第129話 志岐くん、封印
私の一番好きなもの。生き甲斐とは?
そう問われてしまえば、どこをどうほじくっても志岐くん以外ありえない。
え? でも封印ってどうやって?
志岐くんのことを考えてはダメ?
志岐くんがこの世界にいないと想定して?
志岐くんとは私が妄想で作り出したヒーローで、本当は存在しなかったとしたら?
だ――っと涙が溢れた。
途端に世界が
志岐くんが輝いて幸せになるためなら何だって出来る。
そのために行動することはすべて希望につながっている。
辛いとも苦しいとも思わない。
陸上をやってきたのも、夢見学園に入ったのも、モデルをやるのも映画をやるのも、すべて少しでも志岐くんと同じ世界にいて、つながっていたいから。
それなのに……。
映画の撮影が終わるまで志岐くんを見るのも妄想するのも禁止とか……?
い、いやだ……。
「そんなの嫌だあああ!!」
「うるさいな! 急に叫ぶなよ」
隣で台本をチェックしていた大河原さんが迷惑そうに怒鳴り返した。
昨日の撮影は、遠目のアクションシーンだけで終わった。
アクションの動きだけは綺麗だと褒められた。
だが少しカメラが寄ると、もっと憂いのある表情は出来ないのかと注文がつく。
私はアクションシーンでも悩み一つない
そして今日は昨日のシーンを撮り直すことになっている。
蘭子のセリフを書き換えた新しい台本をもらった。
「お前のとばっちりで俺のセリフが倍増してんだけど」
私が言うべきセリフをすべて大河原さんが補足する台本に変わっていた。
「すみません」
「まあ、俺があんたをヒロインに押した責任もあるから、全力でフォローするからさ、あんたも出来ることは全部やってくれよ」
「は、はい……」
それは志岐くん封印ということか……。
「いいか、撮影の時は自分が一番不幸な女だと思え。もう自分には何の希望もないという諦めが、蘭子の憂いであり色気だと俺は思ってる」
「大河原さん……他人の役の背景まで考えて……」
「好きになる女なんだから、考えるだろ、普通」
「では私も翔のことを考えた方がいいですね。翔っていうのは、どういう人なんですか?」
「幼い頃母を亡くし、仕事で毎日遅い父と淋しい家庭で育った」
まるで志岐くんみたいだ。
志岐くんも小学生の時お母さんを亡くしている。
「夢中になるものも見つけられず、中学から悪い仲間とつるむようになった」
そこは野球に打ち込んだ志岐くんと大違いだ。
「友達を裏切り、裏切られ、喧嘩に明け暮れる日々の中で、いつしか犯罪に手を染めていく」
「まったく好きになれませんね。蘭子はなんでそんな人に惹かれるんですか」
「それは自分で考えろよ。あんたの好きな男だって、どこかのボタンが掛け違っていたら、翔のようになってたかもしれない。そういや、あんた夕日出の彼女だっけ?」
「え? あ、はい、そういえばそうでした」
「なんだよ、そういえばって」
大河原さんは苦笑した。
「まあ、そうだな。夕日出は好きなことやって成功したスーパースターだからな。あんたの好みとは程遠いだろうな。でも夕日出だって、どこかで怪我でもして野球が出来なくなったら、翔のようになってたかもしれない。そんなの誰にも分からないんだ」
それはまさに志岐くんのことだった。
でも、志岐くんは自分のすべてを注ぎ込んだ夢を失っても、グレたりせずにちゃんと前向きに進んでいる。
思えばそれは凄いことなのかもしれない。
みんな当たり前のように思っているが、志岐くんはやっぱり凄い人だ。
もしあのまま寮の掃除に明け暮れて、野球部にいじめられるままの人生だったら……。
志岐くんはどうなってたんだろう。
まさか翔のようにグレてただろうか。
もし志岐くんが裏の世界に行ってたとしたら……。
きっと喧嘩は誰より強い。
すぐに頭角をあらわして、族の総長とかになってたかもしれない。
髪を金髪に染めて、長い学ランを着てバイクを乗り回す志岐くん。
きっと『バイクを乗る時の正しい姿勢』
うん。何を想像しても美しい。
はっ! しまった。
封印したはずが、いつの間にか志岐くんの妄想劇場が始まってしまっていた。
いけない。志岐くん断ちは私には至難の技だ。
「翔を好きになる蘭子に感情移入出来ないなら、自分が役に入り込みやすいように、自分だけの設定を作ってみてもいいかもしれない」
大河原さんがアドバイスをくれた。
「さあ、行くぞ」
そしていよいよ出番が回ってきた。
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