第229話 万事休す

 そんな……まさか……。


 私は呆然と志岐くんを見つめていた。


 志岐くんも驚いた表情のまま私を見上げている。


 ずいぶん長い時間見つめ合ったような気もするし、一瞬だったようにも思う。


 驚きと共に、いろんな感情が一気に全身を駆け巡る。


 久しぶりに会えた喜び。なぜここにいるのかという疑問。そして……。

 魂を震わすような心の奥から湧き上がるよろこび。


 それは昔の自分にはなかった感情のように思う。


 ここ最近、初めて知ったような未知の感情。

 ドキドキと脈打つ鼓動が止まらない。

 志岐くんから目が離せない。


 だが、その時志岐くんに近付く人影が目に入った。


「どうした、志岐? 何を見てるんだ?」


 その人影が志岐くんの目線を追って私を見上げた。


「え?!」


 それもまた思いがけない人物だった。


「蘭子……」


「!!」


 大河原さんの呟きで我に返った私は、慌てて崖から下がって身を隠した。


 まずい!


 仮面をはずしていた。


 ということは、イザベル……いや、大河原さんにとっての蘭子の姿を見せてしまった。


「あれ? 今、崖の上に蘭子がいなかったか?」


 崖下で騒ぐ大河原さんの声が聞こえる。


「き、気のせいです、大河原さん。ここに蘭子がいるわけないですよ」


 誤魔化そうとする志岐くんの声も聞こえる。


「いや、今のは蘭子だったぞ! 間違いない!」


「気のせいですって。大河原さんの願望が見せた幻影です」


「俺の願望が? そうなのか? 言われてみればこんな所に蘭子がいるわけないか」


 お願い。そのまま志岐くんに誤魔化されて。


「なに騒いでんですか、大河原さん」


 あれ? この声は御子柴さん?

 御子柴さんもいるの?


「もう、頭に響くから騒がないでよ、大河原さん」


 廉くんの声? 廉くんまでいるの?

 それってメンズボックス四天王?


 じゃあ……メンズボックスの海外ロケってハワイ島だったの?


 私はようやく状況が呑み込めてきた。


「いや、でもやっぱり気になる。呼んでみるよ。おーい、蘭子! 蘭子~!!」

「ちょっ……、大河原さん、近所迷惑ですよ。叫ばないでください」

「え? 蘭子? 蘭子がいたんですか? 大河原さん!」

「もう、みんな大きな声出さないでって。頭に響くから」


 まずい、まずい。


 下で騒ぎ始めてる。


 そして、佳澄に崖から引き戻されていた和希が崖下の騒ぎに気付いた。


「なんか下が騒がしいな。何を騒いでるんだ?」

「もう、和希! そんなに崖に近付いたら危ないって!!」

「ちょっと見るだけだから大丈夫だって。佳澄は心配症だなあ」


 まずい、まずい。


「か、和希! 佳澄の言う通り危ないよ。ほら、次の撮影が始まるからもう行こう」


 私も佳澄と一緒に和希を行かせまいと引っ張る。


「もう、真音まで。自分も見てたじゃんか。大丈夫だって。ちょっと覗くだけだから」


 和希は私と佳澄を振り切って、崖の端に立って下を覗き込んだ。


 そして、目を見開く。


「え……? 志岐?」


 ダメだあああ。和希に気付かれてしまった。


 和希は驚いた顔で崖下を覗き込んでいる。


「どうして志岐が……?」


 そして最悪の事態が起こってしまった。


 あまりに思いがけない人物の登場に驚いた和希は、溶岩の割れ目に厚底ブーツの底を踏み入れて、思いっきり体勢を崩してしまった。


「あっ!!」


 叫んだ時にはもう遅かった。


 和希の体は崖から投げ出されるようにして宙を舞った。


「きゃあああ!!!」

「和希いいいい!!!」


 私と佳澄が悲鳴を上げる目の前で、和希の体がマントをひるがえして崖下に落ちていった。



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