第130話 志岐くんロス
私は自分が感情移入しやすい世界を作り出すことにした。
ここは野球が出来なくなった志岐くんが紛れ込んだ別世界。
グレて学園を去った志岐くんを見失い、希望をなくす蘭子。
そして翔は、なぜか人体改造を行われ、大河原さんの外見に作り変えられた志岐くん。
翔には全然好意を持てなかったが、志岐くんだと思えば……。
かつての美しい容姿を失い、残念な容姿(
そりゃあ、あの麗しい容姿を大河原さんにされてしまったら自暴自棄にもなるだろう(真音基準)。
私は志岐くんの外見が大河原さんになったら失望して嫌いになるだろうか?
ううん……。
私はきっとそんな志岐くんでも、力になりたいと思うだろう。
傷だらけの特殊メイクで地面に転がる大河原さんに近付く。
そしてそっと顔を覗きこむ。
(ああ、本当に残念な容姿になってしまった……)
「なんだよ、見世物じゃねえんだよ、あっち行けよ!」
こんな外見にされてしまって悲しいんだね、志岐くん。
涙が溢れそうになる。
そっと傷口に手をあてる。
「触るな! あっち行けって言ってるだろ!」
「……」
蘭子はフリルだらけの黒いハンカチを取り出して無言で手当てをする。
「おいっ! 聞いてんのかよっ! 余計なことするな!」
手を振り払われても、
もうあの
「おいっ……おまえ……」
はっと大河原さんが顔色を変えた。
「なんで……?」
あれ? そんなセリフあったっけ?
私のセリフは最後の一言だけだ。
「私があなたを守ってあげる……」
それだけ言い残して立ち去る。
「はい、カーット!」
とりあえずシーンの最後まで止められなかった。
それにスタッフも今までのように頭を抱えていない。
セリフを一言にしてもらえたおかげでボロが出にくくなった。
「蘭子、今、なんで涙を浮かべた?」
しかしすぐに監督が私に尋ねた。
「え? 涙?」
気付いてみると、確かに目に涙がたまっていた。
「おまえ泣いてたよ。だから俺もつい違うセリフが出たんだけど……」
大河原さんが驚いている私に更に言い募った。
「え? す、すみません。そんなつもりは無かったんですけど……」
ダメだ。自分の作りこんだ世界に入り込み過ぎていた。
美しい志岐くんに二度と会えないような気がして目が潤んでしまった。
「ちゃんと台本通りにやってね。まあ、セリフがない分昨日よりはずっと良くなってるけど」
助監督が監督の代わりに注意した。
「はい、すみません」
「じゃあテイク2行きまーす」
結局何テイクかやってみて、最初のテイクを使うことになった。
「意味もなく涙を浮かべるのが逆に謎っぽくていいかもしれない」
つまりは台本通りの演技がいまいちだったらしい。
「蘭子はまだまだ絶望が足りない。もっと不幸なことを考えろ。毎日朝から晩まで一番悲しいことを考え続けろ! 理不尽な世の中をもっと呪え!」
丹下監督は剛田監督のように大声で怒鳴ったり蹴飛ばしたりは決してしないが、まるで悪魔教の教祖のように私の耳元で不幸になれと囁き続ける。
「お前は周りから忌み嫌われて生きてきた。誰にも相手にされず、ゴミのように踏みにじられてきたんだ。さあ、呪え! 絶望しろ! お前の味方など、この世界に誰もいない」
白塗りゴスロリイザベルは、丹下ドラキュラ監督に洗脳され続けていた。
一日が終わった頃には、私ほど不幸な人間はいないような気になってくる。
これは……。
撮影終了まで精神が持たないかもしれない。
いつか本物のドラキュラになって、人の血をすすっている気がする。
ゴスロリの死体メイクが追い討ちをかける。
血の気がない白い顔は、呪いの人形のようで気が滅入る。
イザベルの時間が長すぎて、真音の自分が浸食されていく。
そしていつしか、イザベルが本当の自分になってそうな気がする。
◆
一週間立て続けに撮影が続いた私は、すっかり丹下監督に毒されて、悪魔教の信者と化していた。どんどん食欲がなくなり、日に日に痩せていく。
もはや命じられた通り、笑うことも、喜ぶことも、幸せを感じることもなくなっていた。
腹から出ていた声は囁くような力ない声になり、
「おい、大丈夫か? ロケ弁全然食べてないけど。役にはまり込むのはいいけど食事と睡眠はちゃんととれよ」
目の前に現れた志岐くん(大河原さんの残念な外見)をゆっくり見上げる。
「翔……。あなたはそんな残念な外見になっても強く生きているのね」
「元気がないくせに言うことだけは失礼なヤツだな。残念な外見ってどういう意味だよ」
「翔、あなたは昔、それはそれは美しい人だったのです。筋肉のすべてが1ミリの無駄なく動いて、それはもう生きる芸術のような人でした」
「いったい誰の話だよ。お前の中で翔ってどういう設定になってんだよ」
「もうあの美しい姿を二度と見れないなんて……うう」
「だーっ! もう泣くなよ。俺の顔見ては哀れむように涙ぐむのやめてくれ」
(志岐くんに会いたい……)
私はすっかり志岐くんロスを
「まあ、でも演技は結構さまになってきたんじゃないか? 狂気というか退廃的というか……独特の雰囲気が出来てきてるよ」
「そうですか……」
もはや褒められても喜ぶ気持ちも忘れてしまっていた。
もうこのまま何にも心動かされない気がしていた。
しかし……。
撮影十日目に大河原さんが放った一言に、私は我を忘れて駆け出していた。
「隣のスタジオで志岐がドラマの撮影をしてるらしいぞ」
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