夏と花火と私の刺客(2)
舞橋市の花火大会は曜日に関係なく、例年お盆の15日に行われている。今年の花火大会は月曜日であったが、お盆であるためか平日でも人出は多かった。
彼女たちが会場に着いたのは花火大会が始まる一時間ほど前だ。それでも会場である
露天で購入した焼きそばやお好み焼きを頬張りながらお喋りしていると、やがて聞き流していた会場のアナウンスが不意に止み、観客のざわめきだけが残った。
闇夜にすっと喧騒が飲まれた後、胸に響くドンという重低音と共に、夜空には大輪の花火が弾ける。
「たーまやーっ!!」
手を掲げ、潤は楽しそうに叫んだ。最初の一輪の花火を合図に、川の上空には次々と花火が上がり始める。
四人の位置からはまんべんなく花火が見渡せた。川からは少し離れているが、空に打ち上がる花火を見る分には支障はない。
黄色の花火が打ち上がり、奈由がそれを指差す。
「……ナトリウム」
彼女の意図を察し、続いて上がった緑の花火に今度は春が叫ぶ。
「銅!」
「あっくそ変態に先を越された!」
同じく奈由の遊びに便乗しようとした潤が悔しげに言った。してやったりと笑みを浮かべながら、しかし春は首を傾げる。
「でも緑って確かもう一つくらいあったよね?」
「バリウムだよ」
「そうそう、それ! さすがなっちゃん! あ、カルシウム!」
奈由に話し掛けながら橙の花火を見て潤が叫んだ。
クレープへかぶりつきながら、杏季は小声で奈由に尋ねる。
「炎色反応?」
「そうそう。あ、カリウム」
肯定しながら、打ち上がった紫の花火へ奈由はすかさず答えた。よく分かるねぇ、と呑気な声で一人参戦せずにいる杏季は、四人の中で唯一文系だ。
消えた花火の後に残る硝煙が風に流される。少しの静寂の後に一筋の光が昇り、一つだけ、大きく白色の華が咲いた。
「「「マグネシウム!!」」」
三人で同時に叫んで、つられた杏季も交えて四人で笑った。
夢中で花火を楽しんでいるうち、やがて河川敷には静寂が訪れる。スピーカーから流れてきた放送を聞けば、プログラムの三分の一程度が終わり一段落付いたところらしい。気付けば、既に花火大会の開始から四十分近くが経過していた。
おもむろに杏季が立ち上がる。
「こうしちゃいられない! 今のうちに、買い物行ってくるね!」
「今度は何買ってくるの?」
お好み焼きと焼きそばにクレープを平らげて、あらかたお腹は満たした筈の杏季に、春が不思議そうに尋ねる。
「ところてん! 珍しいけどさっき見つけたの!
こういう時じゃないとなかなか買わないし、行ってくるー!」
浮き足立ちながら、杏季は
「大丈夫かなあっきー。迷子にならんかな」
焼きイカを
「意外と方向感覚はしっかりしてるから大丈夫でしょ。それより心配なのは」
「転ばないかな」
「……そう、そこだよね」
心配そうに春は杏季の消えて行った方角に視線を送った。
十分後。
意気揚々とところてんを購入した杏季は、段差に
地面に顔を伏したまま、彼女は絶望に打ちひしがれていた。
彼女の前方には、買ったばかりのところてんが地面にぶちまけられている。一口も口を付けていない、ところてんが。
涙目になり、杏季は小さく呻き声を上げる。
この場に偶然居合わせた浴衣姿の青年が、驚いてそれを眺めていた。彼の手にはたこ焼きとじゃがバターの入った袋、赤いシロップのかかったかき氷が握られている。
そして足元には、杏季の落とした無残な姿のところてんと、一緒に落とした巾着が転がっていた。
状況を把握した青年は、かき氷のストローを
「どうぞ」
そのまま立ち去ってしまっても良かったのだろうが、余程も杏季が
やがて杏季は涙目のままゆっくりと顔を上げる。一メートル先に転がるところてんの成れの果てに顔を歪めてから、すぐ近くで自分を見つめる人の存在に気付き。
そうして彼と目が合う。
「……!?」
思わず杏季は顔を引きつらせ、素早く跳ね起き後ずさった。何かを言おうとして口を開くが、声にならない。
「だ……大丈夫デスカ」
心なしか片言だったのは、彼なりの困惑故であろう。杏季は口をぱくぱくさせ、何とか言葉を絞り出す。
「だ、……です!」
しかし、「大丈夫です」という返答は最初と最後しか言葉にならなかった。
「あーあー、買ったばっかなのに可哀相に」
