第204話 志岐くんの誤解

「まねちゃん?」


 志岐くんが驚いたように目を丸くして立っていた。


 体育館の真ん中では、まだ涙の跡をつけたまま座って抱き合う私と和希。

 そして佳澄は抱き合う私と和希に遠慮したようにそばに寄り添っていた。


「誰だ、こいつ?」


 和希は突然現れた男に、警戒の色を浮かべて私の肩に腕を乗せたまま睨みつけた。


「不審者? やだ、怖い」

 男嫌いの佳澄も怯えたように私の腕にからみつく。


「ここはセキュリティカードがなければ入れないはずだろ! お前、どうやって入ったんだ」

 和希は男と思っただけで敵対心丸出しで怒鳴った。


 レッスン着の服装といい、口調といい、完全に男だった。


「か、和希、違うんです。彼は芸能1組だから怪しい人じゃないんです」

 私は慌てて説明した。


 和希と佳澄以外なら、すぐに志岐くんと分かって黄色い悲鳴が上がるところだが、男嫌いの2人は誰だか知らないらしい。


「かずき……?」


 志岐くんは更に目を丸くして和希を見つめた。

 その腕は、まだ私の肩にしっかり回っている。


「し、志岐くん。こんな時間にどうしたの? 生徒はもう全員帰ったって聞いたけど」


「あ、うん。体育館に携帯を忘れたと思って。用具室の棚に置いたままだと思うんだけど」


 言いながら志岐くんはゆっくりと進んで、体育館を横切ると用具室のドアを開けて中に入った。そしてしばらくすると、携帯を持って出て来た。


「あったよ。ごめん、お邪魔して。……というより、ここで何してるの?」


 当然の疑問だ。

 怪しいのは志岐くんより、芸能1組でもないのにここにいる私達の方だ。


「あ、うん。ちょっと秘密の特訓を……。学園の許可はもらってるので」


「秘密の特訓?」


 志岐くんは和希と佳澄を順に見つめた。

 その目力めぢからに、和希は負けじと睨み返し、佳澄は「きゃっ」と小さな悲鳴を上げて私にしがみついた。


「お前には関係ないだろ! 忘れ物が見つかったんなら、さっさと出て行けよ!」

「か、和希!」


 麗しの志岐くんに、こんな暴言を吐ける人間など滅多にいない。

 いつも穏やかな志岐くんも、珍しくムッとしている。


「も、もう、和希。誰にでも喧嘩を売らないで下さい」

「こいつ真音のなに? どういう関係?」


 和希は志岐くんを庇おうとする私に納得いかないように尋ねた。


「ど、どういう関係って、別にどういう関係でも……」

「でもこいつの真音を見る目って絶対下心あるじゃん。こういうむっつりスケベが一番危険なんだよ」


「な! 何を言い出すんですか! 志岐くんに下心なんてある訳ないじゃない。ごめんね、志岐くん。和希が失礼なことを……」


 あわてて謝る私の前で、志岐くんが真っ赤になって立っていた。

 久しぶりにポーカーフェイスが大崩れしている。

 むっつりスケベと言われたことが相当ショックだったらしい。


「あの……志岐くん……気にしないでね」

「う、うん。ごめん……」


 志岐くんは私と目が合うと、ふいっと視線をそらして、なぜだか謝った。


 ちょうどその時、ガラリとドアを開けて講師の先生が現れた。


「ごめんね。前の仕事が押しちゃって、遅れたわね」

 そしてすぐに志岐くんに気付いた。


「あら? 君は確か今人気急上昇の期待の新人君ね。『兄を訪ねて三千里』見てるわよ」

 アラフォー講師は結構ミーハーらしく、志岐くんと握手して背中をポンポン叩いた。


「ありがとうございます」


「なあに? 知り合い? 見学していく?」

 講師の先生が冗談っぽく言うと、志岐くんが慌てて手を振った。


「い、いえ。いいです。お邪魔しました」

 志岐くんは逃げるように行ってしまった。



「ほうっ。いい男ねえ。何かしら、あの高校生とも思えぬ大物感は。あの肉体美にダンスの振り付けをつけてみたいわ」

 立ち去る志岐くんを見送って、講師の先生がため息と共に呟いた。


 確か志岐くんはダンスだけは苦手だったと思うが、振り付け師のインスピレーションを掻き立てたらしい。さすが志岐くんだ。


 しかし講師先生とは対照的に和希は気に入らなかったらしい。

