第2話 Over the Rainbow
「待てやコラあああああああああああ!!!」
「うあああああああああああああああ!!!」
閑静な住宅街に怒号が轟く。
突然、ヤマンバのような恐ろしい形相で追いかけてきた照山さんから、俺は必死に逃げていた。
悪魔のように目が血走り、手にはアイスピック。これだけでも十分に怖いっていうのに、頭がスキンヘッドだからマジでヤバい。下手したら本物のヤマンバに追いかけられるよりも怖いんじゃないかコレ?
「つうかなんで追いかけてくるんだよ⁉ あと、なんでそんなに足が速いの⁉ いつも体育を休んでる病弱設定はどこにいった⁉」
「あれは世を忍ぶ仮の姿! これが私のトゥルーフォーム! ちなみにこの姿を見た者は死ぬ!」
「お前は真実の鏡とかで姿を現す系の魔物か! つうか世を忍ぶ仮の姿って言葉を使うやつ初めて見たよ!」
世紀末な閣下が使っていたような気もするが、それを思い出してる時間なんて俺にはない。
アイスピックをもったハゲが、みるみるうちに距離を詰めてきている。手を振らずに足だけで軽快に走るその姿は、とても病弱だと思えない。
「つうか、なんでそんな忍者みたいな走り方で早く走れるんだよ⁉」
「漫画を見て覚えた」
「写輪眼の使い手かお前は!」
ツッコミどころが多すぎて走りながら泣きそうになっていたところ、照山さんの手が俺の肩に伸びてきた。
「つ~かま~えた~」
「ひいいいいいいいいい!」
もうだめだと思った次の瞬間、
「ぷギャッ!!!」
照山さんが路傍の石に躓き、顔面から地面にぶつかる形で派手に転んでいった。
立ち止まってから後ろを振り返ると、前のめりに倒れている照山さんの姿が見えた。
「はあ……はあ……て、照山さん?」
「………………」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。うつ伏せで地面に倒れたままピクリとも動く気配がなく、ツルピカの頭からは血が垂れている状態。さらにワンピースがペロリとめくれて、純白のパンツからセクシーなお尻がはみ出している状態。
……酷い。アクションスターばりの見事なコケっぷりからの、このあられもない姿。プラスハゲ。同級生はおろか通行人もドン引き間違いなし。
……あれは本当に学園の女王と呼ばれる人なのだろうか?
思わず偽物説が浮上するけど出血してるみたいだし、たとえ偽物だったとしても心配になってしまう。それに、ケツ丸出しの女の子を見捨てていくのは男というか人としてどうなんだろう?
「ぐすっ……、えぐぅッ……!」
倒れたまま照山さんは、すすり泣くような声をあげ、プルプルと細かく震えだす。
もしかして、泣いているのか?
ここからじゃ顔が見えないから確認のしようがない。
……仕方がないなあ。
「て、照山さん、大丈夫?」
俺は倒れた照山さんに手を差し伸べる。
傷ついた女の子を放っておくわけにいかない。
そんな思いで手を出していると、グサッと足元で音がした。
「…グサッ?」
視線を下げると、アイスピックが俺の靴を貫通していた。
「うおおっ⁉ なぜにっ⁉」
指の間にアイスピックが刺さっているため怪我や痛みは無かったのだが、足が貫かれたと錯覚した俺は驚き戸惑ってしまう。
そのとき、手がグイッと引っぱられた。
「今度こそ、つ~かま~えた~」
「ひいいいいいいいいい!」
俺の手をつかみながら、鼻血を流し尋常じゃない目つきで睨みつけてくる照山さん。
あまりの恐怖でチビりそうになる中、俺は確信する。
透き通るような瞳に白い肌。
間違いない。この人は照山さんだ。
「女の涙って便利ね。あなたみたいな馬鹿な男がすぐに釣れちゃうんだもの」
「くそっ! 騙したな!」
「馬鹿ね。世の中、騙される方が悪いの。さ~て、これでもう逃げられないわよ」
アイスピックで靴を押さえつけられ手も掴まれているため、まさに手も足も出ない状態。
どう窮地を脱するか考えていると、照山さんが白いワンピースに垂れた鼻血を見て舌打ちする。
「ああもう本当に台無し。ここまで手こずったのは子供の時以来かしら。よくも女の顔に傷をつけてくれたわね。お礼に、これからあなたの未来を選ばせてあげる」
「未来、だと?」
「ええ。まあ未来と言っても、フィッシュorチキン並みに簡単な二択なのだけどね」
言ってから照山さんは、すらっとした指を二本だけ立ててから。
「――デッドorダイ?」
「どっちも行き先は天国じゃねえか! 簡単どころか無理ゲーだよ!」
「なかなかいいツッコミね。この状況で余裕があるじゃない。交渉のやり甲斐があるわ」
デッドorダイのどこに交渉の余地があるんだよ⁉ 拷問の間違いじゃないのかこれ⁉
ツッコみたいのは山々だが、あえて口にはしない。あくまで交渉と言うのならば、まだチャンスはある。
