薬箱と標本(4)

 グレンは事態が飲み込めないまま、ワイトの去った方角をじっと眺めていた。

 二人はそこそこに長い付き合いだが、滅多にワイトはいつもの暢気な姿勢を崩さない。何かあったのは間違いなさそうだ、とグレンは直感する。


 思案しながらビルの扉に手をかけたグレンは、背後に人の気配を感じて振り返った。もしやワイトが戻ってきたのかと思ったが、彼の期待に反してそこに立っていたのは京也だ。そして彼の様子もまた、いつもと異なっていた。

 普段のように悠然とした雰囲気はない。真一文字に引き結ばれた唇からは、どこか冷ややかな敵意が漂っているように感じられた。

 何事かと尋ねようとした矢先、それより先に京也が口を開く。


「今度は、無事だろうな?」

「え?」


 グレンは突然言われたことに面食らった。何がどう無事だというのか、と困惑したまま彼は言葉を失う。

 京也は彼の回答を待たず早足でつかつかと入り口へ向かった。グレンのすぐ側まで来ると不意に立ち止まり、一応、といった口ぶりで付け加える。


「これで僕がここに来るのも最後だな。短い間だったが、世話になった」


 やはり唐突に言われ唖然としたが、しかし今度は考えるより先に体が動いた。中へ入ろうとする京也の肩をつかみ、慌ててグレンは引き止める。


「待てよ、一体どういうことなんだ。俺がいない間に何があった?」

「……そうか。お前は今日、参加してないのか」


 先ほどよりやや柔らかい口調で呟いてから、京也は納得したように頷いた。その後で彼は素早く左右に目線を走らせる。辺りに人影はない。


「話がある。ちょっと付き合え」


 京也は小声で促し、建物の裏手へと回った。






 事情を聞いたグレンは僅かに口を開いたまま、相槌あいずちを打つことも出来ずにいた。

 日陰になっているビルの裏手に窓はなく、話を誰かに聞かれる恐れは低い。それでも念を入れ京也は小声で話し続けたのだが、話の内容はグレンの脳内にがんがんと響き渡ってくるようであった。


「概要はそんなところだな。そして僕はビーにやられた月谷を送り届けて、杏季ちゃんを迎えに来たところってわけだ」

「……月谷の容態はどうなんだ」

「あの馬鹿は脱力するぐらい元気だよ。その辺は心配ない」

「そうか」


 なら良かった、という言葉をグレンは飲み込んだ。その言葉を気休めでも言える立場ではなかった。


「……っくそ」


 グレンは拳を壁に叩きつけた。ぎり、と唇を噛み締めてグレンはうつむく。自分の知らないところでとんでもない方向に事態が進展していたこと、彼が避けようと思っていた忌むべき形で事が起こってしまったことに憤りが隠せない。


「俺はこんなことをしたかったわけじゃ、ない」


 かすれた声で言ってから、言い訳にしか聞こえない、とグレンは自分で冷笑した。最も怒りの矛先が向いたのは、一連の出来事に加担していながら何も出来ず知りもせずにいた、他でもない自分である。

 しばらくの間、京也は黙って自己嫌悪に陥るグレンの様子を見守っていたが、やがてきっぱりと告げる。


「グレン、お前もこっち側に来ないか」


 またもや唐突なその台詞に、グレンは顔を上げ目を見開いた。このタイミングである、京也が言う意味は考えずとも分かった。

 至って真面目な表情のまま、京也は淡々と続ける。


「確かにお前は目的の為なら非情にもなれる奴だよ。いたいけな少女相手に容赦せず草の化け物をけしかけたり、闇に乗じて襲撃した辺りはな。

 けどお前だって本意じゃないだろ。だから春ちゃんを勧誘したんじゃないのか。

 お前がビーを嫌ってるのはみんな知ってる。それはあいつ個人の性格に限らず、その卑劣なやり方が気に食わないからだろ。お前は今の組織には賛同してないはずだ。

 考えてもみろ。前のリーダーの、ローのいた時代にどう言い含められたかは知らないが、このままここにいて本当に願いが叶うとでも?」


 グレンは動揺して瞳を泳がせた。

 心が動かされないといえば嘘になる。しかしそれを即決してしまうには、グレンにも手放したくないものがあった。たとえビーが嫌いでも、渋々ながらチームCに居続けたい理由はあったのだ。

