第182話 小早川和希


 授業の間中ずっと、私は隣の和希が顔を上げてくれないだろうかとチラチラと見ていた。


 興味をそそられる。

 もっと知りたい。


 こんな感情を持つ相手は、志岐くんと御子柴さんぐらいだった。

 女性にここまでの興味を持ったことはない。


 授業が始まっても和希は身じろぎもせずに、机に突っ伏したままだ。


「じゃあ次、小早川こばやかわ和希かずき、答えてみろ」

 数学の教師が、ずっと机に突っ伏したままの和希を指名した。


 いよいよ顔が見えるかと思ったが、和希は知らんぷりで突っ伏している。


「あの……和希……さん。呼ばれてますよ……」


 私はそっと小声で呼びかけた。

 しかし、それでも起きる様子はない。


「あの……」

 私は手を伸ばして和希の肩を軽く揺すった。


 すると、突然ムクリと起き上がったので驚いて手を引っ込めた。


 長い前髪の隙間から意志の強そうな黒目がちの目が迷惑そうに私を睨みつけている。そしてチッと舌打ちされてしまった。


 ひいいい。

 さっそく怒らせてしまった。


 怖そうな人だ……という思いとは別に、心の中が違う感情に波立っている。


(あ、あれ? キュン?)


 和希と目が会った瞬間に、キュンとしてしまった。

 このキュンは志岐くんに見つめられた時と同じキュンだ。


「おい、小早川。答えてみろ」

 教師に問いかけられ、和希は迷惑そうに私を一瞥いちべつして立ち上がった。


「分かりません」

 その投げやりでハスキーなかすれた声に、またしてもキュンとしてしまった。


「おい。少しは考えてから答えろよ」


 教師が注意するのも無視して、和希は椅子に座ると再び突っ伏してしまった。


「おい! 小早川、聞いてるのか!」


 教師の叱責にも、もう答えるつもりはないのか、突っ伏したままだ。

 しばらく和希に説教をしていた教師は、やがてため息と共に諦めたのか授業に戻った。


 最前列の3人は、苦々しい顔でそんな和希を睨みつけている。


(な、なんか分からないけどカッコいい……)


 私はこの時点ですでに和希に、あってはならない感情を抱いていた。


 あれ? ドキドキしてる?


 ちょっと待って私。


 まさかと思うが、このところ男装したり男に間違われることが多かったせいで、ついに心まで男化してしまったのでは……。


 志岐くんに初めて出会った時のように目が離せない。

 御子柴さんの存在感に圧倒された時のように、心奪われてしまっている。


 相手は女の子だというのに、これは疑いようもないほどに恋の予感だ。


(お、落ち着け私。外見は確かに男っぽいかもしれないけれど、心は女だったはずだ)


 新たな自分の発見におののきながら、2時限目は終ってしまった。


 そしてやはりそうなるだろうと思ったが、休憩時間になるとトップ3の3人が和希の机の前にやってきた。


「和希! 話があるの。起きてちょうだい」

「いいかげんにしなさいよ! あなた!」

「毎日毎日、よくも遅刻ばかりできるものね」


 3人が口々に怒鳴っても、やはり和希は突っ伏したまま動かない。


「聞こえてるんでしょ? 起きなさいよ!」

「先生は許しても、私達は許さないわよ!」

「寝たふりしてんじゃないわよ!」


「……」


 ハラハラと隣の席で見守る私は、いつものお節介で止めに入ろうかと思案していた。しかしそれより早く、和希がゆっくりと顔を上げた。


 その長い前髪からのぞく目は、さっき私を睨みつけたよりも鋭く3人を射る。


 3人は少したじろいだように動揺したが、すぐに数の力で立ち直った。


「な、なによ、その反抗的な目は!」

「悪いのは遅刻してきたあなたの方でしょ」

「グループの先輩として、注意してあげてるのよ。感謝するべきでしょ」


「……」


 和希は無言のままガタンと椅子を引いて、気だるそうに立ち上がった。


「な、な、なによ!」

「暴力でもふるうつもり?」

「私達だって負けないわよ」


 威勢のいい言葉のわりに、3人の体は一歩後ろに引いている。

 実際には、すらりと背の高い3人に比べると和希の方が小柄で華奢きゃしゃだ。

 しかも人数も3対1で、和希に勝ち目などないはずなのに、なぜか圧倒される。


 こんな場面を前にもどこかで見たと考えて、すぐに思い出した。

 

(志岐くんが野球部の人たちから私を助けてくれた時だ)


 あの時も1人対多数で、勝ち目などないと思った。

 それなのに、私も野球部の面々も志岐くん1人に圧倒されてしまった。


 どれほど人数を揃えても、この人には勝てないと本能が感じている。


 目の前の和希もそんなオーラを放っていた。


 そしてその傲岸ごうがんなほどの態度から、どんな反抗的な言葉を吐くのかと思ったが……。


「すみません……」


 ハスキーな声は拍子抜けするほど素直に謝った。


 その場の全員が意表をつかれたように(え?)という顔で固まっている。


 よく見ると目つきの鋭さのわりに、悪意は感じなかった。

 本当に素直に謝ってるらしい。


「わ、悪いと思ってるの?」

「な、何か理由があって毎日遅刻してくるの?」

「事情があるなら、私達だってあなたをいじめたい訳じゃないんだから」


 どうやらトップ3の3人は、良識のある人達らしい。

 

 私はホッと息をはいた。しかし……。


「いえ。朝方まで携帯ゲームをしていて寝坊しただけです」


 和希は取りつくろうこともせずに、バカ正直に答えた。


 ひいいい。

 ここは嘘でも、電車が遅れたとか、母が病気でとか言うべきところだろう。


 この人バカなのか? と思ったが本人は悪ぶれる様子もない。


「あ、あんた! 私達をバカにしてんの? いいかげんにしなさいよ!」


「……?」


 和希はなぜ怒ってるのか分からない様子でクビを傾げた。


(こ、これが本物の天然てんねんってヤツか……)

 

 ぶりっ子女子が演じる似非えせ天然ではない。

 鋭い眼光と、動じない態度でだまされそうになるが、見た目では分かりづらい超ド天然だ。 


 関わってはいけないタイプだと思うのに、いつものクセで放っておけない。


(やっぱり好きだな、この人)


 どんどん惹かれていく気持ちが止まらなかった。


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