第142話 志岐の本音

「翔……どこにいるの? こんな所に呼び出したりして。何があったの?」


 ゴスロリ蘭子は廃墟と化した倉庫の中を見回す。

 そして背後の気配にはっと振り向く。


 ガッッッッ!!!


 その瞬間、後頭部に衝撃を感じた。


「あなたは……」

 蘭子の目が一瞬見開き、そのままぐらりと意識を失った。


「へっ。ちょろいもんだぜ」

「まともに戦うと最強だが、驚くほどだまされ易い女だな」

「目を覚ます前に縛り上げてしまおうぜ」


 蘭子の体が数人の男達に頑丈な紐で縛られていく。


「はい、カーット!」



「あら? 志岐くん、こっちの見学に来てたの?」

 田崎マネはいつの間にか自分の隣に立つ志岐に声をかけた。


「もうラストシーンに近い感じですね」

「イザベルのシーンだけ先に撮ってるのよ。あの状態がいつまでもつか分からないからね」


 カットの声がかかり、スタッフが駆け寄り蘭子の縛られた紐が解かれる。


「大丈夫ですか? イザベルさん」

「ごめん、痛かった? ちょっと強く縛り過ぎたかも」


「……」


 共演者やスタッフの声にも返事はない。

 だが、いつものことだった。

 されるがままに紐を解かれながら床に転がっている。


「なんか……様子がおかしくないですか?」

「え?」


 田崎マネが答えるよりも早く、志岐は駆け出していた。


「イザベル? あれ? 起きないけど……」

「え? 後頭部は殴ったフリだけだから打ってないはずだけど」


「どうしたんですか?」


 志岐はまだ横たわったままのイザベルを覗き込むスタッフに声をかけた。


「いや、息はあるし……たぶん疲れが出て寝ちゃった?」


 志岐はアスリート時代の基本知識で、イザベルの腕をとって脈をはかった。


「そうですね。息の乱れもないし眠ってるだけかも。でも念のため診療所で診てもらった方がいいです」


「そ、そうだね」


 誰だっけ、こいつ? という顔でスタッフが見ている。


「あの……俺で良ければ連れて行きますけど」

「ああ、そうしてもらえると助かる。この後まだイザベル無しで別シーンをこのまま撮るから」

「分かりました」


 志岐はイザベルの体を抱き上げ、立ち上がった。


(軽い……)


 以前抱き上げた時よりずっと軽くなったと実感する。


「おい、志岐! 蘭子は大丈夫なのか?」

 そのまま立ち去ろうとする志岐に大河原が声をかけた。


 次のシーンのため、衣装とメイクを直されて身動きがとれない状態だった。

 だが心配そうにイザベルの様子を窺っている。

 監督達と主要スタッフは映像チェックに忙しく、気付いていないようだ。


「はい。眠ってるだけだと思います。でも出来たら点滴して栄養補給してもらった方がいいと思います。1・2時間イザベルに休憩をもらえますか?」


「分かった。監督に伝えておくよ」


「志岐くん、私もついて行きます」


 田崎マネと共に別階にある診療所に向かった。



「じゃあ、私は監督に伝えてくるから、志岐くんは適当に自分の仕事に戻ってね」


 田崎マネはただの過労という診断にとりあえず安心した。

 そのまま点滴をしながら眠るイザベルを残し、一旦監督に説明するため出て行った。


 診療所の小さな措置室は簡易のベットに寝かされたイザベルと志岐だけだった。

 横の丸椅子に座ってずいぶんやつれた横顔を見守る。


「いつも無茶し過ぎなんだよ、まねちゃんは……」


 思い返せば出会った最初から嵐のように自分の日常を乱されてきた。

 堅実で慎重な自分とはまったく別世界に住むような相手だ。


 野球の世界では勝負の荒波に身を置く志岐だったが、だからこそ、それ以外の生活はいたって無難に、余計なことには関わらず、他人に必要以上に介入することもなく生きてきた。


 人の領域にずかずかと踏み込むのは好きじゃない。

 みずからお節介をするような人間ではないと思っていた。


 良くも悪くも淡々としたタイプだ。


 それなのに、今のこの自分はどうなんだと思う。


 用もないのにスタジオに見学に行って、頼まれもしないのに抱き上げて診療所に連れてきた。およそ自分のキャラとは違う行動ばかりだ。


 自分でも驚いている。


 自分のことでは焦ることも緊張することもさほど無いのに、この子のことになったら、焦って平常心を失い、自分でも思いがけない行動をとってしまう。


 関わるとろくなことがないと思うのに放っておけない。


 放っておけないのだ。


 いつの間にか志岐は真音のいない日々を味気なく感じるようになっていた。

 大河原には恩を感じているだけのように言ったが、それだけではない。


 でも真音の気持ちは、自分よりも御子柴や夕日出先輩への方が強いように思っていた。別の人に向いている彼女の心を無理矢理こちらに向かせようとまでは思ってない。


 思ってない……と思っていた。


 でも……。


 この数日、自分を見ようともしない真音に、正直焦っている。

 自分以外の男に頼りきって懐いている姿を見るのが苦痛だ。


 嫉妬……なのだろうか……と思う。


 そして無意識に……本音がこぼれていた。



「できれば俺に……頼って欲しかった……」




 それは、ピッチャー時代から自分の願望を他人の後回しにするクセがついていた志岐にとって、初めて発する『自分本位な願望』だったのかもしれなかった。


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