第138話 御子柴さん 対 洗脳少女蘭子

「分かってると思うけど、一応まねちゃんがイザベルだって気付いてないことにしておいてよ。あくまで今日会うのはイザベルだから……」


 田中マネがスタジオの廊下を歩きながら念を押した。


「分かってますよ。別にイザベルに会いに来たわけじゃないし」


「はは、なんかそういう御子柴くんって新鮮だよね」


「どういう意味……」

 言いかけて御子柴は廊下の先に釘付けになった。


「まね……いや、イザベル……」


 なぜか男子トイレの前に所在なげに立っている。


「おお、さっそく会えたじゃない。じゃあ私は先にスタジオに入ってスタッフに挨拶してくるよ。頑張ってね」

 田中マネは気をきかせて行ってしまった。


 ひどく頼りなげな様子で立っている真音に、胸が締め付けられる。

 すごく会いたかったのだと、改めて実感した。


 いろいろ腹を立てていたことも、もうどうでも良くなっていた。


「イザベル!」


 イザベルは呼びかけられて、ビクリと驚いた様子で、こちらに視線を向けた。


 不健康な真っ白な肌にマスカラとつけまつ毛で倍ぐらい大きくなった青目。それに真っ赤な口紅を塗られているが、真音だと思って見れば、間違えようもなく真音だった。


 なぜ気付かなかったのかと不思議なぐらいだ。


 小さな顔はショートボブにきちんと収まっている。

 いや、前に見たよりも一回り小さくなったようにさえ感じる。


「なんか……痩せてない? ずいぶん痩せてない?」


 驚いて駆け寄り、思わず腕を掴んだ。

 その腕も間違いなく一回り細くなっている。


「食べれてないのか?」

 両腕を掴んで顔を覗きこんだ。


「……て……」

「え?」


「はなして……」


 真音のものとも思えない囁くような声だった。

 うつろな瞳はこちらを見ようともしない。


「いや、前に会った時はちょっと冷たくして悪かった。夕日出さんの彼女だと思ってたから……」

 あわてて弁解した。


「はなして……ください……」


 それとも電話もしなかったことを、真音として怒っているのか……。


「その……いろいろ悪かったと思ってるから……。それよりも痩せすぎだろう? 何があったんだ」

 こんな状態の真音に、意地になって連絡もしなかったことを悔やんだ。


「あなたも……私を傷付けに来たの……?」


 怯えた顔で自分を見上げる真音に、御子柴は衝撃を受けた。


「傷付ける? 俺が? いや、傷付けることをしたんなら謝るから……だから……」


「はなして……。私に……触らないで……」


「イ、イザベル……。本気で言ってるのか?」


「あれ? 御子柴じゃん」

 その時、トイレから大河原が手を拭きながら出て来た。


「大河原さん、これは一体……」


 言い終わるより早く、イザベルが御子柴の手を振り払って、大河原の後ろに隠れた。


「な!」

 あまりのことに状況が飲み込めない。


「翔……この人が私をいじめに来たの……」

 イザベルは大河原の服を掴んで震えている。


「蘭子、大丈夫。俺の知り合いだから。ほら、お前も知ってるヤツだろ?」


「?」

 イザベルは大河原の後ろから、そっと片目を出して御子柴を見上げる。


「御子柴……さん?」


「そうそう。前に会ったことあるだろ?」


「よく……覚えてない……」

 イザベルは不安そうな顔で小首を傾げている。


 いや、全然キャラが違う。

 こんなのイザベルじゃない。

 まして真音にはほど遠い。


「ち、ちょっと……イザベル……。どうなってんだよ。ちゃんと話を……」


 近付こうとする御子柴を、大河原がイザベルから庇うように押し留めた。


「悪いな、御子柴。こいつ今、俺以外の男は全員敵だとおもってるからさ。近付かないでやってくれる? 怖がるからさ」


「怖がる? 俺を? なんで?」


「役に入り込んじゃってさ。俺の側から離れたがらなくって困っちゃってるんだよ。トイレまでついて来るってきかないしさ」


 まんざらでもない様子で大河原が後ろのイザベルの頭をポンポンと撫ぜた。


 イザベルは嬉しそうに潤んだ目で大河原を見上げている。

 完全に、ご主人様に手なずけられた小動物の表情だ。

 

「いや、ちょっと待って。話が見えて来ない。なんでこの数週間でそんなことになってるんですか?」


「丹下マジックってやつさ。役に入り込んで軽い洗脳状態になってるんだ」


「いや全然軽くないでしょ。かなり重症じゃないですか。こんなままでいいはずがない」


「おいおい、邪魔するなよ御子柴。今、撮影はすごく順調に進んでるんだ。お前だって演じる人間だから分かるだろ? 役になりきるスイッチが入ったら、その集中を乱されたくないって。大物俳優の中には、その役の間中あいだじゅう、すっかりなりきってしまう人も多いじゃないか」


「それはそうだけど……。でもだからって俺のことも分からないほどなのは……」


「ちゃんと分かってるよ。なあ、蘭子」


 大河原が後ろに隠れるイザベルに確認する。

 イザベルはチラリと御子柴を見て、こくりと肯き呟いた。


「御子柴さん……。私を傷付ける人……。私の敵……」


「いや、全然分かってないだろ!」


「ま、とにかく今は俺だけを頼りに生きてるつもりなんだ。俺もその気持ちに答えて、全力でこいつを守ってるからさ。お前の出る幕はないんだよ。こいつのことは俺に任せてくれたらいいからさ。……ってか、お前イザベルを嫌ってなかったっけ? 昨日の夕日出といい、志岐といい、イザベルの交友関係よく分かんねえな」


 大河原は、いつも負け続けの御子柴にちょっと勝った気分で、イザベルを連れてスタジオに戻って行った。




 そして数分後……。


「あれ? 御子柴さん?」


 廊下にしゃがみこんで頭を抱える御子柴に志岐が声をかけた。


「デジャヴを見てるみたいですね。昨日まったく同じ姿で、そこで落ち込んでる人を見たところですよ」


 志岐はすべてを理解したらしく、困ったように苦笑した。


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