第97話 霧子さん三たび (三人称)

 電車を降りてから、田舎道を三十分も歩いた所に、そのお寺はあった。


 古いがきちんと掃き清められた境内と、つややかに磨き上げられた廊下が、由緒の正しさと謙虚な礼節を漂わせていた。


 綺麗に頭を剃りあげた小坊主が出てきて、本堂まで案内してくれた。

 大きな仏像がたてまつられた部屋だ。


「住職はただいま来客中ですので、こちらでしばらくお待ち下さい」

 丁寧に手をついて頭を下げてくれた。


 私と志岐君は出された座布団に座って、同じように頭を下げた。


 この節度あるお寺の住職なら、きちんと御祓いしてくれるだろう。

 私も志岐君もすっかり安心していた。



 安心しきってしまっていた。



◆    



「住職さん遅いね、まねちゃん」

 珍しく黙り込んでしまった真音に、志岐は声をかけた。


「……」


 返事がなかった。


 最初待ちくたびれて居眠りをしているのかと思った。



「……ど……い……」

「え?」


 真音の正座した膝に乗せた手に、ポトリと水滴が落ちた。



「え? まねちゃん?」


「ひどいわ、こんな所に連れてくるなんて」

 自分をキッと睨んだ目には涙が溢れていた。



「え? でも御祓いを……」


「あなたはいつだって私から逃げようとする。私がこんなに愛しているのに! こんなに尽くし続けてきたのに! どうして分かってくれないの?」



「まさか……。霧子さん……?」



 お寺に入ってしまえばもう大丈夫と思っていた。


 油断していた……。



「私はずっとずっと待ってたのよ。いつかあなたが戻って来ると信じて。あなたを信じて私のすべてを捧げたのに。あなたさえいれば何もいらないと思っていたから……。だから尽くしたのに……。……なのに、なのに……」



 真音が絶対言わない言葉の数々。


 こんな自分よがりで押し付けの愛情など一番不似合いな子だった。


 真音をけがされたようで腹が立った。



「お、落ち着いて下さい。俺は恭平さんじゃありません」


「あんたが誰だっていいわ。私から逃げる男は許さない! 不幸にしてやる!」


「あなたが怒っているのが俺に対してなら、まねちゃんは関係ない。まねちゃんを巻き込まないで下さい」


「そうやってこの子を大事にするのが一番むかつくのよ!」


「じゃあどうすればいいんですか?」


 霧子さんは真音の顔を使って意地の悪い微笑みを見せた。


「あんたが一番恐れていることなんて分かってるのよ。ふふふ、この子に二度と消せない負い目を持つといいわ。あんたに大きな十字架を背負わせてあげる」


 言うなり霧子さんは真音の着ていたコートを脱ぎ、Vネックのセーターも一気に脱ぎ捨てた。その下に着ているのは、先日と同じネルのシャツだった。

 服をあまり持っていない真音が、冬場は二日に一回のローテーションで着ている厚手のシャツだ。


「な!! 何をするつもりですか!!!」



「ねえ、私はとり憑くことによってこの子の心が分かるのよ。あなたの前で裸になって誘惑したなんて知ったら、きっと死にたくなるほどショックを受けるわね。ふふ、絶望して、本当に自殺するかも」


 言いながら、霧子さんはシャツのボタンをはずし始めた。


「やめて下さいっっ!!」

 志岐は慌てて先日と同じように手首を掴んだ。



「いたあいっっ!! また青アザになるわ!!!」


 悲鳴をあげられ、はっと掴んだ手を放した。


「あんたの怪力で掴んだら、手首が折れちゃうかもよ。分かってるんでしょ?」


 そうだった。


 昨日真音の手首に青アザがあるのを見た時は驚いた。

 殺陣たての練習の時より、ほんの少し強く掴んだだけのつもりだった。


 女の子のもろさを知らなかった。


 特に真音は強い女子のイメージがあったため、あんな力ぐらいで青アザになるなんて思いもしなかった。

 長年ピッチャーをやっていた自分の握力を甘く見ていた。



 いや、もしかして動揺し過ぎて力加減を間違えたのかもしれない。


 そしてまた、間違える可能性は充分あった。


 ボタンをはずす霧子さんに手出し出来ない。


 きっと霧子さんが言っていることは本当だ。

 こんなことをしたと知ったら、きっと男の自分が想像する以上に真音は傷つくだろう。


 とり憑かれたのだから仕方ないと、どれほど自分が言っても、きっとその傷は消せない。



「ねえ、選ばせてあげてもいいわよ」



 ふと思いついたように霧子さんはボタンをはずす手を止めて、にやりと志岐に微笑みかけた。

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