なにせ相手は凶キャラだ。ここは冷静に、強気に強キャラを装っていくべきだ。
「ああ。絶望するにはまだ早え――ッ⁉」
掴んでいた手が離され、言葉というか意識をぶった切るように地面に刺さっているものとは別のアイスピックが眼前に突き付けられた。
頭を貫通しそうな鋭いアイスピックの先端が。
まぶたの毛にピタリと触れる。
「ハゲ? 今、ハゲって言った? ハゲにハゲと言ってなにが楽しいの? 結果が出ないのにワカメや育毛マッサージを毎日欠かさずやり続ける、
「違う! 早えって言ったんだ! 交渉する余地もないくらい言葉に余裕がないな、お前!」
「あらそうだったの? ごめんなさい。早えとハゲを聞き間違えたみたいね。早いだけにとんだ早とちりをしてしまったってところかしら。……まあ謝りはしても、どっちみちやることは一緒なのだけどね」
謝罪の言葉とは裏腹にアイスピックがどけられることはなく、殺気のこもった鋭い視線が突き刺さってきた。
「お、おい、悪い冗談はやめろよ? さっきはうまいこと指と指の間に刺さったからいいけど、これはマジでシャレにならないぞ?」
「大丈夫よ。だって私、たこ焼きひっくり返すの得意だもの」
「全然大丈夫じゃねえ! お前の常識がひっくり返ってるよ、それ!」
照山さんはクスリと笑い。
「この状況でもツッコむなんてモブのくせにやるじゃない。モブのくせに」
「やめろ! 二回も言わないで! クラスでの自分の立ち位置が分かって悲しくなる!」
「そう、それじゃ一回で済ませましょうか」
アイスピックを突き付けたまま、吐息が感じられる至近距離まで照山さんの顔が近づいてきた。
俺はゴクリとつばを飲みこむ。
目を下にやれば、豊満な胸の谷間が見えたからだ。
「…何この状況で胸を見てんのよ。いやらしいモブね」
「違う。たしかに最高の眺めだけど、全くドキドキしてないから。命のやり取りって意味ではさっきからドキドキハラハラしてるんだけど」
「馬鹿ね。最高の眺めって言ってる時点で下心みえみえじゃない」
「しまった!」
本能的に見てしまった。下を向いているだけに思春期男子の下心は隠せなかったようだ。
「とんだゲスやろうね。もう話しているだけで変態がうつっちゃいそうだから、パパッと終わらせましょうか。……私の要求は二つよ。今日見たことは全て忘れなさい。そして、何があっても絶対に私の頭のことは口外しないこと。そうすれば、あなたを解放してあげるわ」
なるほど。何が何でもハゲのことは隠したいってわけか。……で、今回それが俺にばれたから必死になって追いかけてきたってわけだ。
学園の女王とまで呼ばれる人物が実はハゲでしたって、まさに学園を揺るがす大ニュースだ。
もしもバレたら、照山さんの評判や地位はガタ落ち、みんなの笑いものになること間違いなし。
それこそ学園の女王から学園のお笑い王にジョブチェンジしかねない。
まあハゲは漫才グランプリでも優勝したし、人気者なのには変わりないのだが。
俺はやれやれと息をつく。
「分かった。要求をのむから離してくれ。そもそも俺は誰かに言う気なんてなかったよ」
「ああ、そういえばあなた、誰かに言う友達すらいなかったわね。モブ&ボッチくん」
「漫才コンビみたいな変なあだ名をつけるな! いるよ! クラスは違うけど、ちゃんと友達いるよ!」
まあ友達と言っても幼馴染の春風はるかぜとかエロ同盟の奴らしかいないんだけど。
そしてこんな日曜日に一人で漫画喫茶に行ってる時点でお察しだけど。
……我ながら悲しくなってきた。
でも、たとえ俺が言いふらしたとしても学園一の美少女がハゲだったなんて話、一体誰が信じるのだろうか? 俺に友達がいっぱいいるよって言った方がまだ信じられそうだ。……いかん、ガチで泣きたくなってきた。話を切り替えよう。
「つうか、なんでそんな頭になったんだ? もしかして、そういう病気なのか?」
女子校生でハゲになんて普通はならない。病気や治療の影響で髪の毛が抜けることはあると思うが、先ほどの走りを見ていれば病気なんてとてもじゃないが信じられない。
そんなわけで一番の疑問を訪ねてみると、
「ハゲになった……理由……?」
そう呟くと、照山さんの顔がみるみるうちに蒼白になっていく。
「ど、どうしたんだ? もしかして、本当に病気なのか?」
照山さんは呼びかけに答えることなくよろよろと立ち上がると、電信柱に片手をつきウッと気分悪そうに口を押さえた。そして、
「……お……お……おえええええええええええええええええッ!!!」
「おわッ!?」
壮大にリバースした!
勢いのあるゲロがつるっぴかな頭に反射した日光と相成り、世界一汚い虹を掛ける。
こうして俺は解放された。……って、このオチひどすぎるだろ。
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