第176話 抱擁
「スタジオから駅までの道にはいなかったね。もしかしてまだスタジオにいるのかもしれない」
田中マネは、スタジオから駅への道を通って戻った。
すれ違いにならないようにと思ったのだが、途中の道には真音を見つけられなかった。
仕方なくスタジオの地下の駐車場に戻ってきた。
「俺、スタジオと控え室を見てきますから、待っててもらえますか?」
「うん。人の目のあるところでは気をつけてね。どこで誰が見てるか分からないから」
思い余って人前でラブシーンなんか見せるなよと釘をさしたつもりだった。
少々不安に思いながらも、今日の内にトラブルを解決して、明日の仕事に響かせないようにするのが、田中マネには最善だと思えた。
「はい。とにかく車まで連れて来てから話しますから。そうだ携帯……」
御子柴は車から出ながら真音の携帯に電話した。
コールにはやっぱり出なかったけれど……。
「?」
エレベーターに向かって駆け出していた御子柴は、駐車場の端から微かに聞こえる呼び出し音に振り返った。
そして振り返った先には……。
「まねちゃん?」
座り込んだまま、驚いた表情でこちらを見ている真音がいた。
「御子柴さん?」
「あれからずっとここにいたのか?」
30分近い時間は経ってるはずだ。
「なんでこんなところに……」
しかし近付いていった御子柴には、すぐにその答えが分かった。
「ずっとここで……泣いてたのか?」
出会った頃から泣き虫だったが、いつも人目を
こんな……人目につかないところで声を殺して泣くなんて……。
あまりに真音らしくなくて……。
心を
「なんでそんな思いまでして……」
自分から離れて行こうとするのか……。
「す、すみません! もう帰りますから、御子柴さんは気にしないで下さい」
真音は涙を拭って、慌てて立ち上がった。
そのまま立ち去ろうとしたはずが、気付くと真音は御子柴の腕の中にいた。
「!!!」
声も出ないほどに抱き締められていた。
手加減もなにもない。
身じろぎも出来ないほどに強く、強く……。
(御子柴さんの鼓動が聞こえる)
あまりに完璧で、別世界の人だと思っていたけれど、せわしないほどに早く打つ鼓動は平凡な自分と何1つ違わない。
若くしてあまりに多くのものを手に入れてしまったけれど、自分と何も変わらない高校生。
そんな御子柴さんの孤独や不安が伝わってくるような気がした。
その腕の力以上に、心が締め付けられる。
「ダメだ……。やめさせない……」
「え?」
「俺のマネージャーはやめさせない。どんなに仕事が増えてもやめさせない。誰が反対してもやめさせない。まねちゃんが嫌だと言ってもダメだ」
「何を言って……」
「俺のマネージャーが最優先だ。仕事が忙しくて出来ないって言うなら、俺の力でその仕事を握りつぶす。まねちゃんをこの世界から追い出そうとするヤツがいたら俺が先回りして追い出してやる。マネージャー失格なんて言うヤツがいたら、俺がそいつをやめさせてやる」
「言ってることが滅茶苦茶ですよ、御子柴さん……」
「滅茶苦茶でも横暴でも何でもいい。お前を失わないためなら何だってやってやる。誰に恨まれても嫌われても構わない。みんなが恐れて逃げて行っても、お前だけは離してやらない。地獄に落ちたとしても、お前だけは道連れにしてやる!」
「何……言って……うう……」
ようやくおさまりかけていた涙が再びポロポロとこぼれ落ちる。
その涙は御子柴の意固地になっていた心を溶かすように胸に滲みていった。
「俺はどうやら自分が思っていたよりずっと、ガキで我がままで、嫉妬深くて、執念深い男みたいだ。お前はこんな男に目を付けられたんだと観念しろ。俺から逃げることなんて出来ないんだと諦めろ! 分かったな?」
「こんなひどい脅迫……聞いたことありません……」
あまりにひど過ぎて可笑しくなる。
「お前に選ぶ権利なんて与えてやらない。これからも俺のマネージャーをやってもらう。これは命令だ!」
理不尽な言葉なのに、凍りついていた心が温かく溶けていく。
「私は……御子柴さんの足を引っ張るマネージャーかもしれませんよ。全然役立たずで、トラブルばっかり起こして、迷惑をかけるかも。疫病神かもしれないです」
「俺がそれぐらいで潰れる男だと思うのか? 見くびるな! どんなマイナスも全部跳ね返してやる。だからお前は俺のそばにいろっ! くだらない心配はするなっ!」
駄々っ子のように言い捨てる御子柴の言葉は、真音の心を温かく満たしていく。
これだけの横暴な言葉を聞いた後では、自分が不安に思っていたことなど
(私ごときの疫病神がついたところで、この大きい人が潰れるはずもなかった)
そう気付くと、答えは簡単に導き出された。
「御子柴さんの迷惑でないなら……これからもそばにいさせて下さい」
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