第178話 波乱

「戦う相手があまりに大き過ぎて、ちょっとへこんでる」


「戦う相手? 芸能界でも戦うことがあるのか?」

 志岐の言葉に、おかやんは少し驚いて聞き返した。


「どうしても超えたい人がいる」


「超えたい人?」


「俺はあまりに無力で、何も出来なかった。言われた通りにそばで突っ立ってることしか出来なかった」


『俺が話をつけるから、お前は手を出すな。お前は第三者として、何かあった時の証人になってくれればいい。いいか? 駆け出しの芸能人のお前なんか、問題1つでも起こしたらすぐに抹殺だぞ』


 御子柴にそう言われて返す言葉もなかった。


 自分勝手な理屈で、真音を利用しようとする野原田に何1つ言い返せなかった。

 自分がすべきことは、全部御子柴が先にやってしまった。


 正直、野原田の言うことなんて、何ひとつ信用していない。

 御子柴はショックを受けて腹を立てていたが、半分以上嘘だと思った。

 真音が自分達より野原田といる方が楽しいなんて思わない。


(俺はともかく、御子柴さんより野原田を選ぶなんてありえない)


 芸能1組の編入初日、久しぶりに会った御子柴に思わず抱きつくほどに慕っているのだ。


(俺には久しぶりに会っても抱きついたりしなかったのに……)


 あの日を思い出すと、少しイラっとしてしまう自分が情けない。


「あの人に比べたら、俺はあまりにちっぽけで何の力もない。早く追いつかないとと思うと、気持ちが焦ってじっとしていられなかった」


 そして気付けば、野球練習場に足が向いていた。


「ふーん。志岐がそこまで言うなら凄い人なんだろうね」

 おかやんは右手に持った飲み物を一口飲んでから、続けた。


「でも、俺に言わせれば、志岐に追われる方も、内心相当焦ってると思うよ」


「え?」


「だってさ、俺もこの学園に来て志岐に会った時、お前が敵でなくて良かったって心から思ったもん」


「……」


「才能はある。努力はする。謙虚に反省もする。地道に鍛錬してジワジワと目標に確実に近付いていく。お前ほど恐ろしい敵はいないだろうと思ったよ」


「俺が恐ろしい?」


「そうだよ。ずっと先を歩いていたつもりが、いつの間にか僅差きんさの近くまで詰め寄られてるんだ。涼しい顔で、気付けば追い抜かされてる。お前に追われる人は、みんな恐ろしいと思うよ」


「そりゃあ野球ではそうだったかもしれないけど……」


「いや、多分、何をやってもお前は恐いよ」


「そうかな……」


「だってそんな凄い人でも、負けるつもりはないんだろ?」


 志岐は少し考えてから、ふっと笑った。


「まあね。時間はかかるかもしれないけど、いつか必ず同じ場所まで行ってみせる」


「やっぱりね。お前って穏やかな顔して、超負けず嫌いだもんな」


「うん、負けたくない」


 左手に持ったままだったボールをぐっと握りしめた。


「この勝負だけは、絶対に負けたくない……」


 この時すでに1歩アドバンテージをとられてしまったことに、志岐はまだ気付いてなかった。





 御子柴さんに抱き締められた衝撃も冷めやらぬ翌朝5時に私は寮の社長室に呼ばれた。


「おはようございます、社長」


 最近の社長はカツラだということに開き直ったのか、いろんなバリエーションを楽しんでいる。今日はちょっといかめしいオールバックだ。


 相変わらずソファにふんぞり返る社長の前には、御子柴さんが座っていた。

 そして御子柴さんの隣には田中マネが立っていた。


「御子柴さん……」


 昨日のことを思い出して、少し鼓動が早くなってしまった。


 まるで好きだと告白されたかのような熱烈な出来事だったが、冷静になって考えてみると、要するにマネージャーを続けてくれということだ。


 うっかり勘違いしてしまいそうなほど、ときめいてしまった自分が恥ずかしい。


 だって御子柴さんは横暴でも俺様でも、言ってることが滅茶苦茶でも、とにかく素敵なのだ。本当に罪つくりな人だと、ようやく高揚する気持ちが鎮まったところだったのに……。


 顔を見ると、キュンっとしてしまうのは、もうこれは仕方がない。

 御子柴さんなのだから……。


「こっちに来て座りなさい」


 社長に言われ、私は御子柴さんの隣のソファに座った。

 そしてソファテーブルに散らばったA4用紙に目を止めた。


 御子柴さんはその紙の一枚を手にとって凝視していた。


「これを見なさい、神田川くん」


 社長に手渡された紙を見て、私は凍りついた。


「これは……」


「撮られてたんだよ。芸能記者が潜んでいたらしい」


 社長が憮然ぶぜんと言い放った。


 それは……。


 まさに昨日、御子柴さんに抱き締められていた写真のFAXだった。


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