 暫し思案した後で、グレンはぼそりと尋ねる。


「お前は、迷わなかったのか」

「迷うって?」

「だから、目的だよ。お前も叶えたい望みがあるからこんなとこに来たんだろう。それを捨てても構わなかったのか」


 グレンはじっと京也の反応を窺った。

 だが、拍子抜けするほどあっさり京也は肯定する。


「ああ、構わないね。僕はあいつらを助ける為にここに来た。それができるのはビーの側じゃないからな」


 言った後で、これではグレンの説得にはならないと思ったのか、京也は取り繕うように補足する。


「参考までに言わせてもらえば、僕がここに来た建前上の理由は『理術性疾患を治すこと』だ。少なくとも僕はその望みを捨ててあっちについた。

 たとえ100%治るという確約があっても、僕は今のビーに付いて行く気はない」


 やはり揺ぎ無い眼差しで京也は言い切った。グレンは彼の視線に耐え切れず目を逸らす。

 迷ったままのグレンを尻目に、京也は自分のバッグを漁りメモ帳とペンを取り出した。それにさらさらと何事かを書き留め、びり、とメモ帳を破くと、その紙を二本指で挟みグレンへ差し出す。


「もし気が向いたら、明日の五時にここに来てくれないか。気が向いたらで良いけどな」

「……俺がビーに密告するとは考えねぇのか」

「考えないさ、相手がグレンだから尚更ね」


 ようやく京也はいつものように余裕めいた笑みを浮かべた。


「ビーに告げ口するくらいなら敵に出し抜かれるほうがまだましだ、その程度までグレンはビーを嫌ってるとみたけど。

 それに本当に密告しようと思ってる奴は、わざわざご丁寧にそんなこと言っちゃくれないよ」


 全くもってその通りだった。言い当てられて苦笑いを浮かべながら、グレンは自分のバッグへ慎重にその紙をしまう。

 京也は神妙な面持ちで言い含める。


「とりあえずは、だ。ビーから今日の話を聞いたとしても、元から知ってたことが顔に出ないよう気を付けろよ。いかんせんお前は素直すぎて、物凄く分かりやすいからな」


 その素直さも災いして、ビー嫌いが全員に知れわたることになってしまったグレンとしては、やはり苦笑を浮かべるしかないのだった。






+++++



 メールの呼び出しに応じてベリーが部屋を出ると、ドアを開けたすぐ横の壁に京也が寄りかかっていた。彼女はドアを大きく開くが、京也が無言のまま指で手招きするのを見て大人しく外に出る。後ろ手でドアを閉めてからやや不服そうにベリーは唇を尖らせる。


「何よ迎えに来たんだからさっさと入ってくればいいのに。別にビーはもう引っ込んでるから厄介なこともないでしょうなんでわざわざ外で」

「だから中で出来ない話をするためだろ、ヒメ」


 遮って、京也は室内には聞こえないよう抑えた声色で続ける。


「杏季ちゃんには何も言ってないよな?」


 ベリーはその言葉に一瞬、口を閉ざしてから、やれやれといったように息を目一杯吐き出した。


「ええ。何にも言ってない。口止めされたことは全部ね。けど、本当にずっと彼女に隠し通すつもりな訳? それで本当にいいの?」

「僕じゃない、月谷や周りの要望だ。彼女らの方が付き合いは長いんだから、そっちに従った方がいいだろ」

「どうかと思うけどね私は。事実を隠しても、良い方向へはあまりいかないものよ」


 ため息混じりに吐き出したベリーの台詞は、そのまま京也の心情をも代弁していた。黙ったまま京也はついとドアに目を向ける。ドアの向こう側では、何も知らない杏季が待っている筈だった。



