砂糖菓子の団欒は打ち解けない(3)

 杏季は部屋の隅でタオルケットにくるまりながら、さながら小動物のように必死の形相で奈由を威嚇いかくする。


「私は! 一歩も!! 部屋から出ないよ!!!」

「だ、そうです」


 傍らで琴美が付け加えた。

 部屋の入口にたたずんだ奈由は静かに頷く。


「だろうね。分かってたけど」


 奈由は三人を代表して二階の杏季の部屋に上がり、彼女と琴美へこれまでの状況を報告したところである。一通り話し終えた後での、開口一番の杏季の反応がそれだった。


 杏季が部屋にこもっている理由。それは昨夜の睡眠不足だけが原因ではない。先ほど春は「狙われた張本人を同席させるわけにはいかない」とそれらしく言っていたが、一番の理由はもっと別のところにあった。


「そ、……そもそも何で寮なのに、あの人たちがいるの!?

 安全地帯なのに! 学校と並んで唯一無二の、安全地帯!! なのに!!!」


 涙目で杏季は訴えた。




 杏季は、同世代の男子全般が苦手だ。


 男子のいる場では委縮いしゅくしきってしまい、会話すらままならない。昨夜グレンたちに追い回された時に彼女がほとんど喋らなかったのも、錯乱して猫やカラスを呼び出したのも、ひとえにそれが原因だった。

 だが当然、友人たちはそれを重々承知していたので、彼女が応接室に来るはずないことは分かり切っている。


「大丈夫。あっきーはこの部屋に居たままでいいよ」


 なだめるように奈由はゆっくりと語りかけた。


 杏季には部屋にいたまま『本来の聖精晶石の持ち主が飼っている生き物』という条件で動物を召喚してもらう。

 ちょうど杏季の部屋は応接室の真上である。理術を使うのはここだが、生き物自体は下の応接室に呼び出してもらうことにするのだ。


 通常の古は、特定の個体を呼び出したり、術者と離れた場所へ召喚することはできない。だが聖精晶石が手元にある状態なら可能ではないかと奈由は踏んでいた。


 勿論、成功するかどうかはやってみないと分からなかったし、相手がペットを飼っていなければお手上げであるが、試す価値はある。


「そういう訳だから、あっきーは部屋から出なくていいよ」

「ホントに? ホントに大丈夫? 失敗したら、あの人たち部屋まで押しかけてきたりしない?」

「そんなことはさせないし、仮にしたとしたら立派な変態ですからね」


 奈由の脳裏には先ほど窓から侵入したグレンとワイトの姿が浮かんだが、杏季を刺激しないようその事実は伏せておく。


「呼び出したところで、どうするんですか?」


 琴美が静かに奈由へ尋ねた。琴美もまた奈由たちと同じ高校三年生なのだが、彼女は同級生に対しても敬語を崩さない。


「『迷い猫』とかで聞き込みしたりポスターでも張れば飼い主が出てくるんじゃないの。何百キロも遠く離れた相手がはったんのストラップに晶石を仕込むとも思えないし」

「まどろっこしくありませんかね。しばらく時間が要りますけど、それで奴らが納得しますか?」

「何もしないで追い返すよりは、納得するんじゃないかな」


 そうは言いながら、しかし懸念の色を浮かべて奈由は眉を寄せた。

 更に琴美は続ける。


「奈由さんはどう思われるんですか。あいつらに石を渡すことについて」

「私たちのことだけ考えるなら。あいつらが引き下がってくれるんなら、持ち主が誰だろうが何だろうが渡しちゃえばいいと思ってる。

 ……けど、あれを一体何に使う気なのか。あの人たちに渡しちゃうのは、良くないんじゃないかって気はしてる。こっちゃんはどう思うの」

「得策ではない、とは思います。

 しかしあれを渡すことで、二度と奴らに関与されずに済むなら。奈由さんと同意見です、さっさと渡してしまえばいい」


 琴美は即答した。

 難しい表情を浮かべながら杏季はクッションを抱えて丸くなっている。口にはしなかったが、彼女も同意見のようだった。杏季からしてみたら、男子が近くに寄って来さえしなければ平和なのである。


「そっか。……そうだよね。賛成する理由はないけど、思いっきり反対する明確な理由もないもの。

 ただ、不安材料は、ね」


 一階にいる友人を思い浮かべ、奈由は小さく息を吐き出した。






 応接室で、彼らは固唾かたずをのんで待機していた。二階にいる杏季が召喚に成功すれば、この部屋に聖精晶石の持ち主が飼う生き物が現れる筈である。

 やがて沈黙を破って、室内にポンという軽快な音が鳴り響いた。彼女たちのちょうど真ん中、テーブルの上に白い煙が立ち上っている。


「やった!」


 思わず立ち上がり、彼女たちは視界が開けるのを待った。

 そして、まもなく煙が引いたテーブルの上には。




 びちびちと、金魚が飛び跳ねていた。




「ぎゃーーーーー!? 水、水ーっ!」


 春の叫びに、潤が慌てながら手を前に出す。


「み、水!? 出す!?」

「止めろつっきー、いろいろ大惨事になる!

