第203話 和希の秘密②

 レッスン着に着替える和希の背中には蹴られた跡があった。


「な、なんでもない。ちょっと人に当たって、そのまま柱にぶつけたんだ。こけ方がまずかったんだろうな。あちこち青アザになったよ」


「ドジですね、和希も。実は私もこの間ね……」


 こんな下手な和希の嘘に誤魔化されるのは佳澄ぐらいのものだ。

 和希は間違いなく何かを隠している。


(何を隠してるの? まさか誰かに陰でイジメられてる?)


 でも、学校にいる間は、ぺったりと3人でいるようにしている。

 和希が1人になったことは、ほとんどないはずだ。


(じゃあ、レッスンが終わってから?)


 そういえば……ずっと不審に思っていることがある。


「和希って毎日遅刻してくるし、授業中はいっつも寝てるけど、ウイークリーマンションって学校から遠いの?」


「え? いや、マンションは2駅ほど先だけど駅前だから便利だよ」


「じゃあどうしてそんなに寝不足? 夜眠れないの?」


「だ、だからスマホのゲームを朝までやってて……」


「嘘ですね」

 断定したように言う私に、和希は面食らったように黙り込んだ。


「何を隠してるんですか? もしかしてクラスの誰かに脅迫でもされてる? それともレッスン生の誰かに嫌がらせをされてるとか? あ、まさか、春本さんがなにか……」


「ち、違う、違う。誰にも何もされてないよ」

 和希は困ったようにあぐらをかいて座り込んだ。


「何か困ってるんですか? 正直に言って下さい。力になれるかもしれないし」

「そうよ、和希。私達これから3人でユニットを組んでいくんだから隠しごとは無しですよ」


「……」


 和希はしばらく逡巡しゅんじゅんしてから、ようやく覚悟を決めたように話し始めた。


 しかしそれは想像していたものとは、かけ離れた内容だった。



「うちが母子家庭なのは知ってるだろ? 母さんは15で私を生んだんだ」


「じ、じゅうご?」


 唐突な話の内容に、私と佳澄は目を丸くした。

 すでに私達の年では母親になってたということだ。


「未婚の母でさ、父親の男にも逃げられて、親にも勘当されて母さん1人ではどうにも出来なくなって、私はしばらく施設で育ったんだ」


 想像以上に重い話だった。


「生活が落ち着くと、母さんは施設に迎えに来てくれたんだけど、一緒に暮らし始めてしばらくすると、また悪い男に引っかかるんだよな。そのたび施設に舞い戻って、男と別れるとまた迎えに来ての繰り返しだった」


「そんな辛い思いを……」

 佳澄はもう涙を浮かべている。


「勘違いしないで欲しいんだけど、母さんは決してあばずれの無責任な女とかじゃない。会えば分かるだろうけど、可愛くて純真で優しい人なんだ。永遠の少女のような人で、すぐに人を信じる。困ってる人がいたら、自分のすべてを差し出すような人なんだ」


 真逆の人をイメージしていた。

 水商売にどっぷりはまった濃い化粧と、酒とたばこの匂いのプンプンする女性を思い浮かべてしまった。


「そんな母さんだから悪い男に利用されるんだ。ろくでもない男なのに、助けてくれと言われたら放っておけなくて結局言いなりにお金をむしり取られて、暴力をふるわれて」


 それは……優しい人かもしれないが、巻き込まれる子供がかわいそうだ。


「母さんが連れて来る男はみんな、娘の私も母さんと同じように言いなりに出来ると思ってやがる胸糞の悪い男ばっかりだった」


 これは男嫌いになっても仕方がない境遇だ。


「だから私は男のフリをするようになった。持ち物も服装も全部男物にして、学校もスカートを履きたくないと言って男子の制服で通わせてもらってた」


 最近は性別に違和感を持つ生徒のために制服の強要をしない学校も増えてるらしい。


「それで和希って男言葉で持ち物も男っぽいんだ」

「じゃあ今は……」


「今の恋人が今までの中でも最悪のヤツでさ、最初は親切そうな顔して近付いてきたくせに、3日もすると金を出せ、働けって母さんにも私にも暴力をふるいやがる。私はなんとかそいつを追い出そうとしたんだけど……、結局母さんは優しくて追い出せないんだよな。そんな母さんにも腹が立って、我慢できずに私が家を出て来た。そして行くあてもなくて、街を彷徨ってる時に春本さんに会ったんだ」


