第20話 急転

「大変だよ、まねちゃん!」


 僅かな身の回り品を荷造りしていた私の部屋に、おかやんが飛び込んできた。


「志岐の仕事が決まった!」


「仕事?」


 話についていけない私に、おかやんは両手を掴んで嬉しそうに振り回した。


「もう分かんないの? 仮面ヒーローだよ」


「え? だってそれは一次落ちで……」


「うん。主役はダメだったけど、ゆうべ遅く社長に連絡があって、準主役級の悪の首領しゅりょうをやってみないかって。次期ドラマは悪役に力を入れるって話らしいから凄い事だよ!」


「ほ、本当に?」


「うん。志岐は今、社長室に呼ばれてる」


「じゃあ芸能1組に入れるの?」


「1組かどうかは分からないけど、少なくとも個人の仕事を持ったんだから授業料は免除だよ。寮費ももしかしたら……」


「う……うう……」


「まねちゃん?」


 私は涙が溢れて言葉が出なかった。


「嬉しっ……。よ、良かったああ……うああああん」


 これでもう野球部の先輩達にこき使われる事もなくなるし、テレビで志岐君が見られる日がそう遠くない未来に来るのだ。


 会う事は出来ないけど、一方的に見る事は出来るようになる。


 それで充分だ。


「いいなあ、志岐って……」


 おかやんはしんみりと呟いた。


「自分の為にこんなに喜んで泣いてくれる人がいるって幸せなんだろうな」


「何言ってるのよ、おかやん。今は私一人かもしれないけど、志岐君はきっとすぐに、もっともっと多くのファンにとってかけがえのない存在になるのよ。私一人ぐらいで幸せに浸ってるヒマなんてないのよ」



「まねちゃんは? 本当に行っちゃうの?」


「うん。電車の時間があるから」


「志岐が戻ってくるまで待ちなよ」


 私は微笑んで頭を振った。


「私はファンの一人に戻るわ。すっかり出しゃばってしまったけど、ファンたるものはスターの領域に入り込まず、遠くからその幸せを願うものなのよ。言ったでしょ?」


「そこに恋愛感情はないの?」


「バカね。何言ってるのよ。恋愛感情なんて領域を侵す最たるものじゃないの」


「まあ、自分を好きになってもらおうと思ってたら出来ない行動だったよね」


「そういう事。志岐君が戻ったら、これからはアイドルスター志岐君のファンとして応援し続けますって伝えておいてね」



 私はおかやんに見送られ、寮の部屋を出た。


 最後に学園校舎に一礼して、昨日志岐君と歩いた道を一人歩いて駅に向かった。


 これで思い残す事はない。




 しかしそんな私の目の前に、黒いワゴン車が割り込むように止まった。


 なんか見覚えのある黒塗りの車だと思っていると、窓がすうっと下りて御子柴さんが顔を出した。


「一人でどこ行くつもり? まねちゃん」


「御子柴さん? どこって実家に……」


「勝手に出て行ってもらっては困るな」


 御子柴さんの背後の座席に社長が座っていた。


「社長? どうしてこんな所に?」


「どうしてだと? バカが勝手に出て行ったと聞いたから私 みずから来てやったんだ!」


「勝手って、退学届なら出しましたよ」


「事情が変わった。仮面ヒーローのプロデューサーがお前の見事な走りをえらく気に入って、悪の首領の側近として使いたいと言ってきたんだ。志岐と一緒に芸能2組に入れてやる。すぐに戻れ! バカもんが!」


「ええっ? だって私は……」


 自分が芸能クラスに入るなんて考えた事もなかった。


 動揺している私の前でワゴン車のドアが開き、志岐君がいつも通り惚れ惚れする仕草で出てきた。


「人を無理矢理この世界に引っ張りこんでおいて、自分は逃げたりしないだろうね?」


「志岐君……」


 志岐君は初めて、私に笑顔を向けてくれた。


 いつも誰かに向けた笑顔だけで幸せな気分になっていたけれど、自分に向けられたそれは、私の心臓を一瞬で鷲づかみにした。


「俺と一緒に帰ろう、まねちゃん」


 差し出された手を私は力一杯に掴んでいた。


「わああああん! 志岐君んん」


 号泣する私に志岐君はもう慣れたのか、ははっと笑ってワゴン車に引き入れた。


「泣いてるヒマはないぞ。ド素人どもが。今から帰って猛特訓だからな」


 社長は腕を組んでふんっと鼻息を吐いた。


 御子柴さんはにやりと微笑む。


「まねちゃん。寮費を稼ぐために俺のマネージャーやらない? なんか気に入ったんだよね。俺にはまねちゃんの熱すぎる熱意が必要だと思うんだ。いいでしょ? 社長」


「勝手にしろっ!」




 思いがけない未来がそこに開けていた。

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