第13話 水泳対決3

 照山さんを追いかけていた三角のスピードがガクッと落ちる。

 布のように薄く黒い物体が、顔や体にまとわりついたからだ。

「なによこれェ⁉ なんでワカメがこんなところにあるのよォ⁉」

 黒い物体の正体――ワカメ。味噌汁や酢の物に入れるとおいしいそれは、プールの中央にプカーッと漂う袋から出てきたものだ。

 『食品利権社』のベストヒット商品、『マジふえるワカメゼット』。

 すさまじい増殖スピードのせいで鍋からワカメを溢れさせてしまう主婦が続出している、まさに主婦泣かせな代物。

 もちろんこれは、さきほど照山さんが三角のいる4コースに投げ込んだものだ。

「くくく……ワカメは頭にいいのよ。よく覚えときなさい!」

「きーっ!!! くやしいけどワカメのせいで前が見えないっ!」

 50mを折り返した水上のテロリストならぬハゲリストが、三角とすれ違いざまに言葉をぶつけてきた。

 あのハゲ頭に思わずドライブシュートを叩きこみたくなる。……まあハゲとワカメは翼くんと岬くんくらいのゴールデンコンビだけどな。つうかプールにふえるワカメをばら撒くとか迷惑すぎる。

 水面に漂うワカメを取り除こうとやっきになる三角だが、それ以上の勢いでワカメは増殖し続け、もはや三角の泳ぐ4コースはワカメスープ状態になっている。あれじゃあ泳いでいるときの視界はゼロに近いだろうな。

 すでに照山さんが泳いだ距離は50mを超え、差がかなり開いてきている。

 この状態じゃ逆転するのは厳しそうだ。

「ハゲを晒した罪は万死に値する。尽きることのないワカメ地獄にとくと苦しむがいい!」

 セリフがもはや悪役でしかない。まあやることなすこと悪役そのものなのだが。

 もう学園の女王と呼ばれた頃の照山さんはどこにもいない。ハゲを晒されたことで表に出てきてしまった暗黒面ダークサイド。オセロのように性格がひっくり返ってしまっている。

