第163話 久しぶりの仮面ヒーロー

「おはよう、まねちゃん」

「おはようございます、志岐くん……」


 今までは電車で撮影スタジオまで向かっていたが、芸能1組になって初めての仮面ヒーローの撮影は寮の地下から車の送迎になった。


 さらに専属のマネージャーがついた。

 ……と言っても、あの小西いいかげんマネだったが……。


 車に乗り込んでしばらく、無言の時間が過ぎていた。


 小西いいかげんマネは、1人でイヤホンをつけて音楽を聴きながら運転していたし、志岐くんは今日の台本に目を通していた。


 放送から徐々に人気が上がってきたゼグシオは、回を追うごとに出番が増えて、セリフも増えていた。

 その点私のゼグロスはしばらく休んでいたのもあって、1シーンしかなかった。


 それでも一応私も台本を開いて、全体の流れに目を通していた。


「あのさ……」

「え?」


 珍しく志岐くんから声をかけられて、私は台本から顔を上げた。


「なんかあった?」

「え?」

「いや、なんか元気がないような気がして」


 そういえば、無言で大人しく台本を読んでいる私は普段と違ったかもしれない。

 台本を読む志岐くんの邪魔をすまいと思っても、つい自分からくだらない話をしてしまうのが普段の私だった。


 昨日、三分一マネに平手を受けて、グサリと刺さる言葉を浴びせられ、私も三分一さんも平常心ではいられなかった。


 そのまま病院に連れて行く御子柴さんの車に、三分一さんは絶対付き添うと言って譲らなかった。そして私は御子柴さんに会わせる顔がないと思っていた。


 さらに田中マネはマネージャー同士のトラブルをタレントの前に持ち込むべきではないと思っている。


 だから私は田中マネの提案を素直に受けた。


「まねちゃんは急な仕事が入ったことにして帰ってもらえる?」


 電車で先に帰った私に御子柴さんは電話をくれたが、三分一マネとのトラブルは聞かされていないようだったので、足の状態だけを聞いて切った。


 とりあえず、しばらくスポーツは出来ないようだが、日常生活に支障はない程度で済んだようで少し安心した。


 でも……。

 昨日から自責の念が止まらない。


 御子柴さんはもっと完璧なシュートシーンを撮りたかった。

 そのシーンを幻にしてしまったのは、ダメマネージャーの私だ。

 全国の御子柴ファンに土下座して謝っても許してもらえないだろう。


「もしかして野原田のはらだくんに何かされた?」

「え?」


 黙りこむ私に、志岐くんは野原田くんを結びつけたようだ。


「あ、ううん。関係ないです。別にあの後、話しかけられたわけでもないし」


 全員の前で告白に近い大胆発言をした割に、何の接触もないままだった。


「でも勝手に写真を撮るのは良くないと思うよ。まねちゃんが言えないんなら、俺が注意してもいいけど」


「い、いえ。これは私の問題なので志岐くんは気にしないで下さい。それでなくても最近仕事が忙しいみたいだし」


 志岐くんは今日の仮面ヒーローの後も別の取材が入っているらしい。

 1日に複数の仕事が入るようになってきていた。




「志岐くーん、待ってたよ。新しいポージングを考えたんだ。見て、見て!」

「志岐くん、この間チョコが好きだって言ってたから、差し入れ持ってきたの」

「志岐くん、おすすめのプロテインを見つけたんだ」


 しばらくぶりに仮面ヒーローの現場に着くと、以前とはすっかり雰囲気が違っていた。


 とにかく志岐くんの存在感がハンパない。

 みんなが志岐くんを待っていたのを肌で感じる。


 ヒロイン役のココちゃんと奈美ちゃんだけでなく、まっちょ軍団もすっかり志岐くんに心酔しているようだ。


「ああ~。志岐くんの筋肉に3日触らないと禁断症状が出るようになってきたよ」

「惚れ惚れする大胸筋だよね。服の上からでも感じるよ」


 まっちょ達はますますヤバい感じになっているようだ。

 志岐くんの体にいろいろ理由をつけてぺたぺた触っている。

 胸に頬ずりしている人までいる。


 ちょっと小西マネは注意すべきではないのかと思ったが、相変わらずイヤホンで音楽を聴いて自分の世界に浸っている。本当に役立たずのマネージャーだ。


(でも疫病神のマネージャーよりはマシか……)


 昨日の三分一さんの言葉を思い出して、一人落ち込んでしまった。


「あれ? この子ゼグリスだっけ?」

「ああ、久しぶりだね。ゼグシスじゃなかったっけ?」

 

 ゼグロスです。


 名前すら忘れたのですね、皆さん。


「あら、そういえばあなたの衣装はどこに置いてたかしら?」

「あ、ほら倉庫にしまってあったんじゃない?」


 スタイリストさんも、衣装すら見当たらないのですね。

 志岐くんとのこの存在感の違いは何ですか?


 分かっていたけども……。


 なんだか今日はすべてに落ち込んでしまう。

 踏まれても踏まれても力強く立ち上がるのが私の唯一の取り得だったはずなのに。


 しかも今日のシーンは……。




 すべてを黒で塗りたくったような悪の館で、ゼグシオは玉座のような椅子に座ってため息をつく。長い黒髪をサラリと揺らして切ない表情を浮かべている。


 志岐くんはあまり大きく表情を動かさなくとも、却ってそれが重みを増すような俳優だった。


 ピッチャーとしてマウンドを背負ってきた志岐くんには、他の人にない重みがあった。10代でこの重みを出せる俳優はあまりいないだろう。


 カメレオン俳優のように、いろんな役を多彩にこなすタイプではないけれど、志岐くんにしか出来ない役があった。


 そしてゼグシオは、はまり役だった。


 私は倉庫で埃をかぶっていたゼグロスのSM女王のような衣装でゼグシオの前にひざまずく。


「ゼグシオ様。まさかまた、あの地球人の女のことを考えているのではないでしょうね」


 ゼグシオは、私が休んでいる間にヒロイン薫子かおること、何度も再会し、そのたび想いをつのらせていたらしい。


 ゼグシオは薫子姫を愛しているのだ。


「考えているから何だと言うのだ。お前に関係ないだろう」


 冷たく言い放つゼグシオの言葉が胸に突き刺さる。

 まるで志岐くんに言われているみたいだ。


「目を覚まして下さい! あの女は我々の敵です! 母星を追われた我々はこの星を侵略するためにやって来たのです! ゼグシオ様があの女に心を奪われるというなら、このゼグロスが殺して参ります! ゼグシオ様のために八つ裂きにして……」


「だまれっっ!!」


 ゼグシオの叱責しっせきにビクリと言葉を途切れさせる。


「余計なことをするなっ!! このお節介めっ!! 私のためと言いながら本当はお前が嫌なだけだろう! お前は自分が一番かわいいのだっ! 私のことなど何も分かってはいないっ!! 彼女に手出しをしたら、お前を生涯許さぬっ! 分かったな!!」


 今の私にはこたえるセリフだった。


 結局自分の今後の身の振り方ばかりを考えて、御子柴さんの体のことを考えていなかった私。


 着実に自分の居場所を作っていく志岐くんに比べて、誰にも必要とされない私。


 麗華様といい野原田くんといい、余計なトラブルばかり増えて周りに迷惑をかける私。


 人に余計なお節介ばかり焼いて、自分は何1つ結果を出してない私。


 私は……。



 ここにいていいの……?



「ゼグシオ……さま……」


 ゼグロスは、ひどく傷ついた表情で、そう呟くことしか出来なかった。


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