ゴッド☆ちっぱい【治部少乳の大冒険】
犬のニャン太
第一幕 治部少乳の大冒険
序章
第1話 六条河原の景色
筑摩江や 芦間に灯す かがり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり
(古今名だたる将達が最期に目にした景色がこれか)
豊臣政権の屋台骨を支えてきた男が最期に見るその景色は、かつてこの場所で散っていった多くの将も目にした景色である。
(殿下、これよりお側へ参ります)
京、六条河原。
そこは時の権力者に抗った者を処刑する場として、広く世間に知られていた。それは同時に、処刑する側の権威を世間に示す場である事を物語っている。
鴨川の
その中に、奇妙ないでたちの老婆の姿が在った。
「あやつ、この期に及んで良い目をしておる。あやつにしよう」
処刑場を囲う人だかりから、この日二度目の悲鳴が上がった。
宣教師ルイス=フロイスから『羽柴の海軍司令官』と評され、教皇クレメンス八世までがその死を惜しんだと言われる人物の首が、たった今落とされたのである。
特に涙を流しながら泣き叫ぶ一部の人々は、手にしたロザリオを高く掲げ、口々に神への祈りを奉げていた。
老婆にしてみれば実に珍妙な光景である。
先ほど丸坊主の男が首を落とされた場面では、南無阿弥陀仏の大合唱が起こったというのに、この差を理解するのは到底無理であろうと思わざるを得ない。
「まあよいか。さて、次はあやつじゃな」
それはそれとして、老婆の興味は残った一人に向けられていた。
(俺が百万石……いや、せめて五十万石の大名であったならば結果は違ったのか)
大封を得る機会は何度もあった。
しかし主家の繁栄を何より重んじたこの男は、戦働きで功のある武辺者達に所領を与える事を優先し、官僚である己は大封を辞退し続けてきたのだ。
今回の大戦を前に、同じく大封を辞退してきた同僚との会話では、珍しく冗談交じりに「こんな事になるなら辞退すべきではなかった」と、笑顔で語らった程である。
(他人の忠義を過信した俺の間違いか……)
功を賞賛し、大封を与え、分不相応なまでの官位と官職まで惜しげもなくばら撒いた。
そうまでしても、成り上り者として知られる亡き主君は、永続的な忠誠心を得られなかったのだ。それこそがこの時代の真の姿であるわけだが、この男してみればこれ程馬鹿げた話はない。
主家により取り立てられ、主家の計らいで生き残り、主家の力で土地と官位を得ている大名の半数以上が、目先の何かに固執して主家の危機に見て見ぬ振りをする。見て見ぬ振りならば良い方で、あからさまに背を向ける輩までいる有様であった。
(だがそれも、俺の人望の無さ故か……下らぬ、実に下らぬ。馬鹿馬鹿しい)
この男にとって、己の感情などどうでも良い事なのだ。全ての基準が主家のためになるか否かであり、己が好き嫌いで判断するような事は何一つない。
どれ程いけ好かぬ輩であっても、日の本の安定に必要とあらば、躊躇なく頭を下げ、敬い、丁寧に接してきた。それが何より主家のためになると、そう信じてきたからに他ならない。
そんなこの男を、心ある人はこう褒め称えた。
実に合理的で無駄を嫌う思考、白黒はっきりした物言いと裏表のない性格、主家の治世を主軸で担う優れた頭脳、献身的な姿勢と有り余る忠誠心と熱意、それらが相まって得られる主君からの絶対的な信頼、そしてその信頼が生み出す絶大な権力は五大老にも匹敵する、と。
(人望……か)
一方で、心ない人、もしくは主家に腹心しきっていない者はこう評した。
効率主義者で心を持たず、他人の心情を顧みない発言がいちいち腹立たしく、ろくな槍働きもせずに後方でのうのうと過ごし、小賢しくずる賢く、大大名や主君にばかり常に良い顔をし、主君からの信頼を良い事に権力を得て、まるで己が五大老かの如く振舞っている、と。
(殿下……申し訳御座いませぬ。地獄で佐吉を罰して下され)
人の心を掴む事が如何に難しく大切な事であるのかを、理解していないわけではない。
表向きには神業的な人心掌握術を用い、この日の本を泰平に導いた主の側で働いてきた。
そしてその裏で、主が人心掌握にどれ程までに心を砕き、文字通り腐心し、苦労に苦労を重ねてきたのかを知っている。その姿を目の当たりにしてきたのだ。
(人望か、下らぬな)
そんなこの男の斜め後ろに、酒を吹きかけた刀を掲げる者が立つ。
いよいよ、その時である。
やおら首を垂れた男を、老婆の熱い視線が見つめている。
此の期に及んでも落ち着き払い、どこか達観したような雰囲気を感じさせる風貌。
多少やつれてはいるが、それも苦労の多かった証であろう。ましてやこの様な憂き目にあっているのだから、相応の困難に立ち向かったに違いない。
そう感じた老婆は、ある事に気づく。
「そうか、良い男なのだな」
言うなれば、老婆の好みという事だ。
久しく、それこそ数十年忘れていた胸の高鳴りである。
「儂がもう少し若ければな……うむ、他の女に取られるのは面白くないね」
そう呟いた老婆の杖から見えない力が発され、その力が処刑寸前の男に纏わりつく。如何に好みと言えども齢百を越える老婆には、色恋など今更の事である。
集まっている黒山の人だかりから、この日三度目の悲鳴が上がった。
今度は神に祈るでもなく、南無阿弥陀の大合唱でもない。
人々はひたすらに騒めき立ち、周囲にいる者と顔を近づけて小声で語らっている。
「これで豊臣の世は終いかな」
「終いではないだろうが、これからは江戸の内府が仕切ることだろうよ」
そして多くの者が神妙な面持ちで、そっと両手を合わせていた。
それは一人の男を見送るというよりも、一つの時代の終焉を見送るような、そんな群衆の姿であった。
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