 あっきー! あっきーっ!! 可及的かきゅうてき速やかに元に戻して!!!」


 真上を向いて春が叫んだ。

 テーブルの上にまた煙が現れ、金魚は姿を消す。


 疲れたように春はソファーに倒れ込んだ。


「……魚の線は考えてなかった」

「じゃあ、次は『※ただし魚類は除く』ってあっきーに伝えて来るね」


 二階に行く奈由を見送りながら、男性陣もまた疲弊したように息を吐き出した。




 仕切り直して、二回目の召喚。

 再び、テーブルの上に煙が出現した。今度こそはと、ぐっと手を握って潤たちは見守る。




 現れたのは、二体のウーパールーパーだった。




「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」




 全員が沈黙し、室内は静まり返る。


「魚類……ではないね」

「両生類だね」


 おずおずと呟いた春の言葉に、奈由は頷いて答えた。

 少し間を置いてから、春は如何いかんともしがたい思いを吐き出すように叫ぶ。


「迷いウーパールーパーとか聞いたことねえええええええ!!!」

「貼るか! もうこうなったら『迷いウーパールーパー』ってポスター、町内に張ってやるか、はったん! やったろうぜもう!!」


 やぶれかぶれになった潤も叫んだ。

 しかしそんな二人を制止し、奈由が緊迫した声を挙げる。


「はっ! 待って、この子たちは……!」


 奈由は確信したように頷き、かっと目を見開く。


「ウパ子とルパ雄!」

「名前まんまじゃねぇか!?」


 耐えきれずにグレンが声を上げた。潤は驚いて奈由に尋ねる。


「なっちゃん、知ってるの?」

「知ってるも何も! この子たち、うちの寮の談話室にいるウパ子とルパ雄じゃないか!!」

「そうだったの!? あの水槽、デカい上になまずやらうなぎやら色々いるから分かんないよ!? っていうかウーパールーパーいたのかよ!?」

「この体躯のすらっとしたライン、彼女に間違いない!」

「何で見分けられるんだよ!?」


 グレンがまた思わず突っ込んだ。

 困ったようにヴィオが頬をかいて、状況をまとめる。


「確かに呼び出せたは呼び出せたけど……つまり、そういうことか。

 聖精晶石の『今』の持ち主が住んでる寮の水槽から召喚されたウーパールーパー。流石に、前の持ち主というくくりでの召喚は難しいってことか」

「収穫ゼロ!!」


 潤は両手を上げてソファーに倒れ込んだ。疲れた表情をしながら彼女はおもむろに自分の携帯電話を取り出しいじり始める。

 煮え切らない様子の彼女たちを見回しながら、グレンは淡々と告げた。


「結局、持ち主が誰かは分からなかったけどな。俺たちは別にそれが誰のものだろうと関係ねぇんだよ。

 相手だって何の断りもなくそれに晶石を宿したんだ。気にしてやる必要はねぇだろ。向こうが取り戻しに来るとしても、それはもう俺たちの問題だ。お前らが気に病む必要はない」

「確かにそのとおりだし、ここにあったって私らにゃ必要ないものだ」


 ソファーに座り込んだまま、潤が目を光らせた。視線を携帯電話から外して、彼女はグレン達を見据える。




「けどな。

 何をたくらんでるか分からねぇ怪しい奴らに、ほいほい出過ぎた代物をくれてやるほど、うちらもお人よしじゃないんだよ!」




 瞬間、白い煙が上がり、数羽の鳩が現れる。鳩は一斉に彼らに飛び掛かった。

 突然のことにヴィオとグレンはたじろぐが、ワイトはいち早く避け床にしゃがみ込んだ。


「だったら、振り出しに戻る、だな」


 低い姿勢で潤より早く、ワイトが応接室を抜け出す。慌てて潤は彼の後を追い部屋の外に出た。既にワイトは階段の手すりに手をかけている。


「待てや貴様! ちょい待て二階にはあっきーが」

「だから行くんだろ」


 ワイトは身軽に階段を駆け上がる。潤の制止は間に合わない。

 事態に気付いた杏季が部屋から顔を出し、「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。


「つ、つつつつっきぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 彼女は廊下の手すりから身を乗り出し、下の階に思い切りストラップを投げた。


「ちょ、こっち投げんな十歳児! あーちくしょう、狂っちまった!」


 言いながら潤は杏季が投げた方向へ駆け寄り、何とか右手でストラップをキャッチした。そのまま応接室とは逆の方向へ潤は駆ける。


「はったん、なっちゃん、外出ろ! 窓から投げる!」


 言いながら談話室に駆け込み、潤は窓を開ける。後ろからグレンが追いつくが、既に潤は外へストラップを放り投げてしまい、外に出た奈由の手に渡っていた。


「二人ともー、そっち行ったぞ」


 階段の中腹でワイトが今更ながらに呼びかけてから、二階の杏季を振り返った。彼女はびくりと身構える。


「メールか何かで、あいつに召喚するよう指示されてたってわけ?」


 話しかけられた杏季はそろそろと後ずさった。後ろ手が部屋のドアノブに触れると素早く部屋の中に滑り込み、ドアをばたりと締める。


「……なんだよ。別にもうお前を狙ってる訳じゃないし、ちょーっと警戒しすぎなんじゃないの」


 ワイトはねたように口を尖らせた。

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