 まるでドラマのような泥沼だ。

 和希が男のフリをしていて良かった。

 女だと分かってたらどんな目に合わされてたか想像するのも恐ろしい。


「春本さんが連絡した時、母さんは泣いてたらしい。もう自分のそばにはいない方がいい、迷惑かけてごめんね、って。マンションも学費も春本さんが援助してくれてるけど、私の生活費ぐらいは自分が出すって言ってくれたんだ。でもそのお金さえも男にむしりとられてさ」


 悪い人ではないのだろうが、子供を幸せに出来る母親ではなさそうだ。

 この豊かな日本にもこんな現実があるのだと、初めて知った気がする。


「だから夜にウエイターのバイトをしてる」


「それで毎日寝不足で遅刻してくるんですね?」


「うん。それでこの間、初めてバイト代が出たから、母さんにこっそり渡しに行ったんだ。そしたらその男に見つかってさ、バイト先までつけられてたみたいなんだ」


 自分も食べるのに精一杯のはずなのに、母親に渡すなんて……。

 冷たい印象の和希だが、本当は情に厚い優しい子なのだ。


「もしかして和希が男の人と歩いてるのを見たって言われたのは……」

「うん。そいつと話してるところを見られたのかと思った。だから静華さんに聞かれた時はやばいと思ったんだ」


 それであの時しばらく黙り込んでたんだ。


「ゆうべまたバイト先にそいつが現れて、私にまで金を寄越せって言いやがった。そんな金はないと言ったら、男だと思ってるから押し倒されて背中を蹴られたんだ」


「じゃあその背中のアザは……」

「うん。その時のものだ」


「ひどい……」

 佳澄がポロポロと涙をこぼしながら呟いた。

 そして私は……。


「う……」



 もう我慢の限界だった。

 だ――――っと涙が滝のように流れる。


「うお―んん。おんおん。うお――ん、おんおん」


 久しぶりに遠吠え泣きが出てしまった。

 こんな健気な苦労少女が現代にもいたなんて。


「なんて胸を打つ話なんですか! なんでもっと早く言ってくれなかったの。そしたらいろいろ助けてあげられたのに。うう……」

「そうよ、私達親友じゃない。これからは何でも言って下さい。ひっく……」


「う、うん……ごめん……」


 和希は泣き続ける私と佳澄に驚きながらも照れくさそうに謝った。

 きっと誰にも言えず、孤独の中でこの辛い境遇と戦ってきたのだ。

 そう思うと、私のお節介だましいがむくむくと湧いてきた。


「食事のことはもう心配しなくて大丈夫です。私が作ってくるから。こういうのは慣れてるんです」


 夕日出さんといい御子柴さんといい、食事の世話はしてきた。

 小食の和希の食事ぐらい、余裕で準備出来る。


「私も家から食べれそうなもの持ってきます」


「で、でも悪いから……」


「なにを遠慮してるんですか! 仲間なんだから頼って下さい!」

「そうよ。困ったことがあったら何でも言って下さい」


「……」

 和希はしばらく黙り込んでから、バッと私と佳澄に抱きついてきた。


「和希……」


「こんなこと話したら嫌われるかと思ってた……。良かった……」


 安心したように呟くかすれた声は切実で、いつも強気に見せている和希の本音が始めて垣間見えたような気がする。


 誰よりも強く見えるけれど、抱きつく体は華奢で小柄で、余計にいじらしい。


「私が和希を守るから。何があっても守るから」


 腕を伸ばし、小さな体をぎゅっと抱き締めた。


「真音……大好き……」


 ポロリとこぼれた和希の言葉が、恋人の言葉のように嬉しい。

 何を犠牲にしても守ろうと、もう一度強く抱き締める。




 その時……。


 突然ガラッと体育館のドアが開いた。


 ダンス講師の先生が来たのかと思ったら……。




「志岐くん……」


 まさかの志岐くんだった。

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