第242話 片思いのバーベキュー④
私は志岐くんから逃げ出し、ビーチからホテルに通じるヤシの木々の生い茂る遊歩道に駆け込んだ。
こういう時は元陸上選手だったことに感謝する。
振り払ってからのいきなりのトップスピードに誰もついて来れなかった。
ほっと一息ついて、誰もいないヤシの木の下で気持ちを整える。
落ち着いてみると自分の失態に頭を抱える。
どうしよう。
一人でてんぱって、志岐くんに変なことを言って逃げてきてしまった。
今頃志岐くんは変なやつだと呆れているはずだ。
私は志岐くんへの恋心が芽生え始めた和希に同調してしまっているのだ。
まるで自分が志岐くんと恋を始めているような図々しい妄想を抱いてしまっている。
なんてことだ。
ファンとして、一番やってはいけない禁忌にはまりかけている。
ダメだ、ダメだ。
落ち着いて、真音。
恋をしているのは和希であって、私じゃない。
私は遠くから志岐くんの幸せを願うただのファンの一人なのよ。
あまりに距離が近くなって勘違いしてしまってるのよ。
「危うく勘違いの罠にはまるところだったわ……」
「勘違いの罠?」
ふいに背後から声が聞こえて、私はぎょっとして振り返った。
「ふう~。やっと、追いついた。足が速いから見失うかと思ったよ」
「御子柴さん……」
少し息を切らした御子柴さんが立っていた。
さすが御子柴さんだ。私のトップスピードにも追いついてきていた。
そして息を整えると、再び尋ねた。
「それで? 勘違いの罠ってなに?」
「そ、それは……」
「君は志岐が好きなの?」
「!!!」
私はすべて見透かしているような御子柴さんにぎょっとして顔を上げた。
「ち、違います! 違うんです! 私は妄想癖があって、それでつい感情移入してしまって、勘違いしただけなんです! 志岐くんを好きなのは私じゃないんです! 私であってはならないんです!!」
慌てて全力で否定した。
「ふーん。君じゃないんだ」
御子柴さんは考え込むように私を見つめた。
「そ、そうです! 私じゃありません!!」
自分に言い聞かせるようにもう一度言う。
「でもそれだと感情移入するたびに、自分も志岐を好きになるんじゃないかな? ということは君が志岐を好きなのと同じだよね?」
「そ、それは……あってはならないことです……ぜったいに……」
「つまり、君は志岐を好きになりたくないんだ」
「はい……。ファンとしての好き以上のものを持ってはいけません」
御子柴さんはなぜか満足そうに肯いた。
「だったらいい方法を教えてあげるよ」
「いい方法?」
「そう。君が妄想を大いに膨らませて感情移入しても自分を見失わない方法だよ」
「そ、そんな素敵な裏技が? 是非教えて下さい!!」
私は両こぶしを握り締めて御子柴さんに懇願した。
「簡単なことさ。君自身が別に恋人を作ることだ」
「こ、恋人? 私が?」
「そう。感情移入するたびに、自分の恋人に置き換えればいい。最初は難しいかもしれないけど、いずれ志岐への気持ちが恋人へと移行していくだろう。もう何も苦しまなくてよくなる」
「で、ですが私に恋人なんてできるでしょうか? 自慢じゃありませんが今までの人生で恋人ができたこともないのですが……」
「それは、君があまりに鈍感だからだろう。大丈夫、今、最大のモテ期が来ているよ」
「え?! 私にモテ期が? まったく気づきませんでしたが……」
「周りをよく見渡してみるといい。とてつもなくいい男がいるはずだ。よく思い出してごらん」
「いい男と言われている人は、芸能界にいればたくさん見かけますけど……」
「その中でも最高の男がいるだろう? いつも君を気にかけてくれる別格の男が」
「そんな人いたかな? 誰だろう?」
首を傾げる私に御子柴さんが少しいらっとしているように見えた。
「なぜ分からないんだ。志岐に匹敵するような男は、他にいないだろう?」
「……」
しばらく考えて、私はようやく思い出した。
「そういえば、いました! 今まですっかり忘れていましたが、ちょうどいい人材が!」
「そうか! いたか!!」
御子柴さんがやけに嬉しそうに目を輝かせる。
「その相手と、君自身が恋をするんだよ。これは芸能人として、歌や演技の時にもいい経験になるよ。そして気付けば志岐のことも一ファンとして冷静に応援できるようになることだろう」
「本当ですか? そんなにすべてうまくいくでしょうか?」
「大丈夫だ。彼に任せておけばいい。きっと君を幸せな道に導いてくれるはずだ」
「そうでうすね。分かりました! 少し希望が持てました」
御子柴さんは満足そうにほくそ笑んだ。
なぜか幼児御子柴さんが発動しているように見えたのは気のせいだろう。
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