第2話 金髪碧眼の……

 無を明確に想像し、それを認識できる人間がどれだけいるだろうか。


 同じように、死を明確に認識する事もまた難しい。


 死んだ人間にしか理解しえない何かが存在するのか、それとも死という境界線の向こう側は、永久とこしえの無なのだろうか。



 そんな事を考えていた石田治部少輔じぶのしょう三成は、顔に冷たい違和感を覚えて体を起こす。


(ここが地獄なのか)


 無意識のうちに左手が首の後ろへと当てられ、打ち落とされたはずの首が繋がっている事を知る。


(地獄にしては随分と穏やかな事だ。それともここが三途の川か)


 三成が身体を横たえていたその場所は、深緑に囲まれ、色艶やかな花々が咲き乱れ、美しい木漏れ日を浴び、澄んだ小川が軽やかに歌う森の中。


(三途の川にしては……妙に明るく爽やかな事だ)


 草木が湛えた朝露だろうか、時折ぽたりと三成の肩に落ちる。先ほど顔に感じた違和感の正体を知り、何故か小さな笑いが込み上げてきた。


「奇妙な事だ。俺は閻魔大王にまで嫌われていたという事か」


 呟いてみて、改めて違和感を感じる。


 体の感覚が妙だったのは、疲れや何かの所為だとばかり思っていたのだが、どうやら違うという事に気が付く。

 そして何より、自身の声に驚いていた。


 まるで子女のようにか細く高く、華のある声。


「なんだ……」


 自分の声に戦慄しながら、顔の前に両手を出して確かめる。


 そこに在るのはどうにも華奢で、傷一つない柔らかい手だ。


 慌てて小川を覗き込み、水面に映る己の姿を確認して愕然とした。


(馬鹿な、金髪碧眼の南蛮人だと?)


 それだけではない。


(西洋の女子おなごか。いや、まて、子供か?)


 歳はかなり若い。

 若いと言うよりまだ子供であるのだが、顔立ちは実に整っていて、花や小川までが嫉妬するのではないかと思う程に美しい。


 慌てて立ち上がった三成は、自身の衣服にも驚愕する。

 レースのフリルで飾られた薄紅色のドレスを纏い、履物は見慣れぬ素材で作られている。


 意を決し、ドレスの上から己の股間をむんずと掴んだ。


「ふがっ!? 無い?」


 更に股間を弄ってみる。


「ひはっ!? ……無いぞ、一物を失のうておる」


 徳川の者によって首を失ったはずが、なぜか見知らぬ森の中で一物を失う事になっている状況に、三成は激しく動揺した。


「おのれ内府……斯様な呪術を」


 わなわなと怒りに震えながら、今度は己の両胸を恐る恐る掴んでみる。


「なっ!? ち、ち、乳が、な、な、無いではないか!」


 早い話が金髪碧眼の貧乳美少女である。


「おのれ内府、豊臣の天下を掠め取っただけでは飽き足らず、俺の一物と乳まで……許すまじ」


 もともと乳はなかったが、それはそれ。

 怒りに任せて一歩踏み出した三成の足元が崩れ、そのまま体勢を崩して小川へと傾く。


「きゃあ!」


 なんとも少女らしい可愛い声を上げながらざばりと小川に落ち、どうにも納得のいかない表情で這い上がる。


(きゃあ? 何と情けない……)


 この場所に戸惑い、己の有様に戸惑い、何から考えるべきかを考え始めた。


 石田治部少輔三成という男は、中世日本の侍にしては珍しい思考回路の持ち主である。

 先鋭的なまでに研ぎ澄まされた合理的思考は、かの織田信長をも上回る斬新な政策を次々と生み出し、鋼の忠誠心で主人の政権運営を屋台骨として支えてきた。


 だが、そんな男も今は金髪碧眼の貧乳美少女。


(解せぬ、頭に靄がかかったようだ。如何にも考えが巡らぬわ)


 以前は自身の脳内で様々な可能性を列挙して、それをひとつひとつ分析し、其々に優劣を付けては更に次の一手までも思い描く。

 それを時間をかけてやるならまだしも、この男はそれを瞬時にやってのける無双の官僚だった。


 しかし今は違う。

 どうしようもなく平凡な頭脳を持った、金髪碧眼の貧乳美少女なのだ。


「口惜しいがやめじゃ」


 半ば不貞腐れるように身体を投げ出して、草木の上に寝そべった。濡れたドレスがぐしゃりと不快な音と感覚を伝えてくる。


 とりあえず衣服をどうにかしたいと思うのだが、これもまた三成本人には不思議な感情であった。


(窮地に立って雨に濡れるを気にした事などない。今この時に、俺は何を気にしているのだ情けない)


 くどいようだが、今は金髪碧眼の――


「ええい、乳など気にかけておらん! よく考えれば元より無かったものではないか!」


 苛立ちながら身体を起こし、その苛立ちをぶつけるかのようにドレスをびりびりと引き裂いていく。


「このような動き難い衣など不要じゃ! 何なら全裸でも構わぬ! 閻魔大王よ見ておれ、俺を地獄へ連れて行かなんだ事、後悔させてくれるわ!」


 白く美しい肌を露呈させながら、言い知れぬ不満を爆発させていた。

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