第164話 野原田シンくん

「分かってると思うけど……」


 ゼグロスの撮影が終わって、メイクを落としスタジオの隅のパイプ椅子で休憩をとっていた。その私の横に、まだゼグシオ姿の志岐くんがいつの間にか立っていた。志岐くんは、まだ別のシーン撮りが残っていた。


「演技だから……。俺が思ってる言葉じゃないから」


「え?」


「いや、さっきのセリフ……。本当に傷ついているような気がしたから……」


 ゼグシオの想い人、薫子さんを亡き者にすると言った私に、余計なことをするなとかなり酷いセリフでなじられた。それが今の私の境遇に似ているような気がしてショックだったのは確かだ。


 私にしてはうま過ぎる演技で心配させてしまったらしい。


「心配させるぐらい迫真の演技が出来てましたか?」


 蘭子の役をやってから、ゼグロスの気持ちというのも考えてみた。

 ゼグロスは外見はともかく、今の私の気持ちにとてもシンクロしていた。


 役立たずだけれどゼグシオ様に繋がっていたいゼグロス。

 余計なお節介ばかりして、結局ゼグシオ様に迷惑をかけるゼグロス。

 自分の立場を分かっているつもりだけど、もう少しだけゼグシオ様に近付きたいゼグロス。


「そ、そうか。あまりに傷ついた表情が真に迫ってたから気になって……。なんか変なこと言ってごめん」


 ちょっと照れた顔で反省している志岐くんが可愛い。


 私こそごめんね。


 本当はゼグロスよりも真音が傷ついていたような気がする。

 真剣に演じるようになってくると、役と自分の境界が分からなくなってくる。

 志岐くんの心配はきっと当たっているんだろうと思う。


 でもそんなことを言ったら、優しい志岐くんは心配するだろうから。

 これ以上、志岐くんにも御子柴さんにも迷惑をかけたくない。


 これから輝いていく2人にとって、私が足枷あしかせになるような存在なのだとしたら……。


 私は2人の前から去るべきだろう……。


「志岐くんはこの後、小西マネと別の仕事も入ってるんですよね。私は学校の宿題レポートもたまってるし、先に電車で帰りますね」


 いつもの私ならせっかくだからとサブマネージャー気取りで同行するところだが、もう出しゃばるのは控えようと思った。

 




「おはようございます。よろしくお願いします」


 翌日は、私は仕事もなく朝から学校だった。

 地下の駐車場で送迎車の運転手さんに挨拶をして、後部座席に乗り込んだ。


 私は学校の日は混雑する時間を避けて、30分ほど早く出るようにしている。

 多忙な芸能1組の人達は、ギリギリまで寝て、駆け込んで来る人が多い。


 ワゴン車にも定員があるので、ヒマな芸能人の私は空いている時間に行くように心がけていた。そして、やはり同じ考えの志岐くんと一緒になることが多かった。


 でも今日は……。


「ふーん、朝の送迎車で会わないと思ったら、この時間だったんだ」

 そう言いながら、隣に乗り込んできたのは……。


「野原田くん!」


 1年生の野原田くんだった。


「運転手さん、僕、急いでるんで2人だけですけど出して下さい」

 定員はあと2人分あったが、急ぐ生徒がいればそこで出発する。


 私は野原田くんと2人で車に乗ることになった。

 野原田くんは、戸惑う私の隣で鏡と櫛を取り出して、髪型を整えている。


 き、気まずい。


「あの……私は野原田くんとどこかでお会いしたことがありましたか?」


 車が走り出すと、私は恐る恐る尋ねた。


「ううん。この間の体育の授業が始めてだよ」


 野原田くんは笑くぼの見える可愛い笑顔で答えた。


「そ、そうですよね。だったらどうして私のことを……」

「ふふ、知りたい?」


 意味深に小首を傾げて、野原田くんは自分の鞄をゴソゴソ探し始めた。


「これこれ」

 野原田くんが取り出したのはポップギャルの今月号だった。


「これ、神田川さんだよね?」

 野原田くんが指差したのは、紛れもなくイザベルだった。


 今月はゴスロリページと遊園地デート特集が載っていた。


「……。どうしてこれが私だと……」

 青ざめる私に、野原田くんはもう1度にっこりと微笑んだ。


「僕は神田川さんのことなら何でも知ってるんだ。大河原さんが主役の映画にもヒロインに抜擢されたよね」


「そ、それは……」

 どうやら全部知ってるらしい。


「ねえ、どうして皆に言わないの? 白鳥苑しらとりえんさんだって映画のヒロインまでやってるって聞いたら、神田川さんのこと見直すと思うよ。雑誌の専属ページまで持ってて芸能1組として充分な仕事をしてるでしょ?」


「そ、それは、私がイザベルだと分かるとゴスロリのブランドイメージが崩れるから……」


 でも、それはポップギャルでの話であって、身近な人にまで緘口令かんこうれいを出すほどの厳重なものではなかった。


 私が最初に御子柴さんや志岐くんに言い出せなくて嘘をついてしまってから、どんどん言えなくなってしまったのだ。


 ほんの一時期の変装で、ここまで長くイザベルになるとは思ってなかった。

 だから隠していても、すぐにみんなの記憶から消えていくだろうと思っていた。


 なんで最初から2人に言わなかったのだろうかと思うのだが、今となってはもう言えない。このまま秘かに仕事が減っていってフェードアウトするのを待つしかない。


「あの……私がイザベルだということは皆に言わないで下さい。クライアントさんの希望ですから事務所もそういう方針なんです」


「ふーん……」

 野原田くんはつまらなさそうに答えてから、最後の爆弾を落としてくれた。


「みんなっていうのは、御子柴さんにもってこと?」


「!!!」

 私は驚いて野原田くんを見つめた。


「御子柴さんのマネージャーもやってるよね?」


 にやりと笑う野原田くんは、本当に私のすべてを知っているようだった。


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