 志岐くんが見えなくなるまで、その背を睨みつけて呟いた。


「なんかムカつくヤツだな」




「は? 抱き合ってた? まねちゃんと?」

 御子柴は志岐の部屋のベッドを占領して声を荒げた。


「はい。詳しく聞く前に講師の人が来たので、どういうことか分からないんですが、泣いてたらしくなぐさめ合って、ずいぶん親密な様子でした」


 志岐は自分の部屋なのに、なぜか床の座布団に正座している。

 野球部時代の上下関係のクセを崩せない男だった。


「どんなヤツ? イケメンだったのか?」


「ずいぶん小柄な男でしたけど、やたらに威勢がいいというか、敵対心丸出しというか。顔は前髪で隠れててよく見えませんでしたが、整った顔立ちだと思います」


「そいつのことを和樹って呼んでたんだな」

「はい」


「それで……」

 御子柴はギロリと志岐を見下ろした。


「お前はいつもそんな下心丸出しの目でまねちゃんを見てたのか?」


「!!」


 正直にすべての会話を御子柴に話したことを後悔した。


「そ、そんなつもりはなかったんですけど……」


 自分では気付かなかったが、そんなスケベ心満載の目をしてたのかと思うと、恥ずかしくなって思わず真音に謝ってしまった。


 下心がありますと認めたようなものだった。

 真音は気付いてないようだったが。


 野球部時代の鉄壁の自制心が、最近崩れることが多い。


 特に真音は、静まり返っているはずの心に、いつもさざ波を立てて通り過ぎる。

 そして心のどこかに、そのさざ波を望んでいる自分がいた。


「お前……突っ走ってまねちゃんに手出しするなよ。お前みたいな真面目なヤツは恋愛に免疫がなさ過ぎて、却って危険なんだ。ちょっと他の女で遊んで来い」

「で、出来ませんよ、そんなこと」


 御子柴は、そうだろうなと心の中で呟いた。

 他の女で遊べるような男ならば、もっと勝算が見えている。

 そうじゃないから焦るのだ。


「あの……ところで……」

「あ?」


「どうして御子柴さんが俺の部屋にいるんですか?」


 このところ2日に1回ぐらいの頻度で、帰ったら部屋に御子柴がいる。

 世の女性にとっては夢のようなシチュエーションだろうが、男の志岐には戸惑いが大きい。


 ヘルパーさんを頼むため、鍵を預けるのも面倒で開けっ放しの志岐も悪いのだが。盗られて困るほどのものもないし、セキュリティ万全の芸能階だからと安心していた。


 しかしコソ泥は入らないが、ベッドに御子柴がいる。

 しかもそのまま朝まで寝てしまう日もある。


 仕方なく志岐はベッドの下に座布団を並べて寝ている。


「お前の部屋がまたゴミ屋敷になってないか心配でさ。頼んだヘルパーがちゃんと掃除してるか確認しようと思ってな」


 自分の部屋の方が広くて綺麗なはずなのに、そのまま志岐の部屋に居座ってしまう。


「ついでに、ほら、焼肉弁当。お前の分も持ってきてやったぞ。ここの焼肉弁当はうまいんだ。野菜も適度に入っててまねちゃんも認めたクオリティなんだ。食おうぜ。お茶淹れてくれ」


「は、はあ。ありがとうございます」


 一応食生活の乱れている志岐を御子柴なりに心配してくれてるらしいが、たぶん真音の代わりに三分一がマネージャーになっていて、ストレスがたまっているのだ。


 1人でいるとイライラするから志岐の部屋に来て憂さ晴らしをしているらしい。


 お茶を淹れて2人で焼肉弁当をつつきながら、御子柴は決心したように叫んだ。


「まねちゃんが地下アイドル3組に行って、はや1ヶ月だ。そろそろ俺も我慢の限界が来たようだ」

「限界って御子柴さん、何をするつもりですか?」


 志岐は嫌な予感を感じながら尋ねた。


「いよいよ作戦を決行する時が来たようだ」

「さ、作戦?」


「お前にも付き合ってもらうぞ。焼肉弁当を食べたんだ。嫌とは言わせない」

「な、なにさせるつもりですか?」


 こんなことだろうと思ったと心の中で呟きながら、志岐は脅迫まがいの御子柴の作戦に付き合わされることになった。



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