第八章 6月のバカンス

第216話 ハワイの空

「ひゃあー、すげえ。雲が見えるぞ! 真音まおと


「見て見て! 鳥が飛んでますよ、和希かずき!」


 私と和希は飛行機の窓に張り付いて、すっかり興奮していた。


 なにせ二人とも、飛行機に乗ったのなんて初めてのことだ。

 しかも海外!

 しかもしかも夢の国、ハワイだ!!


「二人とも少し落ち着いてください。フライトはまだまだ長いんですから」


 彼女、南ノ森みなみのもり佳澄かすみは家族旅行でハワイにも行ったことがあるらしく落ち着いている。初フライトの私と和希に窓際を譲って、通路側席でCAさんに配られたあられ菓子を頬張っている。


 良家のお嬢様らしい佳澄は、ちょっとドジで抜けているところがあるが、真っ直ぐな黒髪が似合う大きな垂れ目が愛らしい超絶美少女だ。


 普通にしていれば男子が放っておかない美少女だが、残念なことに無類の男嫌いで、男性が触れるだけで蕁麻疹じんましんが出るらしい。


「それにしても社長もケチなおっさんだと思ってたけど、ハワイロケに行かせてくれるなんて太っ腹だな。見直したぞ」


 彼女、小早川こばやかわ和希も少し落ち着いたのか一番窓際の席であられ菓子の封を開けながら言う。


 男勝りの和希は、家庭の事情で男のふりをしていたせいか、言葉使いも乱暴だ。

 普段着の時は、ショートの髪形もあってイケメン男子にしか見えない。


 だが長い前髪に隠れた瞳は、強い輝きを持っていて綺麗な顔立ちをしている。

 まだ粗削りだが尋常でない才能とオーラを放つ逸材だ。

 そして、和希も男嫌いだと自称している。


「ホントにね。金持ちの道楽もたまにはいいことしますね」


 私、神田川かんだがわ真音まおとも真ん中席であられを頬張りながら肯いた。


 この美少女二人に挟まれると、どこから見ても付き人にしか見えない地味顔だが、この二人と共にアイドルユニット『堕天使だてんしスリー』を組む、一応芸能人だ。


 和希と同じく、普段着だと男の子によく間違われるが、和希のようなイケメンオーラはない。ただ最近、この地味顔が化粧でずいぶん変幻自在に変身できるらしいと気付いた。カメレオン俳優ではないが、現在いくつか別の顔を持っている。


 ジェンダー疑惑が常につきまとっているが、一応ノーマルのはずだ。

 言い切れる自信はないが……。


「まさか行き先がハワイとは思いもしませんでしたね」


 パスポートを取るからと言われて海外なのは分かっていたが、行き先を聞いたのは空港に着いてからだった。どんな未開の地に連れて行かれるのかと不安だったが良かった。



 後方の座席には田崎マネージャーとメイクの石田さんをはじめ、振り付けの講師とカメラマンと、少数精鋭のスタッフが数人座っている。


 社長は堕天使3のプロモーションビデオの撮影を、突然の独断の強行スケジュールでハワイに決めてしまったそうだ。


 噂によると自分がハワイでバカンスを取りたかったので、ついでに私たちも連れて行ってPV撮っちゃいなよ、という軽~いのりだったらしい。


 軽いのりで、これだけの人数をハワイに連れて行けるのだからすごい。


 ほぼ無名の駆け出しアイドルの私たちはもちろんエコノミー席だが、社長と地下アイドルグループ『夢見30サーティー』の総合プロデューサーの春本さんは前方のビジネスクラスに乗っているらしい。


「ハワイといえばビーチだよな。ワイキキだっけ? あ、それからなんだっけ、山みたいなのがあったよな? そこで写真を撮ってみんなに見せびらかしてやろうぜ」


「ダイヤモンドヘッドですね? 映像では見たことあります! 私も行きたいです!」


「正確には山ではなくて丘ですけど……」


 訪れたことのある佳澄だけが落ち着いている。


「私はホノルルマラソンのコースを一部でもいいので走ってみたいです。長距離ランナーの夢の42.195キロですよ。あー、楽しみ!!」


「ランニングよりもうまいもん食おうぜ。巨大ステーキに巨大ハンバーガーに、それからロコモコだっけ? ワイキキの有名店、全部食いつくそうぜ!!」


「いいですね! 行きましょう!!」


 すっかり盛り上がる私と和希に、佳澄が静かに言い放つ。


「それは無理ですよ、二人とも」


 私と和希は顔を見合わせ、首を傾げた。


「なんでだよ。撮影スケジュールがいっぱいで無理だっていうのか?」

「確かに三泊五日の強硬スケジュールでは厳しいだろうけど」


 スタッフたちの予定もあり、ぎりぎり取れた日程だった。


「せっかくハワイまで来たんだから、ちょっとぐらい観光させてくれるだろう?」

「そうですよ。ワイキキビーチで寝そべる時間ぐらいあるはずです!」


「二人ともチケットを見てないのですか?」


 佳澄は気の毒そうな目で私達に言った。


「チケット?」

「成田からハワイへの直行便ですよね?」


 搭乗の時に見たが、あとは田崎マネがなくさないようにと預かってくれている。


 そして佳澄はとんでもないことを言った。


「この飛行機はホノルル空港に行く便ではないです」


「ええっ?! 違うの?」

「なんだよ! 社長がハワイに行くって言ってたじゃんか。嘘だったのかよ!」


 私と和希は信じられないという顔で叫んだ。


「いえ、ハワイには行きます。ですが厳密に言うと、ハワイ島です」


「ハワイ島?」

「だったらハワイじゃん。なんだよ驚かすなよ」


 私と和希はほっと胸をなでおろした。

 やっぱり未開の地に連れていかれるのかと思った。


「もう、二人とも何も知らないんだから。二人が思っているワイキキビーチとかダイヤモンドヘッドがあるハワイとは、オアフ島のことです。でも私達の到着地はオアフ島のホノルル空港ではなく、ハワイ島のコナ空港です」


「コナ空港? ホノルルっていうのは聞いたことがあるけど……」

「なんだよ。でもハワイ島なんだろ? ハワイったらハワイ島で間違いないだろ?」


 佳澄は話の分からない二人に大きなため息をついた。




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