 するとここで、とある変化が起きた――。


 照山さんが75mのターンを折り返す。

 残り25m。

 勝ちを確信しているのか、照山さんの泳ぎには余裕が感じられる。

 しかし折り返した瞬間、余裕それはプールの藻屑へと消えさった。

 なぜなら、折り返して早々に三角とすれ違ったからだ。

「やっと追いついたわ! 勝負はこれからよ!」

「な、なぜそこにいるっ⁉ あのワカメ地獄をどうやってくぐり抜けた――っ⁉」

 照山さんはすれ違いざまに気づいた。三角のフォームが変わっていることに。

 三角は途中でビート板のような平たい胸を晒しながら泳ぐ、いわゆる背泳ぎに泳ぎ方を変えていたのだ。

 たしかにこれなら水中に顔をつけなくていいし、ちゃんと視界も保てる。

 海藻わかめだけに、泳げずにプールの藻屑となることは回避したのだ。

「くっ! 背泳ぎなんて卑怯よ!」

「アンタにだけは言われたくないわい! ワカメよりも黒い卑怯者め! 正義は勝つってことを証明してあげわ!」

「うるさい! こっちこそ貧乳を晒しながら泳いでいることを後悔させてあげるわ! これでも喰らいなさいっ!」

 照山さんはクロールを意図的に掻いて、三角の顔に水を飛ばした。

「うぷっ! ……や、やめっ! 卑怯なことはやめなさいってば、このハゲェ! ……ぜ、絶対に負けないんだからァ!」

 姑息な行為にもめげず、激情を力に変えてライバルの背を追い続ける三角。

 必死なその姿に、いつの間にか観衆の目は惹きつけられていた。

 残り20m。もうすぐそこまで差が縮まっている。まさにデッドヒート。


『がんばれ……』


 どこからか漏れたその声をきっかけに。


『がんばれ三角! そんな卑怯者に負けるな!』

『ごめんなさい三角さん! 私、間違ってた! 正しいのはあなたよ!』

『行けーッ! 追いつけるぞ! 頑張れーっ!』

 プールサイドから一方的な声援が送られる。

 さっきまで距離を離していた照山さんだが、どうやら観客の心も離していたようだ。


「「「「三角! 三角! 三角!」」」」


 いつしかそれは一つとなり、学校の外まで聞こえそうな三角コールが沸き起こった。

 もはや照山さんを応援する者は誰もいない。

 そのエールに押されるように、三角が照山さんと並びそうな距離まで接近していく。

 残り10m。

 もうゴールまでの距離は数メートルもない。


「ハゲえええええ――っ!!!」「貧乳ううううう――っ!!!」


 そして決着の時が来た――――――

 勝負を見届けた水泳部の部長から勝者が告げられる。


「三角さんの勝利!!!」


 頭の差ほどで照山さんが負けた。

 その事実に、爆発的な歓声が沸き起こる。まるで自国の選手が金メダルを取ったようだ。


「…………はあ……はあ……はあ……ッ」


 興奮冷めやらぬ場内で、プールから上がった照山さんは中腰になり、俯いて肩を上下させていた。

 一方、三角は息を荒げているものの、疲れなど吹き飛ばすくらい嬉しそうな様子で。

「ふっふっふ! 勝負は私の勝ちのようね照山さん! さあ、約束通り謝ってもらいましょうか!」

「………………」

「黙っていても無駄よ! 潔く謝罪しなさい! ここまでしたんだから、土下座で謝らなきゃ気が済まないんだからね!!!」


「「「「土下座! 土下座! 土下座!」」」」


 プールサイドから土下座コールが巻き起こり、照山さんはギリッと歯軌りをして悔しそうに観衆を見つめるも、圧倒的な数の差に顔を伏せてしまう。

 そして場の空気を察したのか、プルプルと怒りに身を震わせながらも、土下座する形で地面に手をついた。

「あら? 謝るときは、帽子を取るものじゃないのかしら?」

「このっ……クソアマッ! 言いたいことを言わせておけば……ッ!」

「悔しいの? 悔しいんでしょうね? ……それよ! その顔を私は見たかったの!!!」

 笑いが止まらねーといった様子の高笑いを、照山さんはピクピクとこめかみに血管を浮かばせながら聞いていた。……プライドの高そうな照山さんのことだ。この屈辱は筆舌に尽くし難いだろうな。

「でも約束は約束よ! さあ早く頭を晒して土下座しなさい!!!」

「ぐぬぬぬぬぬ!!! こ、この鬼めええええええェ!!!」

 お前が言うな! と、会場にいる誰もが口を合わせた。

 それを聞いて観念したのか、照山さんは無言でスイムキャップを脱ぎ、ハゲた頭をキラリと日光に輝かせた。

 そして――、


「も、申し訳ありませんでした……」


 ハゲを地面につける形で土下座した。

 今までで一番大きな歓声が上がる。


「おっほっほっほ!!! 苦しゅうない! 苦しゅうないわ!」

 絶頂している三角をしり目に、頭を下げたまま照山さんは悔しそうに噛んだ下唇から血を流していた。





          ――――――あとがき――――――

なんとか水泳対決まで書き上げられました。

物語は序盤も序盤で、照山さんのキャラというかすべてを壊すことを前提にプロットが立てられています。

ここまでの壊れキャラはなかなかいないと思いますが、これにはちゃんとした理由があって、話が進むにつれて明らかになっていきます。よろしければそれまで頑張ってついてきてください。この物語は基本、泥船です。


勝負に負け、信頼や地位など全てを失った照山さん。

ここから彼女の物語が――『女子高生ハゲ照山さん!』がようやく始まります。

それでは、無毛ゼロから始める学生生活、よろしくお願いいたします!

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