第244話 ペリーとの最後の夜

 ハワイ島の最後の夜。


 たった三日とはいえ濃厚な日々だった。


 疲れ果てていたはずなのに、やっぱり私は寝付けなかった。


 またペリーが一人でジンをあおりながら泣いているような気がした。


 気になってダイニングに降りたが、そこにはペリーの姿はなかった。


 だがリビングから庭に出るテラスの窓が少し開いていた。


 そっと窓を開けてテラスに出てみると……。


 ロッキングチェアに腰かけて庭を見つめているペリーの姿があった。


「ペリー……」


「真音? また眠れないのでーすか?」


 ペリーはゆっくりと私に視線を動かして微笑んだ。


「はい。ぺりーも眠れないのですか?」


「私はいつも一日の終わりにここでマナとおしゃべりをしてから眠るのでーす」


「マナと? マナって精霊みたいなものですよね? ペリーには見えるのですか?」


「そう。じっと庭の木々を見ていると、小さな光が飛び交っているのが見えまーす」


 庭の木々と言っても、日本の小さな庭ではなくジャングルのような木々が生い茂っている。

 夜のジャングルは、じっと見ていると何か不思議なものが見えてもおかしくない気がする。


「真音も座って見てごらんなさーい」


 私は勧められるままにロッキングチェアの横に置かれたベンチに腰掛けた。


 夜の澄んだ空気の下で、夜行性の動物がうごめき、木々が風に揺られて囁き合っている。なにか別世界にいるような不思議な気持ちになっていく。


「ペリー。私は今日、ある人に良い助言をもらいました。好きになってはいけない人がいるなら、別の誰かに恋をして置き換えていけばいいと。最初は難しくても、やがてそれが本物になるかもしれないと……」


 私は御子柴さんに言われたことをそのまま伝えてみた。

 失恋を癒すのは新しい恋だけだと聞いたことがある。

 ペリーも新しい恋で前に進めればいいと思った。


「私もそう思ってハンサムな男性、見逃しませーんねー」


 そういえばペリーはバーベキューでも御子柴さんと志岐くんにべったりだっけ。


「でも無理でーしたー。忘れられる相手と忘れられない相手がいまーすねー」


「でもそれじゃあ、一生、叶わない相手を想って過ごすんですか?」


 それはとても不幸なことのように思えた。


「一生かどうかは私にも分かりませーん。でも私は私の心を大事にしまーすね。通じ合う想いだけが正しいとは思いませーん。一方通行の想いにも尊い価値がありまーす。私はここで静かにその想いを噛みしめ、いつくしみ、どこまでも追求して、想いの底を淡々と見つめ続けていまーす。見つめきった先に何があるのか。マグマのように沸き立つ想いがどんな終息を迎えるのか。女神ペレのふところいだかれながら見届けようと思うのでーす」


 ペリーは強い人だと思った。


 自分を誤魔化し逃げ道を作ることも出来るのに、苦しい道を選んだ。


 自分の心を大事にすることは、時に軋轢あつれきを生み孤立することもある。


 自分の心に正直であることは年を重ねるごとに難しくなる。


 人とのつながりが増えるほど、正直でいられなくなる。


 時には誰かを傷つけないために嘘の仮面をつけなければいけないこともある。


 女神ペレの妹が当初自分の想いを仮面で封印したように……。


 もしも妹が仮面をつけたまま婚約者の気持ちに応えなければ、ここで煮えたぎる想いを抱えながら孤独に暮らしていたのは妹の方だったのかもしれない。


 いや、妹ならば気持ちを切り替え次の恋に向かえたかもしれない。


 結果がどうなったかなんて誰にも分からない。


 どれが正解だったかなんて誰も決めることはできない。


「私はこの道を選びまーした。でも、真音には真音の道がありまーす」


「私の道……」


「そうでーす。今のあなたが選んだ道を進んでみるしかありませーんね」


「私が選んだ道……」


 それはどっち?


 自分の心のおもむくままに進むこと?

 それとも仮面をつけて別の恋を探すこと?


「大丈夫。行き止まりになってしまったら、ここに戻ってくればいいのでーす。そしてここからもう一度やり直せばいいのでーす」


「やり直せるのですか?」


 間違った方を選んでしまったと思ったら……。

 もう一度、この分岐点に戻れるの?


「もちろんでーす。命さえあればどんな失敗もやり直せまーす。恐れる必要はありませーん。まずは今選んだ道を進んでみることでーす」


「……はい」


 同じ仮面でも、私とペレの妹には決定的な違いがある。


 私の想いは一方通行で、仮面をはずしても通じ合えるわけではないということ……。


 周りに混乱を与えるだけの、誰も幸せにしない想いなのだ。


 進む道など一つしかなかった。


 ペリーは立ち上がり、そっと私の手をとった。


「行き詰まったならば、ここに戻っていらっしゃーい。いつでもウェルカムね」


「ペリー……」


 ペリーは太い腕で私をぎゅっと抱きしめてくれた。


 それは女神ペレに抱き締められているような熱を感じさせてくれた。


 聖なる島の大地に包まれているような温かさを。




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