第209話 和希の正体

「おい! 降ろせって。まだバイトの途中なんだ」

 和希は助手席に座って悪態をついていた。


「ちゃんと座ってシートベルトをつけて下さい。この辺は警察の巡回も多いですから。君は夢見学園の生徒でしょう。こんなトラブルがバレたら退学ですよ」

 田中マネに言われて和希は、しぶしぶ大人しくなった。


「……。くそっ!」

 シートベルトをつけて、諦めたように助手席に身を沈める。


「君は地下アイドル3組でしょう。学園の生徒は、芸能関係の仕事以外は禁止のはずですよ」

 田中マネの言葉を無視して、和希はふて腐れた顔で窓の外を見ている。


「ましてや水商売なんて! バイトはもうやめてもらいます。さもなくば、社長に今日のことを報告しますよ」

 態度の悪い和希に、田中マネも少し怒っている。


「おい、お前! なんとか言ったらどうなんだ! 大体助けてもらってお礼の一言も無しかよ!」

 御子柴さんも腹を立てているようだ。


「あん? 誰だ、お前!」


 和希は助手席から後部座席の御子柴さんにまで悪態をついた。

 和希はどうやら、日本国民の9割は知ってるであろうトップアイドルの御子柴さんすら知らないらしい。


「こいつ……。超むかつくヤツだな!」


 ひいいいい。

 ものすごく険悪なムードです。

 まず、一番大きな誤解を解かなければ。


「あ、あの! みんな和希のことを誤解しているみたいなんですけど……」


「どこが誤解なんだよ。超感じ悪いヤツだろうが。まねちゃんはこんなヤツが好きなのか? 変なヤツにも付きまとわれてるみたいだし、絶対関わらない方がいい相手だろ」


「い、いえ、だから。それは和希が悪いわけじゃなくて……」


「とりあえずあの店にはもう行かない方がいいよ」

 志岐くんがフードをはずすと、和希は驚いたように2度見した。


「お前、この間会った、芸能1組の……。すげえ場慣れしてるみたいだったから、ヤバイおっさんかと思ったら……」


「ヤバイおっさん……」

 温厚な志岐くんも少し気を悪くしたようだ。


「も、もう。和希、口が悪いんだったら。ここは助けてもらったんだからお礼を言って」


「はん! 誰が助けてくれって言ったよ。勝手にそっちが割り込んできたんだろうが」


「なんだと! じゃあまねちゃんにも余計なことされたと思ってるのか!」

 御子柴さんが怒鳴ると、和希は少しだけしゅんとした。


「いや……真音には悪かったと思ってる。怪我しなかったか、真音?」

「和希……」


 なんだか手のつけられないやんちゃな子猫が自分にだけ懐いてくれるくすぐったさがある。


「なるほどね。こいつのやり口は分かったよ。そうやってまねちゃんにだけ尻尾ふって保護欲を掻きたてようって魂胆だな。ホストの手口だ」


「誰がホストだよ! ふざけんなよ、てめえ」


「もう! やめて下さい!!!」


 言い合う和希と御子柴さんを一喝した。


「なんだよ、まねちゃん。こいつを庇うつもりか? まねちゃんがこんなクズ野郎に簡単に騙されるとは思わなかったよ。志岐ならまだしも、こんなヤツを選ぶなんて……」


「もう! 御子柴さん! 和希は女の子です! なに勘違いしてるんですか!」


「女の子だからどうだって……え?」


「女の子?!!!」


 男3人の声が揃った。


 助手席でバツが悪そうな顔をしている和希にみんなの視線が集まる。


「な! だって、和樹って男みたいな名前だし」

「和希のきは希望の希です! 地下アイドルのクラスメートって言ったら女の子に決まってるじゃないですか! 男だと思ってるなんて考えもしなかったです」


「でもかっこいいって……」

「男の人にも可愛いって言うでしょ? 女の子にかっこいいって言うこともあるじゃないですか」


「でも男言葉だし、ウエイターの服着てるし」

「それにはいろいろ事情があるんです。確かに普段は男のフリをしてきたみたいなんで、そこは紛らわしかったかもしれないですけど」


「そういえば小柄な男にしても、ずいぶん軽いと思った」

 志岐くんはさっき首根っこを掴んで持ち上げたことを思い出したらしい。


「え、ごめん! 俺、男だと思ったから乱暴に投げ入れて……」

 おそらく女子にこんな乱暴を働いたことのない志岐くんが急に恐縮しだした。


「い、いいよ。女扱いなんかされても気持ち悪いし」

 和希は照れたように、ぷいっと顔をそむけた。

 

「いや……。俺も女の子と思わなくてひどい言い方して悪かった。ごめん」

 御子柴さんも急に態度を変えて謝った。


「そ、そうか。なんだ女の子か。いやあ、それは良かった。なあ、御子柴くん」

 田中マネは、なんだかホッとしたように笑顔になっている。


「なにがいいんだよ! バイト先に制服も、今日もらったダンスのアイテムも置いてきたんだ。それにバイト代だってまだもらってなかったのに……」

 和希にとってバイト代は死活問題だ。


「そのことは私に任せてくれ。君達を送ったら、店に戻って事情を話して君の荷物と今日までのバイト代をもらってこよう。そして朝までに君のところに届けよう」


 田中マネも急に親切になって提案してくれた。

 やはり出来るマネージャーは違う。


「え、でも……」


「こういうことは大人に任せなさい。そしてもうバイトはやめなさい。あの男も今日は志岐くんがいたから逃げていったけど、必ずまた来るよ」


「だけどバイトをやめたら生活が……」

 和希は困ったように口ごもった。


 私は先日から考えていたことを言うチャンスだと思った。


「あの、田中マネ。和希をしばらく私の部屋に泊めてはダメでしょうか? 芸能1組の寮ならセキュリティも万全だし、食事やその他のことも私が世話できるし、お金もかかりません」


「まねちゃんの部屋に? でも彼女の親御さんは?」


「今も家を出てウイークリーマンションに住んでるんです。さっきの男は、和希の義理の父だと言い張って、きっとそこもすぐに探り当てて近付いてくるに違いありません」


「なるほど……いろいろ複雑な事情がありそうだね」

 田中マネはすぐに大体の事情が分かったようだった。


「でもしばらく泊めたとして、その先は? ずっとそのまま、まねちゃんの部屋で暮らすわけにもいかないよ。まねちゃんだって、いつまでも地下アイドル3組にいるわけじゃないんだ」


 田中マネのその口ぶりから、また異動があるらしいのだと分かった。

 きっと田中マネは社長から私の今後の処遇も聞いているのだろう。


 でも私がどこに行こうと関係ない。

 私には分かっているから。


「大丈夫です。和希は近い内に芸能1組になりますから」


 言い切る私に全員が驚いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る