第208話 乱闘

 田中マネの運転する車は、ちょうど繁華街の裏道を通っていた。

 そしてその窓から、思いがけない光景を目にした。


「和希がっ……! 車を止めてっ!!」


 ウエイターのバイトをしていると言っていた。

 まさにそのウエイター姿の和希がガラの悪そうな男に胸倉をつかまれている。


 何か言い合ってるらしく、男にお腹を蹴飛ばされてゴミの山に和希が転がった。


「きゃあああ!! 和希っ!!」

「まねちゃんっ! ダメだっ!!」


 志岐くんの制止も振り切り、私は車のドアを開けて、駆け出していた。


 ゴミの山に転がる和希を更に蹴り上げようとする男に体当たりする。

 そのまま和希の体を守るように覆いかぶさった。


「真音?」

 和希が驚いたように目を見開いている。


「てめえ……。なんだ、この女……。お前の彼女か」

 男は体当たりで少しよろめいたものの、にやりと笑って近付いてきた。


 30代ぐらいのパンチパーマのいかにもな悪人顔の男だ。

 趣味の悪いシャツを着て、チンピラという言葉がぴったりなタイプだった。


「真音、逃げろ! お前には関係ない。早く!」

「なに言ってるんですか。誰なのこの人?」


「へへっ。お嬢ちゃん、教えてやるよ。俺はこいつの義理のお父様ってヤツだ」

「お父さん?」


「なに言ってやがる! まだ籍は入ってないだろ! 母さんを食いものにするクズ野郎が!」


 どうやらこの男が、先日言っていた和希の母親の今の恋人らしい。


「なんだとっ! てめえみたいな礼儀知らずの息子はしつけてやらないとな」


 男が面白がるように近付いてくる。


「和希になにするつもりですか! 警察を呼びますよ!」

「へへっ。警察呼ばれて困るのはそいつの方だろうがよ。高校生がこんな所でバイトしてもいいと思ってんのかよ。バレたら学校も退学じゃねえのか? よお? 和樹よお」


「な!」


「まあ、俺もそこまで非道な男じゃねえよ。ちょっと稼いだ金をこっちに回してくれたら誰にも何も言いやしねえよ。なあ、賢くなれよ、息子」


「うるせえっ! お前なんかに息子呼ばわりされてたまるか! クソ野郎!」


「やれやれ。痛い目に合わないと分からないようだな」

 男は両手を組んでポキポキ鳴らしながら迫ってきた。


「真音、逃げろ! お前は関係ない!」

「嫌です! 和希が死んじゃう」


「へへっ。どかないと彼女も怪我するよ。なあ、和樹」

 男が拳を振り上げる。


 もうダメだ。


 覚悟したその時……。


「?!」


 振り上げた男の腕がぐいっと持ち上げられた。


「な?」


「……」


 男の見上げた先には……。


(志岐くん……)


 フードを深くかぶった志岐くんが男の腕を無言で掴んでいた。


「な、なんだ、こいつ。離せよ! てめえも痛い目に合いたいのか!」


「……」


「おいっ! 離せって言ってんだろっ! この野郎っ!」

 蹴り飛ばそうとした男の足を、今度は反対の手で掴む。


「な!」


 男は片腕と片足を志岐くんに掴まれて、身動き取れない状態になっていた。


「は、離せ! 離せって言ってんだろうがっ!」

 男は片足を掴まれたまま、けんけんの状態で必死に悪態をついている。

 

 その不恰好な姿を嗤うでもなく、フードの中から志岐くんの怒りのオーラだけがじわじわと辺りに広がっていく。


(ほ、本気で怒ってる……)


 怖い……と思った。

 志岐くんが本気で怒ると、誰も勝てない無敵のオーラを放つ。

 私はいつも味方にも関わらず、腰が抜けるほど怖くなる。


「2度とこいつに手を出すな。約束するか」

 志岐くんが静かに言うと、男は無様な恰好のまま、まだ抵抗しようとした。


「ふ、ふざけるな! 誰が約束なんか……」


 この志岐くんに逆らうなんてバカだ。

 弱い男ほど自分より強い相手の見極めを間違える。


「ぎゃっ! いててて……や、やめろっ!」


 男が悲鳴を上げて蒼白になるわりに、何のアクションもない。

 しかしよく見ると、ぎりぎりと志岐くんの手が男の腕と足を握りこんでいた。


「このまま握りつぶすことも出来るが、どうする?」

 

 ひいいい。

 普通に問いかける志岐くんが怖すぎます。


「い、痛いっ!! わ、分かった。約束する。分かったから離してくれ……ぎゃああ」


 ようやく志岐くんの強さに気付いた男は、怯えたように叫んだ。


「2度と来るな!」

 そう言い放つと、志岐くんは男の腕と足を同時に離した。


 男は尻もちをついてから、慌てて立ち上がると、化け物を見たような顔で逃げて行った。


 それと同時に田中マネの運転する車が私達の横にすべり込んできた。

 そして後部座席のドアが開く。


「早く乗れ! 人が集まってきてる。お前だとバレたらまずい」


 御子柴さんが志岐くんに囁いた。

 志岐くんはすでにもう有名人だ。

 見つかったら大騒ぎになる。


 志岐くんは頷いてゴミの山に座り込んでいる私と和希のところに来た。


「大丈夫? 早く車に乗って、まねちゃん」

「か、和希も怪我してるから一緒に……」


 志岐くんはフードの中からチラリと和希に視線を向けた。

 さすがに怖いもの知らずの和希も、ビクリと肩を震わせた。


「とりあえずお前も乗れ!」

「いや、わたしは……」


「退学になってもいいのか」

「そ、それは……」


「おい、志岐、早くしろ。人が来る」

 御子柴さんが車の中から急かした。


 志岐くんは仕方がないと思ったのか、和希にゆっくりと近付いてきた。


「な、なんだよ」

 いきがっているが、和希の声が震えている。


 志岐くんは無言のまま、和希の首根っこを猫でも持ち上げるようにぐいっと持ち上げた。


「うわっ。何しやがる!」


 そして抵抗する和希を引きずると、助手席のドアを開けてぽいっと放り込んだ。


 ひ、ひいいいい。

 乱暴です、志岐くん。女の子なのに。

 いや、男だと思ってるのか。


「まねちゃんも早く」

 志岐くんは和希を放り込むと、まだゴミの山に埋もれている私を見た。


 私はビクビクと怯えながら、志岐くんに告げた。


「あの……ごめんなさい。え、えへへ。腰が抜けて……た、立てないみたいです……」


「……」

 志岐くんがフードの中で驚いているのが分かった。


 ひいいいい。

 怒らないで、志岐くん。


 いつも肝心な時に腰が抜けてごめんなさい。

 私も和希のように首根っこを掴んで放り込むのですか?


 迫り来る志岐くんに、私は観念したように首根っこを差し出した。


 しかし……。


 志岐くんはふわりと抱き上げると、そっと車の後部座席に乗せてくれた。

 そしてそのまま自分も乗り込み、急いでその場を離れた。



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