう一つ、現状で出来ることは『相手の戦力を削ぐ』ことです。

 もし他にこちらへ引き込むとしたら、見込みがあるのは誰だと思いますか?」


 琴美は葵に問いかけた。突然に話を振られて驚きつつも、葵は答える。


「ビーは論外として。

 ベリーは幼馴染の雨森の説得にも応じなかったようですし、俺たちが働きかけても難しいと思います。アルドはビーの腰巾着なのでやっぱり見込みはないかと。

 あの中で可能性があるならワイトぐらいでしょう。元々あいつは俺と一緒にくっついてきたようなものなんで、俺から説得しておきますが」


 でしょうね、と頷き、琴美は渋々といった表情で葵に頼む。


「それでは個人的には大変気に食いませんが、あの音叉ヤローへの説得をお願いしていいですか」

「もちろん、構いません」


 琴美の言い草に苦笑いを浮かべつつ、葵は了承した。同じくそこに反応した潤が、ぽんと琴美の肩に手を置く。


「こーちゃん、そこは個人の感情は抑えようぜ」

「貴方にだけは言われたくありませんタラシンドローム」

「症候群!? それだとタラ症候群になるけど!? 魚介類ですけど!?」

「タラでもタラシでも大して変わりませんよごちゃごちゃうるさいですねニシンさん」

「もはや無関係!!」


 二人のやり取りを尻目に、京也は不安そうに葵へ釘を刺す。


「くれぐれもビーたちに悟られないようにしろよ」

「その辺はぬかりねぇよ。あいつ、俺と同室だからさ」

「同室?」

「ああ。俺もあいつも舞橋高校の寮に入ってるんだ。流石にビーもそこまで聞き耳は立てられねぇだろ」


 へえ、と京也は納得したように声を漏らした。だがそれでも彼は表情を曇らせる。


「説得、できるか? 僕はどうもあいつの底が知れないんだが」

「ああ。さっきも言ったが、あいつは俺にくっついて来たようなものなんだ。多分その辺は問題ねぇだろ」


 何の気負いもなく葵は言った。

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