第192話 オペラ座の怪人

「ほら、これこれ。男子グループがオペラ座の怪人に扮して踊る曲があったでしょ」

 静華さんは楽屋から出て、どこからかタキシードのような衣装を手に戻ってきた。


 怪人とはヒーロー物の怪人のことではなかったらしい。

 半魚人とかカネゴンとかのかぶりものを着せられるのかと思った。


「これなら顔半分を隠す仮面があるわ。ほら、ちゃんと隠れるわ」


 静華さんは、仮面舞踏会のような鼻から上を隠すマスクを私の顔にあてがった。

 ラメ入りの紫の仮面は男子用の大きいサイズで、頬の傷までぎりぎり隠すことが出来た。


「ああ、いいね。面白いかもしれない。いっそのこと3人とも怪人になるか」

 春本さんは気に入ったらしく腕を組んで頷いた。


「みんなと衣装が違えば、完璧にシンクロしてなくても気にならない。目立つことでかえってあらが分かりにくくなる」


「春本さん、こういうフォーメーションはどうですか?」


 静華さんは部屋の隅にあったホワイトボードを引っ張り出してきて、赤と黒のマグネットで説明し始めた。


 どうやらいつもこうやって2人で演出を話し合っているらしい。

 手軽で小さなステージは小規模な分、融通がきいて新しいことをどんどん取り入れるバイタリティーに富んでいた。


「素敵……」

 隣に立つ佳澄がつぶやいた。


 まさか春本さんのことを言っているのかと視線の先を辿たどると……。


 なんと、静華さんに向けられていた。


 その目はまるで恋する乙女のようにハートになっている。


 てっきり静華さんを恐れているのだと思ったが、そうではなく憧れすぎて名前が出るたびにドキドキと震えていたらしい。


 静華さんの姐御的雰囲気は、確かに女の子にモテそうだった。


「『夢見エンジェル』はみんなが赤チェックの制服姿でしょ? だから両端と後列真ん中に黒服の怪人を配置するの。全員の衣装が揃うより締まって見えるんじゃないかしら。そして曲のラストに両端の2人は仮面を外すの。どう? 素敵でしょ?」 


 静華さんは、春本さんに慣れた調子で尋ねた。


「なるほど。じゃあ両端は佳澄さんと和希さんだね。君達のそのルックスは、見せないと勿体無いからね。真音さんは後列真ん中で最後まで仮面をつけたままにしよう。傷を隠せるし、ミステリアスな雰囲気を残せる」


 つまり私は傷うんぬんの前に、見せないと勿体無い容姿ではないということですね。分かりました。




 そうしていよいよリハーサルになった。

 

 オペラ座の怪人姿の私達が出てくると、30人ほどのアイドル達は騒然とした。


 男子のタキシードは佳澄と和希には大きくて、袖と裾を折って仮止めしてある。

 それが制服衣裳を着るより2人の華奢さを強調していて可愛い。


 比較的背の高い私は、小柄男子でぴったりサイズの衣装があった。

 そしてロボットダンスが誤魔化せるように私だけマントもつけた。


「な、なんなの、この子たち……」

「春本さん、どういうことですか?」


 みんなの意見を代表するように、5エンジェルのリナさんとサラさんが尋ねた。


「ちょっと思いつきで男装の3人を入れてみることにした。お客さんの反応が良ければ続けてみようと思う」


 春本さんの発表にみんなザワザワと動揺している。


「でもこの3人って2年の落ちこぼれトリオですよね」

「経験も実力もない人たちが他のメンバーより目立つのってどうかと思います」


 みんなの不満を代表してまとめると、こういうことらしい。


 要するに、全員同じ衣装で同じダンスをする中で、少しでも自分らしさを出してファンを掴もうとみんな必死なのに、新人のくせにずるいじゃないかということだ。


 『夢見30』の内、20人はラストに踊る『夢見エンジェル』の赤チェックの制服で、残りの10人は違う衣装を着ていた。


 自分が最初にステージに出る衣装を着ているのだ。


 5エンジェルだけの曲やリナさんのようにソロ曲を歌う人もいれば、別ユニットを組んでる人など、人気のある人ほど多くの曲を歌うことができる。


 その分衣装も何着も着替えて忙しい。


 でもまだ固定ファンもあまりつかない20人は、赤い制服1着でバックダンスを何曲か踊るだけなのだ。ピンマイクもつけてもらえず、コーラスにも参加させてもらえない子もたくさんいる。シビアな世界だった。


 そして歌やダンスが巧いからユニットに入れてもらえるかというと、そういうわけでもない。やはりアイドルとしての魅力があって人気がなければその他大勢にしかなれないのだ。


 理不尽で厳しい競争社会だった。


「みんな聞いてちょうだい」

 ザワザワと不満を言い合うメンバーたちに、静華さんが声を張り上げた。


「この夢見30サーティは、結成からすでに5年が経つけれど徐々に人気が出て来たと言っても、まだまだ他の地下アイドルに比べたら知名度がないわ。何か新たな起爆剤を入れて飛び抜けた評価を得ないことには、いずれすたれて解散するしかないの」


 静華さんの話に、全員が静まり返った。

 どうやら結構崖っぷちアイドルらしい。

 事務所が大きいからといって人気のでるものでもないらしい。


「今日は別の仕事で休んでるけど、亜美のように自分で仕事をどんどん取ってこれるならいいけれど、そうでなければこのグループが解散すると同時にここにいる何人が夢見プロに残れるかも分からないのよ」


 そういえば亜美ちゃんを見ないと思った。

 別の個人の仕事が入っていたのだ。

 やはり亜美ちゃんは別格の存在なのだ。


「だから内輪で足の引っ張り合いをしている場合ではないの。光るものがある子は、どんどん起用して使ってみる。いまいちなら明日は別の子を使うわ。明日は自分かもしれない。その時にどういうパフォーマンスが出来るのか、一人一人が考えておくのね。他人の足を引っ張る子は明日は自分の足が引っ張られると思いなさい」


 静華さんが話すと、みんな納得したように頷いた。

 中には涙ぐんでる子までいた。静華さんはこのグループのカリスマなのだ。


 そして一番ポロポロ涙をこぼして頷いているのが佳澄だった。


「私、静華お姉様をがっかりさせないように頑張ります」

 静華さんの熱狂的信奉者と言っていい。


「分かったなら、ラスト曲の『夢見エンジェル』のリハをするわよ!」

「はいっっ!!」


 軍隊のように声がそろっている。

 これは5エンジェルの永久欠番となっても当然の存在だ。

 この人なしには、このグループ自体が成り立たない。


 そしてリハーサルが始まると、慣れないタキシード仮面3人を周りの子がサポートして誘導してくれた。


 みんなこのグループを愛しているのだ。

 みんなでいい物を創ろうという気持ちが伝わってくる。


「佳澄、今のところワンテンポ遅れてるから気をつけて」

「和希、離れすぎ。もっと中に入らないと客席から見えないわ」

「真音、せっかくのマントなんだから、もっと回転で広げた方がいいわよ」


 なんだか地下アイドルというものに偏見があったのだと深く反省した。

 もっとドロドロして足の引っ張り合いの世界なのだと思っていた。


 いや、そういうグループもあるのかもしれないが、少なくとも静華さんが組織するこのグループは、みんな夢に向かって一生懸命な子ばかりだった。


 陸上といい芸能界といい、ずっと孤独だった私にはチームで頑張るというこの世界がとても新鮮で楽しいと思った。



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