第124話 ヒロイン抜擢

「さあさあ、このワインレッドのソファに座ってちょうだい。ああ、やっぱり最初はこのアンティークのドレッサーがいいかしら。シャンデリアは入れてちょうだいね。必須アイテムよ」


 今日はマダム・ロココのショップで撮影することになった。 


 それはもう壁紙に黒薔薇が舞い散る、ワインレッド色のすごい店内だ。


 一画にアンティーク家具を配置したゴスロリ部屋が設置されていて、ソファーセットで賓客を持て成すようになってるらしいが、現代人のファッションでは浮きまくる装飾だ。


 今日は黒に青紫のフリルが踊るワンピースに、紫の薔薇がついたヘッドドレスを頭にのせ、ついに禁断の黒パラソルを持たされた。


 これだけは持ちたくなかった。


「さあ、ドレッサーの前に座ってこの真っ赤な口紅を塗っている感じにしてちょうだい」


 私は仕方なくパラソルを横に立てて、口紅を手にとった。

 ドレッサーに並ぶ化粧品の数々は、どれもケバケバしい色合いの物ばかりで、すべてを調合すると白雪姫に飲ませる毒薬が出来そうだった。


「ああ、そのアンニュイな表情がいいわ」


 私の絶望がアンニュイに見えるらしい。


 カメラマンに佐野山さん、メイクに石田さん、そして編集長も来ていた。


「イザベル、これからはどんどん紙面に登場してもらうから、マダム・ロココの期待を裏切らないように頑張ってちょうだいよ」


 編集長は休憩時間に私の手をとり念を押した。

 ほんの少し前までは、読者モデルに格下げしてフェードアウトしようとしていたのにゲンキンなものだ。


 いや、大人の社会とはこんなものかもしれない。

 きっとマダム・ロココの機嫌を損ねたら、明日にもお払い箱だ。


「疲れましたか? ソファで休んで下さい。飲み物を買ってきましょうか? お昼は何か食べたいものありますか?」


 編集部のスタッフが私に気遣ってくれる。

 いつも気遣う側ばかりだったから戸惑う。


「い、いえ、みなさんと同じ物でいいです」


「メイク直すわね。寒くない? もう少し暖房強くしようか?」

「い、いえ。大丈夫です」


 すべてが私中心なのが居心地悪い。

 大勢の大人を動かすだけの結果を残さなければならない。


 雑誌の数ページだけでこのプレッシャーを感じるのだから、御子柴さんのように映画やドラマの主役をやるタレントのプレッシャーは相当すごいのだろうと思う。


「まあまあ! いらっしゃいませ! お待ちしていましたよ!」

 突然マダム・ロココが腰を振りながらショップの入り口に向かった。


 入り口に、このショップにそぐわない大勢の男性が立っていた。

 その中に見覚えのある顔を見つけて青ざめる。


「あ、いたいた。監督、あの子です」


 大河原さんが私を指差して中年のおじさんに紹介している。


「ほう。この子か……」

 中年のおじさんと、大河原さん、それにスタッフらしき男達が数人、アンティークソファに座る私を取り囲んだ。


「あ、あの……」

 みんながジロジロと不躾ぶしつけな視線で私を見ている。


 そして、監督と呼ばれたおっさんが、おもむろに私のアゴをくいっと指先で持ち上げた。


 いや、おっさんにアゴくいされても気持ち悪いだけです。

 やめて下さい。


「うん。メイクで素顔は分からないが、鼻筋は通っているしカメラ映りはいいかもしれないな。だがしかしアクションが出来るのか?」


殺陣たてが出来るらしいです。身のこなしは軽いですよ」

 大河原さんが代わりに答えた。


「わたくしのブランドは、機能性にも優れていますのよ。激しく動いても着崩れしません。ここにあるどの衣装を使っても構いませんわ」


 マダム・ロココが揉み手で余計な情報を入れる。


「ポップギャルは紙面で全面的に映画の宣伝をさせて頂きます」

 編集長もすっかり便乗している。


 いや、待って。

 私に事前の相談とかは?

 まだ何も聞かされていませんが……。


「ユメミプロの社長からは、最優先で仕事の調整をすると許可を頂いています」

 監督の横にいる助監督らしき人物がつけ加える。


 し、しゃちょ――っっ!!

 あの適当社長めえええ!!!

 タレントを何だと思ってるんだああ!!


「君、ちょっと回し蹴りやってみてくれるか?」

 監督がようやくアゴくいを離して注文してきた。


「で、でも私は……」


 ハタと気付くと、全員の視線が私に注がれている。

 とてもじゃないが出来ませんなんて言える状況ではなかった。


 どうする?

 手を抜いて、全員をがっかりさせて帰ってもらう?


 いや、ダメだ。

 そんなことが出来る雰囲気ではない。


 この期待を込めた視線に包まれて、手を抜くなんて私には出来ない。たとえ期待はずれであろうが、全力でやらないわけにはいかない。


 私は仕方なく厚底ブーツで立ち上がった。


 回し蹴りの練習は、剛田監督に嫌というほどさせられた。

 ゼグロスのピンヒールは、この厚底ブーツ以上に不安定だ。

 たぶん出来る。


 せめてピンチを招いたこの男に……。

 私の魂の怒りを込めて……。


「では失礼します」

 私は一言断ってから、標的との距離を確認する。


 そして回し蹴りの体勢に入った。


 タンッとその場でリズムをつけて……。


 くるりと回転する。


 ヒュンッッ!


 ゴスロリのフリルの衣装が鮮やかな円を描いた。

 そのまま大河原さんの首筋に向かって右足を繰り出す。

 そしてピタリと首筋ギリギリで右足を静止させた。


 全員が驚いて息をのむ音がした。

 中でも大河原さんは、突然すぎて防ぐことも出来ないまま突っ立っていた。

 厚底ブーツが大河原さんの頬に当たる直前で止まっている。


 そしてそのままゆっくり右足を下ろした。


「これでいいですか?」

 射るように大河原さんを下から睨んだ。


 どよっと、ため息のような歓声のような声が湧き上がる。


「いいじゃないか! 女性とは思えない身のこなしだ」

「最後の睨みつける表情もいいね」

「決まりですね、監督」


「……」

 大河原さんだけが言葉も出ないままで固まっていた。




 この日。

 

 私は映画のヒロインに抜擢された。


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