白の街(3)

 ヴィオはちらりと潤を一瞥いちべつするが、すぐに目線を外すと、無言のままビーの隣へ並んだ。

 食い入るような潤の視線は気に留めず、ビーは淡々と告げる。


「貴女方と遊ぶのも一興ですが、この炎天下。無為に消耗したくありませんのでね。

 僕は無駄が嫌いです。生憎あいにくですが、さっさと連れ帰らせて貰いますよ」


 彼の言葉を合図にヴィオが動く。

 その場でしゃがみ込み、道路に両手を付けた。顔を上げ、ヴィオが杏季の方を見据えると。


 アスファルトが、ぐにゃりと歪んだ。


 彼女たちが驚愕する間に、歪んだアスファルトは細長く何本もの柱となってまるで噴水のように上空へ立ち上る。柱はぐるりと杏季の周りを取り囲み、檻の如く彼女を閉じこめた。鳥籠のような様相を成して、アスファルトであったそれは再び、強固に固まる。


「ちくしょう!」


 潤は鳥籠へ両手を向けた。同じくして春も構えて雷を放とうとするが、


「させません」


 一声ビーは言い、杏季と二人との間にまたもや白い壁が伸びる。二人の攻撃は壁に阻まれ、鳥籠まで届かない。


 閉じ込められた杏季は、自分も理術を使おうと手を広げた。だが彼女がいくら動物を呼び出そうとしても、いっこうに彼らは姿を現さない。

 焦燥しょうそうに駆られているためかと心を落ち着けようとするが、やはり動物たちを召喚できず、ますます杏季は焦る。

 彼女の様子を真顔で見つめてから、ヴィオは壁を壊そうと苦心する潤たちに目を向けた。


「お前らは、そんなことも知らないのか」


 低い声でヴィオが呟く。訝しんで潤は振り返った。


「人為系と呼ばれる理術には得手不得手の属性が存在する。

 その相性でいうならば、『古』に絶対的な効果を及ぼすのは『音』、そして何よりこの『鋼』。

 この法則と制御装置で御された能力差を覆さない限り、何をやっても無駄だ」


 ヴィオの言葉に引きつり、より一層強い力で二人が理術を放出しようとした時である。




「ならば、この事も知っているはずですね?」




 凛とした声が一帯に響いた。

 聞き慣れぬ声の闖入ちんにゅうに、ヴィオは目を見開いて辺りを見回す。




「『はがね』は、『れい』に弱いと」




 途端、その場にいた全員の視界がさえぎられた。

 紫の煙のようなものが辺り一帯を包み込み、全員が思わず眼を閉じる。冷気が吹き込んでいるわけでもないのに、妙に背筋が寒い。

 ヴィオは反射的に地面から手を放し、僅かに顔を歪めた。


 やがて煙が消え、視界が晴れると共に姿を現したのは。


「こーちゃん!」


 春が叫ぶ。

 四人の友人であり同じ寮生であり『霊』属性の、佐竹さたけ琴美ことみが、その手に錫杖しゃくじょうを思わせる形状の杖を構えて立っていた。琴美の背後には奈由の姿も見える。


「なっちゃん!」


 潤が元気よく手を振る。奈由はそれを華麗に無視し杏季に歩み寄った。いつの間にか、杏季の周囲にあったはずの鳥籠は消え失せている。


「いたいけな少女を寄ってたかって虐めるとは、呆れて物も言えませんね」


 琴美は前へ進み出ると、右手に持った杖を地面に立てて仁王立ちでビーと対峙した。彼女の登場に、何故かビーは嬉しげな笑みを浮かべる。


「やはり僕の見当は間違っていないようだ。とうとう姿を現してくれましたね、護衛者ごえいしゃさん」

「さて、何のことでしょう?」


 不敵に琴美は微笑み、まるで指揮棒のように優雅に杖を地面へ振り下ろす。再び紫の煙がふわりと広がるが、今度は男子三人の周囲だけを取り巻いていた。警戒してヴィオは数歩後ずさる。


「さあ、たっぷりお仕置きしてあげますよ。うちの杏季さんに手を出した、罰です」


 琴美は杖を振り上げ、空へ軽やかに弧を描いた。ぶわっと煙は濃くなり、渦を巻くようにしてビーたちを取り囲む。

 琴美は両手で杖を持ち高々とそれを掲げてから、勢い良くそれを垂直に振り下ろし、トンと杖の末端を地面へ打ち付けた。それと同時に紫の煙も瞬時に霧散むさんする。


 だが開けた視界の先を確認して、琴美は不満そうに唇を歪めた。

 ビーは三人の上下左右に件の壁を作り、かろうじて琴美の攻撃を防いでいた。とはいえ紛れ込んだ煙により多少の攻撃は受けたようだ。三人には僅かな困憊こんぱいの色が見てとれた。

