第141話 真音、覚醒?

 目の前に志岐くんがいる。

 それは分かっているのだ。


 でも視線を合わせてはいけないと、頭のどこかで接触を拒否している。

 その目に焦点を合わせてしまったら、せっかく構築した世界を壊してしまう。


 私は蘭子でいなければならない。

 ようやく形作られた蘭子の輪郭を、壊してはいけないのだ。


 そんなことをしたら大勢の人に迷惑をかける。

 私の安易な甘えでみんなに迷惑をかけてはいけない。


『私は翔だけを頼りに生きる。翔以外の男は敵』

 暗示のようにその言葉が頭の中で繰り返される。


 でも時折、この孤独で淋しい世界に、温かな風が吹き込む。

 いくつか伸びてきた手を掴みたくて、でも掴んではいけなくて……。


 私は暗く淋しい孤独の世界へと帰っていく。


 そこに温かな手があると分かっているのに、掴めない。

 

 彼らの温かな手も優しい言葉も、私が張った結界の外を無駄に行き来している。


 そう。

 無駄なのに……。


 こんな私のことなど放っておいていいのに……。


 いくつも膜を張った向こうで聞こえているだけなのに……。


 閉じ込めたはずの心が勝手に呼応してしまう。


(志岐くん……)


 気付けば私の意志とは関係なく涙がこぼれていた。


「イザベル?」


 志岐くんの声を間近に感じる。

 いけない。

 結界が壊され、もやが晴れていく。


「俺が分かる? イザベル?」


 ダメだ。

 この温かな引力に逆らうことなど出来ない。

 吸い寄せられるように視線が向かう。


 だが……。


 その時。




「志岐くん!」

 明るい女性の声に驚いて、再び私の心は暗闇へと戻って行った。


「イザベル……」

 うつろな視線に戻ってしまった私に、志岐くんが失望しているのが分かった。

 そんな私達に気付かず、明るい声の女性が続ける。


「ここでお昼だったのね。探してたのよ。同席してもいい? あ、大河原さん。お久しぶりです」


「えっと……、モデルの亮子ちゃんだっけ? 志岐のドラマの相手役だったよね」


「はい。覚えて下さってたんですね。あ、卒業おめでとうございます」


「ああ、ありがとう。どうぞ、座って」


 亮子ちゃんは志岐くんの隣、私の正面の椅子に座った。

 そしてすぐに私に明るく声をかけた。


「あ、えっとヒロイン役の人ですよね? アクションが凄いって聞いてます。はじめまして。飯田山亮子です」


「……」


「ああ。こいつイザベル。ポップギャルのモデルらしいよ」

 何も答えない私の代わりに大河原さんが答えた。


「ああ! 莉子ぴょんが噂してたっけ? ゴスロリの新しいモデルって。エックスティーンにも来月1ページだけマダム・ロココのページが入るんですよ。でもちょっとカラーが違うから、来月一回だけみたいだけど」


「……」


「へえ、そうなんだ」

 返事すらしない私の代わりに大河原さんと会話が進む。


「そうそう、志岐くん。新学期の噂聞いた?」


「新学期の噂?」


「そう。クラス編成の資料を職員室で覗き見した子がいたらしくて」


「へえ……」

「マジで? 誰か芸能1組に編入するのか?」


 志岐くんよりも大河原さんが興味津々に尋ねた。


「3年は分からないですけど、2年は芸能1組に上がる人が多いらしいです。今も仕事でほとんど学校に来てない人いっぱいいますから」


 芸能1組になると学費免除の上、寮費も免除で専属マネージャーがつく。

 芸能2組とは待遇に大きな違いがあった。


「それで誰が上がるんだ?」


「私と志岐くんと地下アイドル3組の亜美ちゃんだっけ? それから神田川さん? あの人って最近学校に来てないけど、何の仕事してるのかしら? 莉子ぴょんに聞いてもポップギャルは干されてるって言うし。なんであの人が1組に上がるのかだけ、みんな不思議がってるわ」


「ふーん。神田川? なんか聞いたことがあるような気もするけど知らないなあ。でも、やったじゃん、志岐。まあ、お前は当然か」


「うん。志岐くんはやっぱりねってみんな言ってたわ。最初から存在感が違ったもの」


「そんなことないけど……でも……一緒で良かった」

 志岐くんは安心したように呟いた。


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