一章

第3話 貧乳の秘密

 日が高く登り始めた。

 木漏れ日は角度を変え、小川に差し込んでいた暖かい陽光は、今では三成のいる場所を照らしている。


「ここをこうして……これは、まあそうか」


 数え年で四十を迎えていた三成にとって、背中に手が回るという感覚は記憶に久しい。


「よし、結べた」


 一度は全裸になってみたものの、どうにも落ち着かなかったのでドレスの切れ端を使い身に着けている。


(これが乙女の恥じらいという物か、どうにもむず痒い心持よ)


 一番長い布切れは、腰に巻いてふんどしにした。その上から大き目の布を使い腰巻きとする。

 最後に、余った大き目の布を胸に当てがい肩にかけ、それを背中の辺りで硬く結んだ。申し訳程度に少しばかり膨らんでいる幼い胸を、その布で覆い隠す。


「乳が無い故、肩に掛けねばずり落ちてしまうな」


 まるでアマゾンに潜む女部族のような立ち姿になってしまったが、全裸よりはいくらかマシであろう。


「さてと、こうしてここに居ってもじきに腹が減るな。不本意ではあるが動くとしようか」


 比較的慎重なタイプではあるが、時として大胆不敵な行動を起こす男でもある。


 三成のような小臣では手の届くはずもない、名士として誉れ高い島左近という将を周囲が驚くような高待遇で召し抱えてみたり。


 朝鮮では、苦労して広げた戦線の萎縮を危惧する諸将の意見を押さえ込み、敵との戦闘よりも兵站の確保を優先し、漢城に諸将を集結させて勝利に導いてみたり。


 政敵である筈の徳川家康の屋敷に逃げ込み庇護を求め、九死に一生を得てみたり。

 たかだか十九万石程度の身の上ながら、関八州二百五十万石の太守に真っ向勝負を挑んでみたり。


 後世、繊細で神経質だったなどと評されてはいるが、功績だけを見ればとてもそうは思えない人物である。


 そうではある。そうではあるのだが、今となっては金髪碧眼の貧――


「何奴!」


 どこで拾ったか、手にしていた細長い棒を槍の様に構え、木々の合間に見えた人影を威嚇してみる。


「いっひっひ。そういきり立つでない。こりゃ随分と美しい娘になったな。いっひっひ」


 老婆の声に眉を顰めながら、三成はゆっくりと歩を進めてその顔を見て取れる距離まで移動した。


「老婆、この俺を知っておるか。いや、そうではなく、こうなる前の俺を知っておるのか」


 言葉を並べながらも、三成自身何を言っているのかいまいち釈然としないでいる。

 未だ混乱の渦中でもがいていると言ったところであろう。


「知っているもなにも、お前を連れて来たのはこの儂であるぞ。いーっひっひ」


 老婆のその言葉に、三成の身体は素早く反応した。

 この場で捕らえ、この奇妙な呪術を解除させなければならない。たとえ解除不能であるとしても、どうせ徳川家康の手の者であろうから殺してしまおうと思っている。


「せいやぁ!」


 大きく踏み込んで槍に見立てた棒を突き出してみたのだが、その気合いは随分と可愛く、突き出された棒は言うまでもなく緩やかなもので、しかも老婆には遠く届いてさえいない。


「いーっひっひ。その身体に慣れるまではそんなもんじゃな。いやあそれにしても美しい娘になった」


「ぐぬぬ、老婆、名乗れ無礼であろう」


 悔しさにわなわなと震えながら、どうにかして老婆から情報を聞き出す方向へ考えを移す。


 老婆の指摘が正論であり、この身体では武勇を披露する事も出来はしないと観念したのだ。

 それに元より、武芸が達者な方ではない。無理なら無理で諦めて、簡単に武器を捨てる事ができる程度のプライドしか持ち合わせていないのだ。


(これは頭で勝負するより手はないな)


 少女の身体では非力すぎる。

 その上、貧乳となれば尚更である。


「ええい、乳など無くともどうにかなるわ! 老婆、俺はどうしたのだ、説明せよ」


 美少女の姿で、可愛らしいその声で、恥ずかしげもなく『乳など無くとも』と言い切った三成の問いに対し、老婆は小さな笑みを浮かべて口を開いた。


「説明か、よかろう」


 老婆の発する一語一句を聞き逃すまいと、三成は耳をそばだてる。


「まずな、お前のその長く美しい黄金色の髪よ」


 手に持った杖で三成の頭を示し、言葉を続ける。


「お前は随分と頭の切れる男だったのだな。美しく長い髪は切れ者の証、お前が優れた頭脳の持ち主だった事を示している」


 老婆の言葉は続く。


「それに見事な信念を持っていたようだな。容姿の美しさは信念の清さ強さの証、何事にも揺るがぬ信念の持ち主だった事を示している」


 更に。


「だが、どうにも戦闘技術を心得ておらなかったようだな。体の小ささはその証よ。まあこれほど美しい娘になったのであれば、その小柄で華奢な身体の方がよかったかもしれんな」


