第175話 御子柴、真実を聞く

 御子柴さんの乗った車が見えなくなるまで、私は深々と頭を下げ続けた。


 そしてすっかり車が見えなくなると、我慢していたものが込み上げてきた。


「うう……どうしよう……」


 ずるずると駐車場の柱を背に座り込む。

 涙がとめどもなく流れて視界がぼやけていく。


「こんな別れ方をするつもりじゃなかったのに……」


 マネージャーはやめるけれど、友人か、せめて同じ事務所の後輩としてこれからも一言二言会話が出来るぐらいの関係は続けられると思っていた。


「なんて甘いことを考えてたんだろう……」


 マネージャーをやめた私なんて、御子柴さんにとってはもうどうでもいい存在だ。それなのに今までのように構ってもらえるなんて、甘いことを考えていた。


 見たことがないほど怒っていた。

 まさか私がマネージャーをやめるぐらいで、あんなに怒ると思わなかった。


「何がいけなかったんだろう……」


 いろんなことがショックで、自分が何を言ったのかもよく覚えてない。

 どの言葉がダメだったのかもよく分からない。


 分かるのは……。


 御子柴さんとの縁が、完全に途切れてしまったということだけだ。


「嫌われた……うう……ううう……」


 いつの間にか……。


 御子柴さんは自分でも気付かないほど、かけがえのない存在になっていた。




「なに? 喧嘩したの? 御子柴くん」


 田中マネはミラーごしに後部座席の御子柴に視線をやった。

 前の座席に突っ伏して撃沈しているようだった。


「せっかく人手がないフリをして、まねちゃんとの時間を作ってあげたのに」


 本当は別の仕事なんて入ってなかった。

 ゆっくり真音と話せるように近くの喫茶店で時間を潰していたのだ。


「超かっこ悪い……。サイテーなことを言った。ダサ過ぎる……」


「ははっ。そんな御子柴くん、見てみたかったな」


「笑いごとじゃないです。完全に嫌われた。もう終わりだ」


「えー? まねちゃんは御子柴くんを嫌ったりしないでしょ?」


「マネージャーをやめるって言われました」


「マネージャーをやめる?」

 田中マネは驚いたように聞き返した。


「野原田が言ってた通り、俺といるのが嫌になってたんだ。自分から俺のそばを離れて行こうとする子なんて今までいなかったから……。かっと頭に血がのぼって……ひどいことを言ってしまった。余裕なさ過ぎだ。超かっこ悪い……」


「……」

 田中マネは考え込むように御子柴の呟きを聞いていた。


「俺がいなきゃなんて恩着せがましいこと言って……。俺の方こそまねちゃんがいなきゃダメなくせに……。もうなんか……全部どうでもよくなってきた……」


「おいおい、明日もハードスケジュールなんだから失恋ぐらいで仕事に穴開けないでよ」


「失恋……なのかな? なんかもっとショックなんだけど……」


「もっとショック?」


「昨日まではやきもきしながらも毎日が楽しかったのに、なんか全部つまらなくなった。もう本当に全部どうでもいい」


 田中マネは、投げやりな御子柴を不安そうに見てから、決心したように口を開いた。


「御子柴くん、ごめん。言わない方がいいと思って黙ってたことがあるんだ」


「なんですか? この上まだショックなことでも言うつもりですか?」

 御子柴はもうどうとでもしてくれという態度で、窓にもたれていた。


「この間、御子柴くんが肉離れをおこした日があっただろ?」


「ああ、あの日もまねちゃんが仕事で先に帰ったよね。俺が病院行くっていうのに、いつの間にかいなくなってた」


「あれは私が帰らせた」


「? なんで?」


 御子柴は怪訝な表情で、少し体を起こして田中マネを見た。


「御子柴くんの治療中、三分一さんがまねちゃんに掴みかかってビンタしたんだ」


「な!」


 御子柴は初めて聞かされた話に呆然とした。


「なんでそんな大事なこと俺に黙ってたんですか!!」


「ほら、そうやって動揺するだろ? マネージャー同士のトラブルをタレントに持ち込みたくなかったんだ」


「だからって……そういえば……あれからまねちゃんはマネージャーに来なくなって……」


「うん。三分一さんに御子柴くんの肉離れはまねちゃんのせいだってなじられてた。マネージャー失格とか、疫病神とか言われてた」


「な! なんてことを……」


「だから、もしまねちゃんがマネージャーをやめるって言ったんなら、その言葉を気にしたからだと思うよ。きっと御子柴くんの負担になりたくなかったんだよ」


「で、でも……野原田は……」


「御子柴くんもカリスマと呼ばれても、やっぱり普通の高校生だよね。余裕が無くなって、そんなバカバカしい言葉を信じるなんて。私から見れば、まねちゃんは野原田くんなんか眼中にないと思うよ。御子柴くんにライバルがいるとすれば志岐くんぐらいだ」


「……」


 御子柴はふいにすべての真実が見えた気がした。

 真音が離れて行こうとしている不安が、心にもやをかけていた。


 でもとことん最悪の事態になって、諦めきった場所から冷静に見てみると……。


(志岐に対しても、夕日出さんに対しても、まねちゃんはいつも相手のことを一番に考えていた)


 だったら……。


 だったら自分に対しても同じはずだ。


(俺の為に離れて行こうとしたのか……)


 そう自負してもいいぐらいには、深く付き合ってきた。


 そう気付くと、御子柴は田中マネに慌てて告げた。


「田中マネ……、もう1度スタジオに戻ってもらえますか?」


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