 目覚めた潤を始め、女子の面々が京也に頼んだのは『潤に起きた一連の出来事を杏季に伏せる』ことだった。潤の正体はばれたもののすんでのところで逃げてきた、ということにしようと彼女たちの間で見解は一致している。


「私が勝手にやって勝手にしくじったことなのに、どうせ無駄に悩むんだからあの十歳児は」


 潤はそう言って長い指をひらひらと振った。今回ばかりは他の面々も潤の意見に同意のようだった。

 春はこうも言う。


「下手するとあの子は自分から渦中に飛び込みかねないよ。スイッチを入れるのはつっきーより慎重だけど、突っ走ったら止まらないのはあっきーも一緒なんだから」


 加えて、である。


「あの子もあの子で無鉄砲だからね。私らをシャットダウンするにはさっさと向こうに従っちゃうのが一番だって結論に達しちゃったら、自分からビー側に付いて犯罪行為に加担しかねないよあっきーは」


 奈由の言葉には、どことなく経験則から感じ取った危うさがにじんでいた。そうなってしまったら元も子もない。

 いずれにせよ京也には、ベリーに頼んでその事実を秘匿してもらうという選択肢しか残っていなかったのだ。

 気を取り直し、改めて京也は尋ねる。


「杏季ちゃんは無事だよな?」

「それはもちろん。仲良しこよしもいいところよ。京ちゃんもそれくらい分かってるでしょ。私は生来、いにしえ贔屓びいきなのよ」

「把握してるさ、それくらい。頭でだけだけど」

「それと同時に、よ」


 鋭い眼差しになり、ベリーは小声で続ける。


「ビーはビーであいつは『古嫌い』なのよ。これがどういう意味か分かる?

 つまり、ビーはあの子に容赦しないのよ」


 人差し指を京也の胸元に突きつけながら、彼女は早口でまくし立てる。


「今回あいつが彼女に何もしなかったのは、散々私が口出ししてガードしたからよ。杏季ちゃんはビーの姿も見てないわ。

 私は極力あの子が傷つかないよう立ち回りたいとは思ってる。京ちゃんも彼女を守るために十分用心しなさいね」

「お前はバカか」


 最後の台詞を聞いてから、呆れ返って京也はベリーを見下ろす。


「彼女たちの味方になった以上、勿論そのつもりだ。けどな、元はといえば誰が原因だと思ってるんだ。ヒメが居なきゃ、僕はそもそもこんなとこにゃいやしない」

「それは嬉しいしありがたいとも思ってる、けどここには私の理由があるの。中学の頃の私とは違う、自暴自棄になってるわけじゃないから安心して」


 ベリーはすました顔で京也の表情を仰ぎ見た。だからそうじゃなく、と言いかけて、しかし京也は代わりにため息を吐き出す。

 これで話は終わりとばかりにベリーはドアに手をかけた。それを引き止め、京也は慌てて付け加える。


「あぁ、あとそうだ。一つお願いしてもいいか」

「モノにもよるけど、何?」


 頬をかき、躊躇ちゅうちょしてから、京也はおずおずと言う。


「もし時間があるんだったら一緒に杏季ちゃんを送り届けてくれないか。寮の手前まででいいからさ。

 ……正直、杏季ちゃんと二人だけだと会話がもつ気がしないし連れて帰れる気がしない。下手をしたら泣かせてしまいそうな気がして凄く怖い」

「ああ、そうね。確かにそうだわ」


 納得した様子でベリーはにんまりと頷いた。


「男子だからってだけじゃなくそのなりだもの。怖がられてるに決まってる。

 杏季ちゃん曰く、自分より圧倒的に背が高い人や女の子好きで初対面からやたら話しかけてくる人、それと髪を染めたり伸ばしたり校則に反してる男子が特に怖いんですってよ。全部ビンゴじゃない」


 彼女の言葉を聞き、京也は複雑そうな面持ちで自分の前髪をつまみ上げた。






(2.見ず知らずの邂逅:完)

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