第230話 堕ちた和希

「きゃああああ!!!」

「和希いいいい!!!」


 私と佳澄は崖のへりにしがみついて、堕ちていく和希に手を伸ばす。

 だが、もちろん間に合わなかった。


 もうダメだと顔を覆いたくなった私だったが、崖下に立つ志岐くんを見つけた。


 異変に気付いた志岐くんが、両手を広げて見上げている。


「志岐くん!! お願いっっ!!」


 私は思わず叫んでいた。

 そして、すでに安心していた。


 志岐くんなら大丈夫。

 絶対、和希を受け止めてくれる。


 私が信じた通り、志岐くんは的確に和希の落下点に回り込み、ずっしりと受け止めた。


 細身の和希とはいえ、3メートル上から落下する重みは想像以上だろう。


「……っぐ!!」


 さすがの志岐くんも、あまりの衝撃に声がもれた。


 だが、和希の体は地面ぎりぎりのところで受け止めきった。


 さ、さすが、志岐くん。


 私と佳澄は、崖のへりから顔を出して、ほうっと安堵の息を吐いた。


 驚いたのは、崖下の人々だ。


 突然、空から美少女堕天使が堕ちてきたのだ。


「うわっ!! なんだ?」

「ええっ!? 人が堕ちてきたのか?」

「なに? だれ?」


 和希を抱きとめた志岐くんの周りに人だかりが出来ている。


 私達のスタッフも、和希が堕ちるところを見ていたらしく、青ざめた顔で崖上から下を覗いている。


 そして崖上と崖下で、それぞれのスタッフ同士が顔を見合わせた。

 お互いに事態が呑み込めずに唖然としている。


 そんな中で私は和希の無事を確認すると、そっと崖から姿を隠した。


 とりあえず一難は去ったけれど……。


 これはどうしたものなのか……。


 今の私はイザベルメイクで堕天使3の仮面ドール、真音。


 いや、真音って言っちゃってるし。


 まずい。どうやって誤魔化すの?


 そもそも堕天使3のメンバーで芸能1組に舞い戻った時点で、真音とイザベルが結びつくのは時間の問題だと思っていたけど……。


「やっぱり会っちゃったわね。そうなる予感はしてたのよ」


 田崎マネが私のところにきてため息をついた。


「田崎マネは知ってたんですか? 志岐くんたちがハワイ島にいること」


「ええ。社長に口止めされてたのだけどね。こっちのスタッフは全員知っているわ。あと田中マネも知ってるわ」


「田中マネ! じゃあ、やっぱり飛行機で見たのは田中マネだったんだ」


「ごめんね、黙ってて。できれば知られないままに撮影を終えたかったんだけど……」


「じゃあ、もしかして日本から追いかけてきた粘着ストーカーファンって……」


「社長いわく、御子柴くんのことよね」


 田崎マネは苦笑した。

 カリスマアイドルも社長にかかれば粘着ストーカー扱いらしい。


 それで田崎マネの様子がおかしかったんだ。やっと理解した。


「私は……誰として志岐くんや御子柴さんと会えばいいんでしょうか……」


 田崎マネは困ったように肩をすくめた。


「堕天使3として大々的に売り出すからには、いずれ仮面ドール真音がイザベルだということは漏れてしまうわ。なぜ、そんなに二人にバレたくないのか分からないけど、どうせなら自分の口から正直に言った方がいいんじゃないかしら?」


「そう……ですよね」


 もはや、今ではなぜ最初から正直に言わなかったのかと後悔している。


 真音だということを隠して、イザベルとして二人に会った日々が積もっていくたびに、言い出せなくなってしまった。


 これは正直に言う、いい機会かもしれない。


「どうするかは自分で決めなさい。どっちにしろ、あの二人はあなたがイザベルだと知ったところで何も変わらないとは思うわよ」


 田崎マネは、そう言い残して行ってしまった。



………………………

 そして崖下では……。


「大丈夫? 怪我はない?」


 志岐の腕の中に抱き留められた和希は、がくがくと震えていた。


 波乱万丈な人生を生きてきたとはいえ、崖から堕ちたのは初めてだった。

 宙に舞った時は、もう死んだと思った。


「志岐……」


 気付けば志岐の服をぎゅっと握りしめていた。

 力強い腕の中で、自分がか弱い女の子になったような感覚に驚く。

 男なんかに頼らず生きると決めていたのに、この腕にはすでに二回も助けられた。


 他の愚かでけがれた男たちとは違う。

 この腕だけは、いつも誠実に自分を守ってくれる。


 そう気付くと、訳の分からない恍惚感こうこつかんのようなものが沸き上がる。


「あ、ありがとう……。志岐……。助けてくれて……」


 涙が溢れそうになって、思わず志岐の胸に顔をうずめる。


 志岐は、小さい子をなだめるように、和希の背をとんとんとたたいた。


「うん。もう大丈夫だから。安心して」


 耳元に聞こえる志岐の声に、心の底から安心した。


 これまでの人生で、これほど誰かの言葉に安心したことなどなかった。


 こういう感覚を幸せというのかもしれないと、和希は志岐の胸に顔をうずめながら漠然と感じていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る