 若干焦りの表情を浮かべつつも彼女の攻撃を堪えたビーは早口で言う。


「言ったでしょう。僕は無駄が嫌いです。

 この場は退却させて貰いますよ。またいずれお会い致しましょう」


 終始黙ったままのアルドと呼ばれた少年が、手元に炎の塊を呼び出した。それは彼らを取り囲んでいた壁を瞬時に破壊し、三人を自由にする。

 と、琴美が一喝する。


「下がってください!」


 ビーがこちらに手を向けたのと、奈由が植物でバリケードを作ったのは同時のことで。


 小さなつぶてが横殴りのひょうのように彼女たちに襲いかかる。奈由の術で大分軽減されたが、それでも幾つかの塊は彼女たちの皮膚をかすめた。

 攻撃が止んだ頃には、ビーたちは既にその場から消えていた。琴美はすぐさま奈由のバリケードをかき分け追うが、道の先に彼らの姿は無い。


「ちっ、逃げられたか」


 琴美は今までの雰囲気とはそぐわぬ口調で悪態を付いた。くるりと杖の先端を下げ、仕方なしに彼女はきびすを返し、杏季の元へ歩み寄る。


「大丈夫ですか? 杏季さん」

「こ、腰抜けたけど大丈夫……ありがとう、こっちゃん」

「そうですか、よかった。危ないところでしたが、間に合ってよかったです」


 安心したように笑み、琴美は手を差し伸べて杏季を助け起こす。立ち上がった杏季は心底ほっとした様子で深く息を吐き出した。


 同じく安堵の息を漏らしてから、思い出したように春は尋ねる。


「なっちゃんとこーちゃん、どうしてここに?」

「それに関しては、私もお二方に同じ質問をしようと思っていたのですが」


 小首を傾げて切り返した琴美に、春は淀みなく答える。


「私はあっきーから電話をもらったんだよ。ここ、私の実家に近かったしね。それで同じく家が近いつっきーにも私が連絡した」

「そういうことでしたか。……お二方がいらっしゃらなければ間に合わなかったかもしれません。ありがとうございました」


 琴美は折り目正しくぴしりとした姿勢で頭を下げた。その行動に少々面食らいながら、春は琴美に聞き返す。


「ところで、そっちの二人は? そっちもあっきーから連絡あったの?」

「私はこっちゃんから言われたんだよ。あっきーが危ない、って。

 そしたらカラスの直彦があっきーのハンカチ持って飛んで来たから、いよいよやばそうってなって、急いでここまで来たの」

「……あれ。そしたら、こーちゃんはなんであっきーが危ないって分かったの? カラスが来る前に分かってたって」

「あ、えぇと。……うーん、どこからご説明いたしましょうか」


 琴美は困ったように目線を泳がせた。一瞬、考えあぐねる表情を浮かべてから、彼女はぼそりと呟く。


「……めんどいなぁ」

「面倒言うなや!」


 潤の突っ込みに琴美は鋭く睨み返す。


「ああ? うるさいですねこっちにも色々あるんですよちょっと黙っててくださいこのタラシさん」

「いやさっきまで我慢して黙ってたんですけど私! 相変わらずひどいよこの漆黒が!」

「じゃあそのまましばらく黙っててください血圧あがりますよタラシさん。そして私は漆黒ではありません、紫です」


 友人に対しても基本は丁寧な物腰の彼女だが、潤に対しては何故か辛辣しんらつな琴美だった。


 一見するとおしとやかな風貌の琴美だが、口を開けば相当な毒舌である。なまじ普段が敬語であるだけに、穏やかな口調から放たれる罵倒ばとうが人に与える恐怖はひとしおだった。

 故に、彼女は友人からしばしば『漆黒』と称される。


 気を取り直して琴美は腕を組んだ。


「そうですね。手短にご説明しますと、私はご覧のとおりの霊属性です。

 そして霊属性の者は、近しい者の危険を察知することが出来るんですよ。ごく、限定的になんですが」


 そこまで言ってから琴美は油断なく左右に視線を巡らせ、抑えた声で四人に告げた。


「ともあれ、ひとまずここは移動しましょう。騒ぎを聞きつけた近所の方が来るかもしれませんし、無防備な場所ですと詳しくお話しすることもままなりません」


 琴美の言うことはもっともだった。

 彼女たちは無言で顔を見合わせ頷き、その場を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る