3章:腐りかけロマンチスト
愚者のシンドローム(1)
――2005年8月19日。
翌日。グレンは、京也に指定された場所を訪れていた。
京也から渡された紙に書かれていたのは、舞橋市内の住所。インターネットで検索した地図を頼りに辿り着いたのは、何の変哲もない二階建てのアパートだった。
何度か地図を凝視し、間違いなくこの場所であると確認すると、グレンは一つ、深呼吸してから二階へ続く階段を上がる。
チャイムを押すと、ほぼタイミングを同じくして『夕焼け小焼け』の音楽が防災無線より鳴り響く。夕方五時を知らせる合図だった。
「時間きっかり、優秀だな」
鍵を開け顔を出した京也が、にっと笑みを浮かべてグレンを迎えた。
「えぇと。……ここ、お前の家なのか?」
「そうだよ。親が転勤してるから一人暮らしだけどね」
ドアを開け放ち、京也は彼を招き入れる。京也はシャツにジーンズの私服姿で、どこか大人びていた。対していつもと同じ制服姿のグレンは、どことなく気後れする。
促されるままにグレンはリビングへ続くドアを開ける。
「あ、来た来た」
「おーっす植物うにょうにょ人間」
グレンの来訪に、春と潤が真っ先に反応した。二人の姿を認め、彼はドアノブを握ったまま動きを止める。
部屋にはお茶をすする奈由と杏季、そして琴美の姿もあった。
「…………」
そのまま静かにグレンはドアを閉めた。
「どどどどどういうことだよなんであんなに揃いも揃って勢揃いしてんだ!?」
「いや、趣旨が趣旨だろ」
「そりゃあそうだ確かにそうだけど予想外だったちょっと待て」
ドアに背を預け、グレンは肩で大きく深呼吸する。
「ちょっと待て。心の準備が必要だ……」
「心配しなくても、取って食いやしないぞ」
「そうじゃない、考えてもみろ。共学のお前には分からないかもしれねぇが、俺はここ三年ずっと男子校で生活してんだぞ。
……あんなに集まってたら流石にビビるし緊張くらいする」
ははあと合点したように頷くと、京也はにやにやとグレンの顔を覗き込んだ。むっとして顔をそらし、グレンはもう一度深呼吸する。
ぐっと手に力を込めて、思い切ったように再度ドアを開けた。怪訝な表情で春が尋ねる。
「……どうしたの?」
「いや、別になんでも」
「うら若い女の子たちが一堂に介してるもんだから、グレン君はどうにも照れてしまったようでねぇ」
「黙っとけよ貴様!」
思わず京也への暴言が飛び出すが、しかしその台詞では全面的に肯定しているようなものだ。
言った後で気付き、グレンは赤面してさり気なく手の平で顔を覆った。
「どうして皆様ここに勢揃いしていらっしゃるんでしょうか」
「そりゃあアレだよ。秘密会議的なアレですよ」
ポッキーをかじりながら潤が答える。隣では奈由が無言で頷きながら、潤の倍の速度でポッキーを消費していた。
テーブルの上にはクッキーやポテトチップスなどお菓子のたぐいが食い散らかされており、秘密会議といえるような様相ではない。
潤の背に隠れた杏季をクッキーで餌付けしながら、春はグレンに顔を向けた。
「だって誰が聞いてるかも分からないのに、外で話は出来ないでしょうよ。かといって寮は基本男子禁制だから、おおっぴらに利用できないし。
そしたら雨森くんがここを提供してくれたってわけ。もう隠す必要はないしね」
昨日で京也はもうビーたちと完全に
キッチンから琴美がやって来て、グレンの前に麦茶を淹れたグラスを置いた。
「以前に一瞬だけお会いしましたね。私は佐竹琴美、杏季さんと同じ高校に通う、杏季さんと寮で同室の、ただの女子高生です」
「彼女は杏季ちゃんの護衛者だよ」
「護衛者? なんだ、それ」
「とりあえず今は、僕らと同じく杏季ちゃん側の味方だと認識してもらえればそれでいい」
ひとまず京也は手短にそう答えた。
「それとまぁ、あれだね。どうして勢ぞろいしているのかといえば」
