夜は短し走れよ乙女(1)

 花火大会が終わり、四人は暗い夜道を帰路についていた。

 先ほどまでは他にも何組かのグループが近くを歩いていたが、いつの間にかひと気はすっかりなくなっている。

 住宅街であるため車通りは多くない。街灯が一定の間隔で並んではいたが、夜の静寂も手伝ってか、辺りにはどことなくよそよそしい、ひんやりとした気配が立ち込めていた。


 やがて四人は道を曲がり、細い裏通りに出る。

 するとその道の先。やや灯りの消えかけた街灯の下に、浴衣姿の二人の人物がすっと立っていた。


 片方は濃紺の縦縞たてじましじらの浴衣、もう片方は亀甲絣きっこうがすりに生成りの浴衣である。浴衣のデザインからして、おそらく男性だろう。

 それだけであれば、同じく花火大会の帰りの人かとさして気に留めることはなかっただろう。

 だが異様だったのは、二人共、何故か顔に古風な狐面を被っていたことだった。


 その怪しい佇まいに、どきりとして四人は足を止める。

 相手もこちらに気付き、


「……来たな」


 と、濃紺の浴衣の人物が顔を上げた。

 狐面に隠され顔は分からないが、声色からしてやはり男性であるようだ。


 少し警戒しながら春は二人に問いかける。


「あの。……何か、私たちに御用ですか」

「貴方たちの、仕業?」


 しかし春の言葉を制し、奈由がからんと草履げたの音をさせて一歩前に進み出た。


「さっき花火大会でうちらに妙なこと仕掛けたのは、君ら?」

「御名答」


 わらうように軽く息を吐きだし、濃紺の狐面は袖の中で腕を組んだ。


「まさか。がいるのは知ってたが、ここまで早々に感づかれるたぁな。

 その通り。花火大会で術を仕掛けたのは俺だ」

「お前らが?」


 眉を寄せ、潤は身構える。杏季はといえば、彼らが登場した時点で早々に潤の背へ隠れてしまっていた。

 春は得心とくしんしたように頷く。


「成る程。それで、顔を見られたくないって訳ね」


 独り言のように春が呟くなり、ばちっという音が響いた。

 途端、彼らの顔を覆っていたお面が滑り落ち、カランと音を立てて地面に転がる。反射的に彼は左手で顔を覆った。


「隠してないで、堂々と素顔を見せなさいよ」


 奈由が振り返れば、後ろで春が右手を構えて立っていた。どうやら雷の理術で、お面の紐の部分を焼き切ったらしい。


「まだ、薬の効き目残ってたみたいね」


 彼女たちにしか届かない音量で、春がぼそりと囁いた。

 街灯があるとはいえ路地は暗い。狐面が外れても彼らの顔はよく見えなかったが、ぱっと見る限り彼女たちと同じ年頃の少年のようだった。


 不意を突かれたことに驚きながら、彼は真顔で春を見つめ返した。

 警戒心をにじませた潤が彼らに尋ねる。


「何者なんだよ、お前ら」

「……グレン」


 拾い上げたお面で口元を隠しながら、濃紺の浴衣を着た少年は低い声で答えた。


「せめて名前は隠させてくれ」


 すっとグレンは鋭い眼光を湛えた目を細めた。夏だというのに、その手には真っ黒な手袋がはめられている。先端には布が無く、指の部分が外に出るようになっていた。


 もう一人の人物、これまで黙ったままであった生成りの浴衣の少年は、狐面を懐にしまい込んで、ちらりと杏季に視線を向けた。


「どっかで見たことあると思ったら、そういうことかよ。……ま、仕方ないか。

 俺はワイト。別に、こっちでの単なる識別コードだからなんでもいいけどね。

 それじゃあ、早速」


 ワイトはおもむろに左手を上に掲げた。彼の動きに隣のグレンが目をき、制止しようと手を伸ばす。

 だが届く前によろめき、彼は膝を折った。片膝をついて辛うじて倒れ込むことは逃れたが、苦悶の表情で頭を抱えている。


「おっ、前……! お前の術は全員に効くんだぞ!? いきなりやるんじゃねぇよ!」

「いいじゃん。お前は慣れてんだからさ」

「そういう問題じゃない」

「けど。こうした方が、手っ取り早いだろ」

「確かに、そうだけど、な」


 不承不承それを認め、グレンはちらと目線を上げた。