 聞きながら、三成は自分の身体を見回してみる。

 言われた通り、これ以上ない程の華奢である。そうではあるが、粗末でもなく、程よく柔らかそうな体つきだ。


「老婆、俺は確かに市松や虎ノ助と比べれば弱い。だがこれでも相応の修練は積んできた。人並みの武芸は心得ているつもりだ」


 そう言いながら木の棒を振った。


「いっひっひ、人並みではその程度だと言う事だ。それにな、お前はどうにも人気が無かったようだな。それも随分と深刻なまでに人から嫌われておった様子と見える。死んだ原因もそれか?」


「な、なぜそう思う!」


「いーっひっひ、その胸じゃ。何ともみすぼらしい薄っぺらいその胸は、お前の人望が薄かった証。まな板にレーズンとまでは言わんが、そうじゃな、どら焼き程度よ」


「どら……なんだ? どら?」


 呆気にとられる三成を他所に、老婆は言葉を続けた。


「せっかく用意してやったドレスをそんなにしてしまいおって。まあよい。で、お前、死ぬ前に何を欲した」


 唐突の質問に、三成は小さな腕を組んで深く考え込む。


(水か? そういう類の事ではないな。だとすると百万石か、殿下の御傍に参る事か? いやどちらも違う、俺は……)


 顔を上げ、真直ぐに老婆を見据えて答えた。


「俺は、人望を欲した。乳を欲したのではないぞ? 言っておくが乳が無い事など気にしてはおらん! 俺は、ち……コホン。俺は、人望を欲した!」


 答えた三成を見つめる老婆の、その老いた両目が丸くなった。


「これは驚いた……今際の際にそのような事を望んだのか。これは期待外れじゃった」


「どういう意味だ、返答次第では首が飛ぶぞ」


 未だ前世のノリの三成に対し、老婆はひとつため息を吐く。


「死の間際に欲したそれを、この世界では十倍、時には何十倍の力に変えて使う事ができる。だがお前は人望を欲した。もともと無い様な物だったそれをだな、十倍にしようと何十倍にしようと意味がないわい」


 老婆の言葉の意味を殆ど理解できていないが、それでも何処となく蔑まれている感は否めない。


「おのれ老婆、それが何だと言うのだ。そのような力、いったい何に使う」


 腕力を求めれば十倍に、脚力を求めれば十倍に。

 それらを想像するに、どうにも常人離れした恐ろしい力となるであろう。

 死の直前、優れた家臣を欲していれば、十人の優秀な人物を得られたという事か、それとも、その十倍優れた家臣を一人だけ得られたのか。


(いや、俺が家臣を欲した筈はない)


 家臣には十分に恵まれていた。三成は心からそう思えている。

 多くの勇士を配下に持ち、それなりに慕われていた。僅かに膨らんだこの乳は、配下の者からの人望であろう。


 そんな事を考えながら老婆の答えを待った。


「いっひっひ、良い質問じゃ。単刀直入に言おう、お前にはこれから『理の水晶』を探してもらう」


「ことわりの……すいしょう」


「そうじゃ。それをお前が見事手にした暁には、儂がお前の望みを何でも一つ叶えてやる。お前をこのような場所でそのような姿に変えた儂に出来る事は多いぞ、何か望みはないか?」


 今、望みを聞かれればそれは一つしかない。


「なるほどな。俺を使ってその理の水晶とやらを得ようという算段か。言い成りになるのは面白うないが、何でも一つ望みを叶えるというのは悪くない」


 その一つの望み、叶うのであればどんな困難にでも立ち向かうつもりでいる。


「いっひっひ、良い目をしておる。望みはなんだ、言ってみろ」


 老婆の言葉に、美しい碧眼の奥が光った。


「ならば言おう。俺の望みは乳……いや、そんな筈はない。今のは違うぞ」


 頬を赤らめ、改めて望みを告げる。


「俺の望みはな、内府の首よ。あの男の首を得られるとあらば、俺は地獄へ落ちる事など何とも思わぬ」


 老婆は大きく頷いた。


「良かろう。内府とやらの命を奪えばよいのだな、お前が上手くやったらそうしてやる。約束しよう」


「して、その理の水晶とやらは何処にある」


 三成の問いに、老婆は小さく横に首を振った。


「そう焦るでない。そう言えば『名乗れ』といわれていたがな、人に名を尋ねる時は己から先に名乗るものじゃ」


 老婆の言葉に納得したのか、三成は素直に姿勢を正して軽く会釈するようにした。


「いかにも、そうしよう。我が名は石田治部少輔三成、江北の地にて亡き太閤殿下に拾われて以来、粉骨砕身尽くしてきたつもりである。甲斐あってか御厚遇を賜り、佐和山は十九万石を預かっておる。元は豊臣家の政務を担う五奉行を統べる立場にあったのだが、武運拙く六条の河原に首を晒す事と相成った」


 なったのだが、生きている。

 三成は少女の声で語りながら、形容し難い不思議な感覚に取り憑かれていた。

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