「分かってるとは思うけど。私たちの仲間を増やすためだよ、グレン君」
京也から視線を向けられた春が、台詞を引き取り続けた。彼女は手に持ったグラスをテーブルへ置き、居住まいを正す。
ここへ来た以上、覚悟していたことではあったが、やはり緊張してグレンは生唾を飲み込んだ。
「言っとくけど。俺はまだ、決めたわけじゃない」
おずおずと、しかしきっぱりした体でグレンは告げた。だがその返答は予想済みだったようで、さしたる動揺もみせずに春は続ける。
「でしょうね。あなただって理由があって向こうにいるんでしょう、簡単に来てくれるとは思っちゃいないよ。
けど、それでも今日来てくれたってことは、揺らぐ可能性は少なからずあると思ってもいいんだよね? ……だからさ」
春は小悪魔めいた笑みを浮かべ、人差し指を立てる。
「取引しない?」
「取引?」
「そ、取引」
唇を結んで慎重な顔付きになり、春は腕を組んだ。
「まず最初に確認したいんだけど。あなた個人の望みっていうのは、法律とか道徳に反するようなことじゃないんだよね?」
「それは違う」
即座に否定してグレンは頭を振る。
「望みそのものは、犯罪行為に類するものじゃない。組織に入ってる時点で方法は非合法だし、馬鹿にされてもおかしくない振る舞いかもしれねぇが。
……同じ状況に立たされたら、大抵の人間はそれを願うものだと、思う」
「ならOK、問題なし」
心なしかほっとした様子で、春は組んだ腕を解いた。一つ、深い呼吸をしてから、春は髪の毛を払っていよいよ本題に入る。
「まず整理すると、グレンやワイトやその他のメンバーは各々の目的があって、それを叶えたいから組織に入った。
けどリーダーがビーに変わってから、手段を選ばない身勝手で乱暴な方針になってしまった。
ビーのやり方は嫌だけど目的は叶えたいから、仕方なく組織を抜けずにいる。
これであってるよね?」
黙ってグレンは頷く。それを確認すると、春は満足げに口元へ笑みを浮かべた。
「なら、『自分の目的が叶うならビーに協力する理由はなくなる』訳でしょう。
だったら、私たちがそれを叶えてあげる」
「……え?」
耳を疑いグレンはぽかんと口を開く。畳み掛けるように春は続ける。
「もし君がビー側を抜けてくれて私たちの味方になってくれるなら。事が全部終わった後、私たちが君の目的達成を全面的にバックアップする。
願いを叶えるには『あっきーという存在』と『人材』が必要なんでしょう。現在でビーたちは五人、それに対して私たちは六人。グレンが入ってくれるなら七人になるし、実行に必要なものは揃ってると思うけどね」
「待てよ、言っとくけど理術について研究すること事態が違法なんだ。もしかしたら、……取り返しが付かないことになるかもしれねぇんだぞ」
「あんたたちが今更何を言ってんの。
それにね、もう私たちだって引っ込みつかないとこまで来ちゃってるんだよ。補助装置も
きっぱり言って、春はテーブルに手を付き身を乗り出す。
「私たちが許せないのはね、あいつらのやり方なの。けど、世間や人様に迷惑かけない方法なんだったら協力するってこと。
イマイチ説得力ない話かもだけどさ。ビーのやり方に従ってたところで願いが叶うって確証はないんでしょ。だったら私たちと手を組まない?」
熱のこもった口調で春は彼を覗きこんだ。彼女に気圧され、グレンはそっと息を呑んだ。
真っ直ぐな春の瞳をそのまま見返すことができず、グレンは逃げるように目を逸らす。そして顔を伏せたまま、やおら立ち上がった。
「悪いけど。……ちょっとだけ、考えさせてくれないかな」
その
揺らぐ彼の声音に不安を覚えながら、しかし春は静かに頷いたのだった。
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