 倒れたのはグレンだけではない。四人もまた急に眩暈めまいに襲われ、その場で崩れ落ちていた。

 平衡感覚が狂い、体を上手く操れない。どちらが上でどちらが下なのかもにわかに判別がつかないでいた。グレンと違い、四人は完全に倒れ伏してしまっている。

 ワイトの言うとおり、グレンは多少なりとも耐性があるらしかった。


 歯を食いしばりよろめきながらも立ち上がると、グレンは冷淡に彼女たちへ告げる。


「悪いな。お前たちに恨みはないが、適合者かどうか確認させてもらう。

 少し攻撃させてもらうぞ。――白原杏季」


 彼は両手を地面に向けて突き出した。

 途端、アスファルトを突き破って植物の蔓が瞬時に伸びる。急激に成長したその蔓は、まだ動けない杏季に向けて勢いよく襲い掛かった。


 が、グレンの攻撃は弾かれた。


 軌道はわずかに反れ、空しくアスファルトを叩く。両手に走った痺れに、グレンは顔をしかめた。

 何とか頭を持ち上げ右手を広げた春が、グレンを睨みつける。


「つっきー、……起きろ」


 春の声に促されるように、潤は倒れたまま右腕だけ高く上に差し上げた。そのまま空中へ向け、大量に水を放出する。

 空に放たれた水は数メートル上まで上ってから、重力で四人へ雨のように降り注いた。水を浴びて正気に返った潤は身を起こし、頭をふるふると振る。


「あー、すっきりした。

 あれ、今回は……まあ、いいや」


 一人で呟いてから、潤はぶんと片腕を振り回した。春もようやく立ち上がり、二人で杏季をかばうようにして彼らと対峙する。


「あっきー狙いか、あんたたち」

「何が目的か知らねぇが、うちらの友達に手ェ出してんじゃねぇよ」


 春と潤の台詞に、ワイトは口を尖らせ。


「邪魔するなよ。すぐに済むんだからさ」


 彼は左手を二人に向けた。

 が、彼より潤の方が早い。話している間に既に構えていたのだろう、潤は水の砲が如く彼らへ豪快に流水を浴びせた。

 彼らが怯んだ隙に、春は右手と左手を向い合せ、手の間に電撃を発生させる。


「つっきーも二人も、ちょっと後ろ向いてな!」


 言いながら春は自分でも目を閉じ、電撃を放った。

 彼女の放った電撃は、バスケットボールほどの大きさがある球状の塊。電撃の球はグレンとワイトの目の前で、眩い光を放つ。


「うわっ……!」


 彼らは反射的に目を閉じた。だが時は既に遅く、二人は突然の強い光にやられて一時的に視力を奪われる。


「今のうちに!」


 春はまだワイトの攻撃から立ち直り切っていない杏季の手を掴み、潤は奈由の手をとって走り出した。グレンはまだ目の奥がちらついたままの状態で彼女たちを見つめ、僅かに表情を歪める。


「させるかよ」


 目を覆ったまま呟いて、グレンは右手を伸ばした。道の両脇の生垣から、彼女たちの通り道を塞ぐように植物が伸びる。春と杏季はぎりぎりのところで何とか通り抜けたが、潤と奈由は植物のバリケードに阻まれ、グレンたちのいる側に取り残された。

 振り返った春に、間髪入れず潤は叫ぶ。


「はったん、あっきー連れて先に行け。こいつらはあっきー狙いなんだろ!」

「……分かった。頼むよ!」


 頷き、春と杏季は走り出した。

 ようやく視力を取り戻したグレンは、渋面でワイトに告げる。


「ワイト。お前は先に白原を追っててくれ」

「はいよ」


 短く返事し、ワイトは反対の道から杏季たちを追い始めた。

 その隙に潤は絡み合った植物をかき分けようとするが、すかさずグレンがまた右手を伸ばす。


「うおう!」


 潤は冷や汗をかいて手を引っ込めた。植物の壁を塗り重ねるようにして、更に刺の付いた茨が生える。


「お前らの相手してる暇はねぇんだ」


 グレンは両手を広げ、瞳を閉じた。

 ざわっと耳障りな音がして、地面からつる状の植物がするりと生える。電信柱の根元から生えたそれは、アサガオと同じ要領で電信柱に巻き付き、じわじわと成長していく。


「大人しく足止めされててくれよ」


 言ってグレンはきびすを返し、自分もワイトの後を追った。

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