第12話 本音

 志岐君は来る日も来る日も、無茶な命令をされ、陰では殴る蹴るが日常になっていた。そしてジムに来る事はもうなかった。


 毎日放課後は寮の掃除に明け暮れ、早く終われば、先輩に奴隷のように使われる毎日のようだった。


 私はなんとか助ける方法がないものかと先生に訴えてみたりもしたが、人の心配をしているヒマがあるのかと、逆に怒られて終わるだけだった。


 自分のトレーニングに身の入らない私は、ますます長距離のタイムを落とし、この間の大会では、遂に完走出来なかった。


(このままだと退学だろうな……)


 すでに次の大会で順位を落せば普通科行きの手紙が親にも送られていた。


 親からは、この学園の高額授業料と寮費なんて払える訳もないからと、地元の高校への編入を言い渡されている。


 それはいい。もう諦めた。


 ただ、このままの志岐君を置いて行くのだけが、心残りだった。


 関わらないでくれと言われ、善良なファンであるなら、これ以上の手出しはすべきでないのは分かっている。


 退学すれば、もう二度と近付かない。


 だから……これが最後だから……。



 私は久しぶりに食堂で志岐君を待った。


 そして、今日も傷だらけになっておかやんに支えてもらいながら志岐君が入ってきた。


 もう食堂には私しかいなかった。


「まねちゃん。まだいたの?」


 おかやんが驚き、志岐君は私に気付くと、少し迷惑そうに視線をそらした。


 きっと気持ちの悪いストーカーだと思ってる。

 分かってる。その通りだもの。


「ギプス、取れたのね。志岐君」


「……」


「驚異的な回復だってさ。鍛えてるからね」


 何も答えようとしない志岐君の代わりに、おかやんが答えてくれた。

 どうやら相当嫌われてしまってるようだ。


「僕、定食取ってくるよ」


 おかやんは気を利かしたつもりか食事を取りに行ってしまった。


 わざと目を合わさないように横を向いている志岐君に、私は決意を固め近付いた。


「あ、あの……志岐君。私は小三からずっと志岐君のファンだったの」


 志岐くんはそっぽを向いたままだ。


「ずっとこっそり追いかけていて、気味悪い思いをさせてごめんなさい」


 頭を下げる私にも答えてはくれなかった。


「でも、もうすぐこの学園を出て行くから、その前に一つだけお願いを聞いて欲しいの」


 志岐君は驚いたように、ようやくこちらを向いて初めて声を出した。


「なんで?」


「え?」


「なんで俺? 五百円ハゲの男って、女子はみんなバカにしてただろ?」


 知ってたんだ。


「そんな風に言われてるの気付いてないのかと思ってた」


 あまりに気にしてないようだったから。


「気付いてるし、結構傷ついた時期もあった。でもポーカーフェイスは得意だし、集中したらそういう雑音は何も聞こえなくなるから」


 何を言われても、いつも平然としてるからちょっと鈍感な人かと思ってたけど、恐ろしいほどの精神力で統制してたんだ。


 初めて本当の志岐君を知った気がする。


「だったら尚更、このままでいいの? みんなに好き放題に言われて悔しくないの?」


 鈍感なんかじゃない。


 とても冷静に周りの状況を判断出来るタイプの人だ。


 きっと自分の置かれている状況を誰より的確に見ている。


「怪我をしたのは志岐君のせいじゃないのに。これじゃあまりに理不尽じゃない!」


「理不尽じゃないよ。みんなはそれだけ俺に期待して、俺に夢をたくしていた。その夢を砕いたのは俺なんだ」


「じゃあ、このまま酷い目に合わされ続けても我慢するの? 卒業するまでずっと?」


「それでみんなの気が済むなら別にいいよ」


「バカ言わないでよっ!」


 私の剣幕に志岐君は少し驚いたようだ。


「このままじゃ志岐君が壊れてしまう。なんで志岐君がみんなの悔しさを全部背負わなきゃならないのよおお! そんなの……っう……うう……っく……わああ」


 私はまたしても遠吠えの号泣をしてしまった。


 志岐君は呆れたようにおんおん泣き続ける私をしばらく見ていた。


 そして「まいったな」と呟いた。


 右手で額を押さえるようにしていた志岐君が静かに泣いているのだと気付いたのは、しばらくしてからだった。


 泣いてもポーカーフェイスを崩さない人だった。


 その静かさが、涙の重さを物語っているような気がした。


「泣くつもりなんてなかったのにな。人前で泣いたのなんていつ以来だろ」


「志岐君……」


「でも、勘違いしないでくれ。みんなの理不尽が悔しくて泣いているんじゃない。俺はただ、もう二度とマウンドに立って、三振をとるあの爽快感を味わえないのが悲しい。それだけが、心臓をえぐるように辛いんだ。その悲しみに比べたら、どんな理不尽も大した事ではないんだ」

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