青年は心底同情したように、無残な姿になったところてんを
「どーせもう一個買ってあるから、これやるよ。俺、レモン味のが好きだし」
目を瞬かせ、杏季は自分の手に収まったいちご味のかき氷を見つめた。数秒それを凝視してから、はっと気付き、杏季は彼にお礼を言おうと顔を上げる。
「あ、あの」
「それは落とすなよー」
だが彼女の言葉を聞く前に青年はさっさと立ち上がり、瞬く間に人混みへ消えてしまった。後には、きょとんとしたままの杏季だけが残される。
しばらく杏季は彼が去った方角を呆然として見つめていたが、再開された花火の音でようやく我に返った。
「……あり。ストロー?」
そして何故かスプーンもストローも、何もついていないかき氷を再び見つめ。杏季は、こてんと首を傾げた。
彼はかき氷のストローを
「……どっかで、見たことあるような」
深緑の浴衣を着た青年、ワイトは、考え込みながら人混みの中を歩き、連れのいる場所へ向かった。
遅く戻った杏季が半泣きで三人に一部始終を報告し、ようやく人心地ついた頃には、花火大会はクライマックスに差し掛かろうとしていた。
軽快に空を埋めた色とりどりのスターマインが風でかき消されると、縦に流れる黄金の光の筋が滝のように輝きだすのが見える。それを合図とばかりに、これまで座り込んでいた観客は一斉に立ち上がった。
空の滝と川面に映る滝とで二重に美しいナイアガラは、花火大会でも人気の演目ではあるが、低い位置でなので他の観客に邪魔され良く見えない。背の低い杏季は何度もジャンプし、どうにか見ようと躍起になっていた。
しかし、誰もが輝く滝を熱心に見つめる中。
一人、奈由だけは、ナイアガラとは逆方向の背後を振り返った。
――何?
ざわり、と妙な気配を覚えて奈由は鳥肌を立てる。
だが振り返っても、そこには彼女たちと同じ花火の見物客がいるだけだ。気まずくなって奈由はまた首を前に戻した。しかし言いようのない気持ち悪さは消えない。
悪寒とは少し違う。何かが背について離れないような、正体の分からない何かに胸騒ぎが止まない。
まるで、誰かにこちらをじっと見られているような。
――……誰?
根拠もなく思った、その時。
ちくり、と、何かが全身を貫いた気がした。
ぴくりと彼女の手が意図せず反応する。
何事かと手を動かそうとして、一瞬遅れて異変に気付いた。
手が、動かない。
目を見開き、思わず一歩足を引こうとしたが、足もまた地面に縫い止められたように動かなかった。
手足だけではない。
頭も、胴体も、指先に至るまで、金縛りにでもあったかのように全身が痺れて、全く言うことをきかない。まるで他人の体のようだった。
目線だけは動かせたため、奈由は他の三人の様子を窺う。
彼女たちは、身体の方角こそ花火へ向けられているものの、体は不自然に硬直したまま動かない。どうやら四人が四人とも皆、同じ状態に陥っているようであった。
彼女らは喧噪の中で、闇の中に静止した。
が。
突如、目前で眩い光が弾けた。
同時に耳鳴りのようなキンという音が身体の奥底から響き渡り、倒れ込みそうな
一瞬の後にそれが収まると、先ほど身体が動かなくなったのと同じくらい、不意に彼女たちの身体は自由になった。突然に解放された反動で、奈由は膝を付く。
「何? 何、今の!」
上ずった調子で口を開いたのは潤である。同じくふらついて、地面に手をついていた。
頃合いよくナイアガラが終わり、周囲の人々は元の席に戻り始めている。倒れかけた彼女たちも、それに合わせて何事もなかったかのように座ってみせた。
「みんな、……さっき動けなくなってた、よね」
春の言葉に三人は頷いた。
自分の腕をさすりながら、杏季は気味悪そうに身を縮める。
「わああ、何なの今の。怪奇現象?」
「怪奇、じゃなく。……故意、だと思うよ」
小声で奈由が呟く。
「確証は、ないけどね」
三人の目線から逃げるように、奈由は夜空を見上げた。
四人の困惑に構うことなく、花火のプログラムは終焉へ向けて突き進む。
感覚の戻った身体には、花火の
間もなく。花火大会は、終わろうとしていた。
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