第132話 丹下ドラキュラ監督の洗脳

「おい、イザベル! こんなとこにいたのか! みんなお前が戻るの待ってんだぞ!」


 そのまま志岐くんの胸に飛び込む寸前だった私に、大河原さんが怒鳴った。


「あれ? 志岐と一緒だったのか?」

 そしてすぐに志岐くんに気付いた。


 あ、危なかった。

 大河原さんが来なければ、あのまま志岐くんの胸にダイブしていたところだった。


「え? 何で急に駆け出したのかと思ったら、志岐に会いに行ったのか? え? お前らってまさか……」


「偶然会っただけです」

 志岐くんが立ち上がってすぐに否定した。


「浮気は良くないぞ、イザベル。志岐も、先輩の彼女にちょっかい出すのは、やっぱまずいだろう」

 大河原さんは、意外にも仁義にあつい人なのだ。


「いえ、そんなんじゃないですから」


 ええ。私は否定出来ませんが、志岐くんは存分に否定して下さい。


「とにかくみんな待ってんだよ。早く行くぞ!」

 大河原さんは、ついて来いという仕草で駆け出した。


「は、はい。すみません」

 急いでついて行こうとした私の腕を志岐くんが、ぐいっと掴んだ。


「あの……俺、ドラマの撮影でこのスタジオに結構詰めてるから……。困ったこととかあったらいつでも呼んでくれていいから……」


 誠意しかない清々しい顔が、見上げた先にあった。



 脳内ドーパミン暴動が再び巻き起こる。



 本当に甘えてもいいのですか?



 あなたの胸に飛び込む私を受け止めてくれますか?





「志岐きゅ……」




「おい、何やってんだよ! 早く来いって!!」

 反対の腕を大河原さんに引っ張られて、志岐くんへの胸ダイブは辛うじて未然に防ぐことが出来た。




「おい! 待てよ! なんでいつも俺を助けるんだ! あんたいったい……」


「私には、あなたしかいないから!!」


「はい、カーット、カーット!!!」


 撮影現場に戻ったら本当に私待ちで撮影が止まっていた。

 そして再開するや否や、すぐにカットの声が飛んだ。


「ちょっと蘭子、なんだよその元気いっぱいのセリフは!」

「せっかくいい感じで絶望をまとうようになってたのに、元に戻ってるじゃん」

「もう、勘弁してよ。まだまだ今日の撮りが残ってんのに」


 どうやら志岐くんロスから脱出した私は、すっかり癒されて元に戻ってしまったらしい。


 しかも……。


(あの天上人てんじょうびと志岐くんが、どう改造されても大河原さんになるわけないじゃない) 


 私は本人の麗しさを目の当たりにして、すっかり設定の無理に気付いてしまった。こうなっては、まったく翔に気持ちが向かない。


「はあっ! この調子じゃ今日も家に帰れねえのかよ。俺、新婚だぜ?」

「高校生はいいよな。時間がきたら全部ほったらかして帰れるんだからさ」


「ガキは優先して撮ってもらえるからいいけど、撮影が押したら俺らのシーン撮りがどんどん遅くなるっての」

「ほんとプロ意識持って、ちゃんとやって欲しいよ」


 脇役の人達が、スタジオの隅で愚痴る声が聞こえた。

 それはすべてダメダメヒロインの私に向けられた言葉に違いなかった。


(私が我慢出来ずに志岐くんの封印を解いてしまったから……。勝手に撮影を抜け出して志岐くんに会ったりしたから……。みんなに迷惑をかけている……)


「あのさ、こんなこと言いたくないけどさ、これは仕事なんだよ。大勢の大人が時間を費やして取り組んでるんだ。対価をもらってやってんだからさ、高校生だろうが、若かろうが責任感持ってやってよ」


 大河原さんが隣に来てため息をつく。


「ご、ごめんなさい……」



「おい、蘭子!」

 丹下監督が私を呼んだ。


「はいっ!!」


 私は肘掛け椅子に座る監督の前に厚底ブーツで駆けていった。

 監督はなぜか紐にぶら下げた五円玉を目の前でゆらゆらさせている。


「あのその五円玉は……?」


「そんなことは気にしなくていい」

 そうは言われても目の前で揺らされると気になって見てしまう。


「お前のせいで撮影が遅れている。ここにいる皆はお前一人に迷惑をかけられている。お前に好意を持っている者など一人もいない。全員お前を憎んでいる」


「え? そ、そこまで……?」

 陰口を聞くのもショックだが、面と向かって言われるのも更にショックだった。


「この世界にお前の味方など誰もいない。お前は天涯孤独で、このまま消えても誰も気付かないような存在なんだ」


 それは皆に忘れ去られて行く真音のことのように思えた。

 呆然と五円玉の揺れを見つめる。


「ただ一つ光明こうみょうがあるとするならば……幼い頃近所に住んでいたお兄ちゃん……」


「お兄ちゃん……?」


 そのフレーズが五円玉の揺れと共に頭の中に定着していく。


「そう。向こうは忘れているが、幼い頃に一緒に遊んでくれたお兄ちゃん。その日々だけがお前の幸せの記憶だ。それ以外はすべて地獄のような日々だった」


 そうだった。


 映画のラストで明かされるが、蘭子は幼い頃の唯一の光明であった翔のためだけに生きていた。だから翔の危機に現れては何故だか最強のアクションで助けるのだ。


 なんでそんなに強いのかとか、なんでゴスロリなのかは問われない。

 ゴスロリ服の最強謎美少女が主人公のために命を賭けることだけが重要なのだ。


 アクション映画とはそういうものだ(真音解釈)


「お前の味方は、この世界に翔しかいない。翔だけがお前を見捨てない」


「翔だけが私を見捨てない……」


 いくつかのフレーズが五円玉の揺れと共に頭のなかにおさまっていく。


 私はどうやら憑依やら催眠術やら洗脳やらというものにはまり易い体質らしい。

 やがて最後に丹下監督は最後のフレーズを囁いた。


「そうだ。翔以外の男はすべて敵だ」


「はい……。翔以外の男は……すべて敵です……」


 私は再び丹下ドラキュラ悪魔教監督の洗脳の世界にはまり込んでいった。



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