第131話 志岐くんロスからの脱出
志岐くんが撮影しているのは真中沢琴美ちゃん主演の『兄をたずねて三千里』というドラマだった。生き別れた憧れの兄を探して、琴美ちゃん演じる梨央ちゃんが謎を解きながら少しずつ兄に近付いていくというストーリーらしい。
志岐くんはもちろん憧れの兄、
出番は少ないが準主役と言ってもいい役だった。
そして全然知らなかったが、直哉の恋人役としてエックスティーンの亮子ちゃんもいた。
入り口のポスターで確認して、足音を忍ばせスタジオに侵入する。
「ああ、君。部外者は立ち入り禁止だから」
しかしすぐに見つかり追い出された。
垣間見ることのプロである私がどうしたことかと思ったら、今はイザベルなのだった。
こんな目立って怪しい容姿の女が、人ごみに紛れることなど出来なかった。
(し、志岐くんがすぐそばにいるのに……)
志岐くんのいない世界に暮らして、はや十日。
もはや私は禁断症状に陥っていた。
どこか入り込む場所はないかとドアというドアを覗いてまわる。
「今日会えなかったら私はもうドラキュラになって人の生き血をすするかもしれません。神様、どうか会わせて下さい」
「誰か探してるの?」
祈りを呟きながら
まさか……。
この高貴な声の響きは……。
夢ではないかとゆっくり振り返ると……。
「イザベルの出る映画ってドラキュラの話だっけ?」
志岐くんが笑顔で立っていた。
し……
(志岐きゅんんん!!)
十日ぶりの志岐くんの後光の輝きに、しばし私は視界を失った。
長く抑圧されてきた感情が解放され、脳内ドーパミンが暴動を起こしていた。
◆
「あの……撮影を抜けて大丈夫なんですか?」
私はスタジオの外の廊下で、自販機横のベンチに座っていた。
「うん。今日の撮りは終わったから。……というか、あまり出番はないんだ。でも時間が許す限りは撮影現場を見ておこうと思って。これ、良かったら……」
志岐くんは自販機でスポーツ飲料を買って手渡してくれた。
「あ、お金払います」
……と思ったが、お財布など持ってないのだった。
「いいよ。あ、でもスポーツ飲料で良かった? つい昔のくせで飲み物といえばスポーツ飲料を買ってしまうんだ」
(私もです。志岐きゅん)
ああ、すべての行動に癒される。
「なんか少し痩せた? ちょっと元気がないように見えるけど……」
「そ、それは……」
志岐くんロスが原因です。
「大河原さんから少し聞いてるけど、イザベルの撮影分が遅れてるから連日の撮影なんだって? ちゃんと休めてる?」
ああ……大河原さん、本当にイザベルの情報流してたのですね。
余計なことを……だけど、気にかけてもらえてちょっと嬉しい。
「だ、大丈夫です。あの……メンズボックスの皆さんは元気にしてますか?」
そういえば、御子柴さんとは全然連絡をとっていなかった。
急にマネージャーを中断して、怒りの電話でもあるかと身構えていたのに、一度も連絡はない。
私から一言謝ろうかと思うのだが、どう言い訳していいか分からなくて、いや、それよりも映画の撮影が過酷過ぎてそのままになっていた。
田崎マネは、御子柴さんは了解済みだから連絡する必要はないと言うし……。
いや……。
気まずくて私が逃げてるだけだ。
それに怖かった。
私がいなくても全然平気な御子柴さんを……知りたくなかった。
「御子柴さんは……サッカーのドラマが忙しいみたいだよ。最近はメンズボックスで四人集まることが少なくなった。みんな忙しいからね」
志岐くんは知りたいことをピンポイントで教えてくれる。
「そ、そうなんですね」
私がいなくてもみんな今まで通りの生活を送っているようだ。
御子柴さんも……。
志岐くんも……。
志岐くんロスでドラキュラに成り果てようとしていた私とは違う。
なんだか真音の存在がどんどん小さくなっていくような気がする。
いなくなっても誰も困らないし気付かないような存在。
私は本当にこの世界にいたんだろうか。
このままイザベルが成り代わって、私は消えてしまうんじゃないだろうか。
「大丈夫?」
はっと気付くと、志岐くんがベンチに座る私の前にしゃがんで目線を合わせていた。
「何か悩んでるんなら相談にのるよ?」
「志岐くん……」
これは真音にではなく、イザベルにかけた言葉。
それは分かっていても心が温まる。
何もかも放り出して甘えてしまいたくなる。
ねえ、志岐くん。
イザベルの時だけでいいから、あなたを好きになってもいいですか?
真音の私は、ちゃんとファンとしての距離を保つから……。
この気持ちはイザベルの中にだけ封印するから……。
今だけあなたを好きになってもいいですか?
その胸が温かくて、とても安心出来る場所だと私は知っているのです。
その胸に今だけ飛び込んでもいいですか?
志岐くんロスから突如解放された私は、脳内のドーパミン大暴動に平常心を失っていた。
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