第100話 不可欠の存在

「あ、あ、あ、あのお方は……、まさか」



 私は慌ててマッチョマンの一人の影に隠れていつものポジショニングをとった。


 マッチョマンの上腕二頭筋の隙間から。

 そして別のマッチョマンのシックスパックの腹筋から片目を出し。

 果てはドラム缶のような太ももを衝立ついたてがわりにして。

 

 高貴な存在を垣間見た。


「おお! いい出来じゃないか、中島P」

 剛田監督が思わず叫んだ。


 イラストではとんでもないカツラだと思ったが、志岐君が着けると不思議に違和感なく似合っていた。


 腰までの黒髪がたまらなく素敵だ。

 黒く縁取った目も、黒い口紅も、志岐君がつけると、なぜか見事に調和している。


 異世界仕様の軍服とマントの黒い衣装は、志岐君のためにあるように身に合っていた。その存在は、すでに間違いなく悪の首領ゼグシオとして立っていた。


「私もこれほどとは思わなかった。これは掘り出しもんだよ、剛田監督」

 志岐君の隣りの中島Pも満足げだ。


 周りのスタッフも手を止めて見惚れていた。


 女性スタッフは一人残らず目がハートになっている。


 私は危うく遠吠えの号泣をしてしまうところだった。


 この姿を見たかったのだと思った。


 ずっとずっと、こんな志岐君を夢見ていた。


 たたずまいが違う。

 オーラが違う。


 私の目に狂いはなかった。

 この人は間違いなくスターになる人。


 これからもっともっと……。




 何度かリハーサルをして、いよいよ本番になった。


 私は志岐君が神々しくて、あまり直視出来なかったが、なんとか迷惑をかけないように殺陣の手順だけは頭に叩き込んだ。


 本番前、剛田監督はマッチョ軍団を呼んで、何やら指示を与えていた。

 みんなが一斉に私を見たような気がしたが特に指示はなかった。


 そしてカチンコの音と共に本番が始まった。


「ゼグシオ様! お逃げ下さい。ここはこのゼグロスが食い止めます! どうかっ!」


 なだれ込むマッチョ軍団を前に私が志岐君を背に庇う。

 私は颯爽とマッチョ達をやっつけ、ゼグシオ様を宇宙船へと誘導するのだ。


「ゼグロス、お前も来るのだ! 私にはお前が必要だ!」


 ああ、なんて素敵なセリフだろう。


 このセリフを書いた脚本家にはお歳暮せいぼの一つも贈らねばなるまい。


 いや、陶酔している場合ではなかった。

 私はここで五人のマッチョを倒さねばならないのだ。



 しかし……。


 あれ?


 十人一斉にかかってきてますよ。


 話が違うではないですか。

 リハーサルはちゃんと五人だったのに。



 ぎゃあああ!


 無理です!



 まさか一話目で殉職させるつもりですか?



 辛うじてリハーサル通りの五人の一手目を防いだが、更なる五人が攻撃してきた。


 二人は防いでもあと三人は無理ですっっ!!


 ひいいいっ!


 ぶたれるっ!!




 しかし目の前に黒いマントがひるがえった。


 ガッ! ゲシッ! ドカッ!



 志岐君が動きにくい衣装をものともせず、私を背に庇うように前に立っている。


 ええっ?!


 でもそれじゃシーンが変わってしまいますよ、志岐君。


 背に流れる黒髪からちらりと見えた横顔は完全に怒っていた。

 予定外の攻撃をしてきたマッチョ達を本気で睨みつけている。



「ゼ、ゼグシオ様、ここは私が……」


 慌てて前に出ようとした私は、ブーツのヒールをぐねらせ転びそうになった。


 気配で察した志岐君は、回し蹴りで敵を倒しながら私の体を受け止めた。

 そのまま、左腕で私を支えながら右手と右足で敵を次々やっつけていく。



 す、すごい。


 いや、これ完全にアドリブですよね。

 こんな練習してないですから。


 マントをうまく利用して、気が付けば十人全部志岐君が倒していた。



「ふう……」


 志岐君がほっとしたようなため息を漏らして、カットの声がかかった。


 待っていたようにツカツカと監督の元へ向かう志岐君を私は慌てて追いかけた。


「どういうことですか! リハーサルと全然違うじゃないですか!」

 剛田監督に抗議しにきたらしい。


「おお。おかげでいい画が撮れた。一発OKだぞ。ゼグロスもいいタイミングでこけてくれたな。このシーンは話題になるぞ、きっと」


「うん。素晴らしかったよ、志岐君。ゼグロスを必死に守ろうとする悲壮感がお茶の間の主婦達をとりこにするよ」

 中島Pもうんうんと肯いていた。


「下手したらまねちゃんが怪我してました。前から言おうと思ってたんです。女の子なんだから少し手加減して下さい」



「……」



 一瞬妙な空気が流れた。



「女の子って誰のことだ?」

 剛田監督が珍しく間の抜けた顔で尋ねた。


「誰って、ゼグロスのまねちゃんに決まってるじゃないですか!」


「ゼグロス?」

 剛田監督はポカンと口を開けて私を見た。


「あれ? 剛田監督に言ってなかったっけ?」

 中島Pは呑気に頭を掻いた。


「え? この子女の子だったのか?」



 やっぱりそういうオチでしたか。

 そんなことだろうと思ってました。



「ま、まあ、このまま男か女か分からない設定で行くか。いいコンビだしな」


「まねちゃんを全員で狙うのはやめて下さい。それだったら俺を狙ってもらった方がヒヤヒヤしないで済みますから」


「お前を狙っても緊迫感が出ないんだよな。その点ゼグロスに危害を加えようとすると、お前ムキになるだろ? いい顔すんだよな」


「それは……」


「しかもこの数日でなんだか更にいい目をするようになった。覚悟が出来たっていうのかな。私生活で何かあったのか?」



「いえ、別に……」

 志岐君はちらりと私を見たがすぐに目をそらした。


「まあいい。とにかく中島Pの狙い通り、ゼグシオにはゼグロスが不可欠なんだ。だからゼグシオは自分を楯にしてでもゼグロスを守ろうとする。ゼグロスはゼグシオの唯一の弱点なんだ。この構図で一年やっていこうじゃないか」


 剛田監督は確認するように中島Pを見上げた。



「いや、私は別にそんなつもりじゃなかったんだけどね。単に足の速い側近がいたら面白いかと思っただけだったんだけど……。まあ、思った以上にいいコンビだったね」


 中島Pも手ごたえを感じているようだった。




 どうやら演技の上でも私は志岐君をヒヤヒヤさせて迷惑をかける役回りらしい。


 本当に申し訳ないと思うのだが、役の中では志岐君に不可欠の存在と思われるのが嬉しい。


 現実世界では決してないことだろうから……。


 これから一年に及ぶ撮影が始まる。

 きっとこのドラマで志岐君はさらに飛躍するだろう。


 どんどんスターになっていく志岐君のそばに、あとどれぐらいいられるのか……。


 全力で悔いの無い日々を過ごそうと……。


 ただ心に誓ったのだった。


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