第119話 観覧車の罠③

 冬の遊園地は人が少ない。


 平日の夕方ともなると、遊具の係員もさっさと店じまいして事務室に戻ってしまうようだ。観覧車を振り返ると私が最後だったのか、すでに鎖をかけ車に乗って行ってしまうところだった。


「あ、ちょっと……」


 声をかけるのが遅すぎた。

 車は私に気付かないまま行ってしまった。


(ど、どうしよう……)


 見渡す限り誰もいない。

 薄闇に包まれ始めた園内は、私以外誰もいなかった。


 こんな時こそ陸上選手のトップスピードで……。


 しかし厚底ブーツが不安定で、おまけに寒さでガクガクして普通に歩くのさえ難しい。


 まさかこんなところで冬山のように凍え死ぬのか……。

 明日の朝刊に前代未聞の記事が載ることになるだろう。


『ゴスロリ服の少女、冬の遊園地でまさかの凍死』


 いやいや、出来ればゴスロリ服では死にたくない。

 死体顔の白塗りが、まさか本物の死体になるなんて笑えない。


 それに……。


 出来ることなら、これからスターになっていく志岐くんをもう少し見ていたかった。あんな志岐くんやこんな志岐くんを……。


 バチが当たったんだ。

 イザベルに情熱的に接する志岐くんに不満を持ったりしたから……。

 イザベルに嫉妬なんてするから……。


(嫉妬……?)


 そうか。

 私は、まさかの自分に自分で嫉妬するというカオスにおちいっていたのか……。


「ふふ。バカだ……」

 自分の愚かさに自嘲する。


 だいたい嫉妬なんて感情は、ファンが持ってはいけないものだ。

 

「これは報い……」

 ファンのくせに持ってはいけない感情を持ったから……。


 志岐くんが誰を好きになろうが、誰と付き合おうが、心から祝福しなければならないのに。私はいつの間にか、素直に喜べなくなってる?


 まさか……。


 ありえない。そんなこと……。

 あってはならない……。


 志岐くん、ごめんなさい。

 もう二度とこんな感情を持ちません。

 今、この場で封印します。


 そう誓ったはずなのに……。

 今、誓ったばかりのはずなのに……。



 どうして……。




「イザベルッッ!!!」


 こっちに向かって駆けてくる志岐くんに涙が溢れる。


 どうしていつも、私の危機を知ってるかのように現れるの?

 どうしてこんなに私の心を震わすの?

 どうしてあなたの姿を見たら、こんなに安心出来るの?


「志岐くん……」

 駆け出そうとして、凍った足がもつれる。


「危ない!」

 転びそうになった私を、志岐くんが抱き止める。


「体が冷え切ってる。ちょっとだけ我慢してくれ」

 言うなり志岐くんは自分のコートを開いて、私の体を包み込んだ。


 信じられないぐらい暖かかった。

 どこから走ってきたのか、鼓動が早い。


 どうして志岐くんの胸の中はこんなに安心出来るんだろう。

 想像したこともない幸福感に包まれるんだろう。


 甘えちゃダメなのに……。

 私が望んでいいものじゃないのに……。


 今だけ……。

 どうか神様、今だけ許して下さい。

 そうしたら、もう二度と望みませんから……。



「すぐにロケバスが迎えに来るから……。もう大丈夫だから……」


 私を安心させるように頭を撫ぜてくれている。

 この温かな手に溺れてしまいそうだ。


「もしかして……泣いてる?」

「……」


「泣いてるなら、顔を上げないで」

「え?」


 顔を上げようとした私の頭を、志岐くんはぐいっと自分のふところにおさめるように抱き締めた。


「あの……」

「俺……泣かれると弱いから……。何するか分からないから……上げないで」


 志岐くんの鼓動が早くなった気がする。


 それって……


 どういう意味?


 志岐くん……。




「おい、志岐。イザベルは大丈夫か?」


 やがて、ロケバスが到着すると、志岐くんはそっと私をコートから出して離れた。


「うん。体が冷え切ってる。早く暖かい場所に連れて行こう」


 照れたように、もう私と目を合わせようともしなかった。


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